竹田ゆかりのブログ

竹田ゆかりの活動記録
教育問題や時事問題に関する思いなど 

どの子も安心して学び、誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(4)

2013-04-12 22:19:59 | 日記

どの子も安心して学び,
誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(4)


1958年8月10日、鎌倉市民の有志の請願により、市議会全会一致で、鎌倉平和都市宣言が採択されました。
その中で、「日本国憲法を貫く平和精神に基づいて…」と謳っています。

「戦争は人の心から起こるのだから、平和の砦は人の心の上に築かなければならない」(ユネスコ憲章)

鎌倉が真に平和都市であるためには、私たち鎌倉市民の心の上に、平和の砦を築いていくことが大切なのだと思います。
私は、平和教育・人権教育を充実させ、鎌倉の子どもたちが平和を守り、人権を大切にする心を育てたいと思います。

大きないじめ事件が起こると、出される緊急アピール…。いじめは子どもも教師も、悪いことだとわかっているのです。
人を大切にするということはどういうことなのか、学校生活のあらゆる場面で子どもたちとともに考え、人権意識を育んでいくことが大切ではないでしょうか。

やがては大人になる子どもたち…
やがては鎌倉を支えていく大人になる子どもたち…
人権意識をしっかり持った隣人の住む町・鎌倉でありたいものです。

また、平和教育・人権教育を通して、教員自らが、体罰に手を染めず、子どもたちの心に真摯に向き合い、子どもたちを大切にする学校を目指したいと思います。

そして、鎌倉市民が平和の大切さについて、ともに考える場として、鎌倉平和スピーチフェスティバル(鎌倉平和弁論大会)の開催を目指します。

明日は、「鎌倉歴史博物館の必要性について」書きます。明日読んでくだされば、必ずや賛同していただけると思います。



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どの子も安心して学び、誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(3)

2013-04-12 08:37:48 | 日記
どの子も安心して学び、
    誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(3)

(三日目)
ブログに慣れていないので、プレビューではちゃんと打てているのに、ブログを開けてみるととんでもないことになっていたり、字が真っ赤になってしまったり、そうこうしているうちに、8時を過ぎました。
そんなわけで、今夜打つ予定の思いを、今打ってみることにしました。

この度、様々な物議をかもした教育長人事について、私が思うことを書いてみます。

6か月間、教育長が決まらないこと、その責任が議会に、議員に、あるのでしょうか。
私はそうは思いません。
6か月間、教育長不在だったから、誰でもいいのでしょうか。
そうではないと思います。

そもそも、教育委員5人の方々はどんな仕事をするのでしょうか。
教育委員会は、教育に関する一般方針を決めるところです。
たとえば、鎌倉の教育目標。
たとえば、鎌倉の子どもたちが使う教科書を決めます。
大変重い決断をするところです。

 教科書の検定を合格したからと言って、どの教科書でもいいわけではないのです。
子どもたちの思考の流れに沿った教科書もあれば、つめこみタイプの教科書もあります。
学ぶ力をつけることのできる教科書もあれば、参考書に近い教科書もあります。
鎌倉の子どもたちの実態に即して、どんな学びが必要なのか専門的な見地から教科書を採択できる教育委員会であって欲しいと思います。

教育は政治的に中立でなければなりません。
教育は専門性が必要とされる分野です。
さらに言うならば、鎌倉の教育、鎌倉の子どもたちを良く知る方こそ、教育委員・教育長にふさわしいのではないかと思います。


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どの子も安心して学び、誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(2)

2013-04-12 08:01:12 | 日記
どの子も安心して学び、
    誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(2)



昨夜のつもりが夜明けになってしまいました。すみません。
(二日目)
私は長い教師生活を通じて、多くの子どもたちに出会ってきました。そして、たどり着いた思いがあります。
それは、「子どもに悪い子はいない…」ということです。子どもは時として大人を困らせてしまうことがあるけれど、初めから、困らせようと思っているわけではないということ。 むしろ健気なまでに、大人の期待に応えようとして、一生懸命に生きているということ。

だから、しっかりと子どもの話に耳をかたむけて、気持ちを受け止めてあげると、子どもは心の中に正義をもっていますから、やがて、自ら自分を律して、前向きに歩み始めるんです。
私は、そんな子どもたちの心に寄り添い、豊かな学びを作っていける鎌倉を目指したいと思います。
先日も書きましたが、わが子を救うために父親が脱いだあのジャンバーに、私たち大人が今ならなければならない、子どもたちの暮らしと学びを守らなければならない…と思うのです。

また私は、鎌倉の教育予算の確保・充実につとめたいと思っています
鎌倉の「学校配当予算」は、市の財政事情を理由に、どんどん削られてきています。 しかし、削れるものと、削れないものがあります。
教育費はどうでしょうか。教育は、今を逃すことができないのです。 成長している今を逃すことができないのです。
学校では、備品がなかなか買えなくなりました。

たとえば、家庭科で使うミシン。一台を5人から6人の子どもたちで使っています。自分の番を待っているだけで、一時間が終わってしまうこともあります。

音楽室のアコーデオンはボロボロです。合奏にも支障がでています。
一年に一度、劇団やミニオーケストラなどを呼んで、目の当たりに演劇や音楽を鑑賞することも難しくなりました。 鑑賞費として補助されていた予算がなくなったからです。本物に出会った時の子どもたちの感動は、大変なものです。子どものその後の気持ちや暮らし方にまで大きく影響を及ぼしているといっても言い過ぎではありません。

「碎啄同機」という言葉があります。 ヒヨコは生まれる時、殻の中からくちばしでつつくのだそうです。その時を逃さず、めんどりは外から優しくつついてあげるのだそうです。そこで初めてうまく殻が割れる…。つつくチャンスを逃すと、殻はうまく割れない。

正に教育は「碎啄同機」なのです。
教育予算の確保で、子どもたちを豊かに育てることのできる鎌倉にしたいと思います。

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