そして、待ちに待った夜がおとずれました。
いやしんごろうの僕は宮崎市内へ繰り出したのさ。
いやしんごろうとは宮崎弁で食いしん坊の事だそうです。
思ったより南国の夜は寒いけど、
こうして知らない夜の街のそぞろ歩きは旅の醍醐味です。
たどり着いたのは、鳥の里
お通しです。
酸味の強いタレが癖になりそう。
てげうんめー
そしてね、お昼も頂きましたが、
これ、『鶏南蛮』
お店によってタルタルソースは工夫されています。
てげうんめー
ちょっと地方に行っただけでさ・・かぶれたがってます。
そして、メイン
はるばる1600㎞もかけてお会いしたかったのは、このお方。
『地鶏の炭焼き』です。
てげ・・・飛行機嫌いの僕が命かけて一時間半我慢した褒美の「てげうんめー」です。
柚子唐辛子がアクセントになってね。焼酎が合います。
でさ『鶏のたたき』でしょ
地鶏のお寿司も頂いちゃいました。
締めは、これも名物
『冷汁』
てげ暑い宮崎の夏の家庭料理だそうです。
飲んだ後の〆に味噌と出汁の効いたお茶漬け
こうして、悪玉コレステロール爆弾を抱えてる事なぞすっかり忘れて、暴飲暴食の初日が暮れていきました。
ほんじゃまこち、てげうんめー
いやしんごろうの僕は宮崎市内へ繰り出したのさ。
いやしんごろうとは宮崎弁で食いしん坊の事だそうです。
思ったより南国の夜は寒いけど、
こうして知らない夜の街のそぞろ歩きは旅の醍醐味です。
たどり着いたのは、鳥の里
お通しです。
酸味の強いタレが癖になりそう。
てげうんめー
そしてね、お昼も頂きましたが、
これ、『鶏南蛮』
お店によってタルタルソースは工夫されています。
てげうんめー
ちょっと地方に行っただけでさ・・かぶれたがってます。
そして、メイン
はるばる1600㎞もかけてお会いしたかったのは、このお方。
『地鶏の炭焼き』です。
てげ・・・飛行機嫌いの僕が命かけて一時間半我慢した褒美の「てげうんめー」です。
柚子唐辛子がアクセントになってね。焼酎が合います。
でさ『鶏のたたき』でしょ
地鶏のお寿司も頂いちゃいました。
締めは、これも名物
『冷汁』
てげ暑い宮崎の夏の家庭料理だそうです。
飲んだ後の〆に味噌と出汁の効いたお茶漬け
こうして、悪玉コレステロール爆弾を抱えてる事なぞすっかり忘れて、暴飲暴食の初日が暮れていきました。
ほんじゃまこち、てげうんめー
これからご紹介するのは宮崎で胃袋に収まった郷土料理です。
決して日常LDLコレステロールでお悩みの方とは別人のようです。
おいお前、旅だからしょうがないよな
「許そう!」
もう一人の自分がおっしゃいました。
では、初日のお昼、
一番バッター
宮崎名物『チキン南蛮』でごわす。
あのう・・・ごわすはお隣の県でしょ。
日南海岸のえぷろん亭での昼食です。
日向灘を眺めながらいただきます。
程良く酸味の効いたタルタルソースを唐揚げさんがおんぶしています。
お肉が柔らかくジューシー。
宮崎県おみそれ致しました。
初日の昼食で感激度、満開です
決して日常LDLコレステロールでお悩みの方とは別人のようです。
おいお前、旅だからしょうがないよな
「許そう!」
もう一人の自分がおっしゃいました。
では、初日のお昼、
一番バッター
宮崎名物『チキン南蛮』でごわす。
あのう・・・ごわすはお隣の県でしょ。
日南海岸のえぷろん亭での昼食です。
日向灘を眺めながらいただきます。
程良く酸味の効いたタルタルソースを唐揚げさんがおんぶしています。
お肉が柔らかくジューシー。
宮崎県おみそれ致しました。
初日の昼食で感激度、満開です
冬の日差しを受け潮風に吹かれてきました。
冬の『日向灘』です。
カーオーディオから流れるのは
Who's holding Donna now with Lyrics
青島神社の帰り道
鬼の洗濯板
そしてモアイ像
左から、仕事運、健康運、恋愛運、旅行運、夫婦円満、金運、学力と続きます。
冬の『日向灘』です。
カーオーディオから流れるのは
Who's holding Donna now with Lyrics
青島神社の帰り道
鬼の洗濯板
そしてモアイ像
左から、仕事運、健康運、恋愛運、旅行運、夫婦円満、金運、学力と続きます。
『九州へ』 第一章 3節
YはO村さんの長男、図体はでかいがおとなしい性格でなついてくる。彼が大学で上京して来た時もよく飲みに連れていったものだ。2歳下だからもう三十八だ。まだ独身だと言う。話を聞くと自分達は、次郎丸の実家に泊まるよう用意してあるとのこと。天国社を出るとタクシーを拾った。とにかく腹が減っている。幼い頃の記憶は、次郎丸近くにお店などなかったはずだ。灯りが途切れない通りをタクシーはすぐ止まった。
ここが次郎丸?知らない土地に降り立った気分である。拡張工事の後にいろんなお店が連立している。大通りを渡りまだ灯っている一軒の暖簾をくぐった。「居酒屋りんご」東北地方に来たみたいだが、肴に眼張の煮付け、穴子の白焼、ハマチの太巻き。焼酎は何にしますか?不思議な応対に戸惑ったが、麦あり芋あり米ありとチョイス出来るとのこと。ここでも九州にいるんだ、と実感する。そして、Yの話に耳を傾けながらも長かった一日を振り返った。旅疲れた身体にアルコールがしみわたる。普段、芋焼酎など好んで飲まないが郷に入っては郷に従えだろう、芋の臭みが甘く感じた。
店を出たのは一時過ぎだろうか、見上げると満天の星空だ。東京では見たことがない。普段の生活から離れると何でも感動してしまうのかも知れない。十分も歩けば着くと言うが、いくら歩いても記憶と重ならない。マンションまで出てきた。確か鎮守の杜みたいな神社の裏にあるはずだ。
「おいY!間違ってるんじゃないのか?」
先導のYまで、あれ、あれ?と言い始める。
「夜だから、良くわからないな・・」
何度も同じ道を歩いてるようだ。二十分近く経っただろうか、幼稚園の角を曲がると星明かりの中、懐かしい次郎丸の家が出てきた。遊び疲れ、門限を破った子供の様にお勝手口を開ける。あっ!次郎丸の家の匂い。ここでも懐かしさがこみ上げる。女性軍を、起こさないよう布団に潜り込んだ。
目が覚めると見慣れない天井があった。Yの鼾は強烈だったが、さわやかな気分だ。T子さん、N子さん、R子さん、そして横浜のS子おばさん、お袋はすでに起きていた。
「Sちゃん、昨日遅かったんでしょう!まだ寝てていいのに」
懐かしいから、散歩してくるよ、そう告げるとつっかけを引っ掛けて外に出た。目の前に荒れ果てた庭が広がっている。真っ青な空に、熟した柿の実だけがこの土地に生命が宿っているみたいだ。ヒヨドリが鳴いている。庭と言うより、三十年前ここは百坪近い菜園だった。ナスにキュウリ、トマト、エンドウ豆など夏の野菜が被い茂っていたのに。朝一番におじいちゃんと水撒きをした後、採れたての野菜を台所に運んだものだ。もう何年も住んでないのだろう。たまに父達が集まって伸び放題になった雑草を手入れしたと言ってたが、夏とは違う秋色の風景は、人の老い、そして時代の移り変わりを余計に感じさせた。
「変わっちゃったでしょう」
お袋が後ろにいた。佇んでいた自分の心を見透かされたみたいだ。
「解る?これ山椒の木よ。この辺りトウモロコシあったの覚えてる?」
枯れた雑草を踏みしめて二人は歩き始めた。
「この辺り一周してみようか」
錆付いた門扉を開けて表に出た。二人で肩を並べて歩くのも何年ぶりだろう。朝の風が寒く感じて、何気なくお袋を見た。
「寒くない?」
今年で七十歳になるお袋が小さく見える。長女のA加はもう追い越したかもしれない。外見からも中年の域に入った自分の息子を今どう思ってるんだろう。
「向こうが、室見川だっけ?博多人形の工場みたいなのあったよね」
大分県境方面だろうか山脈がそびえている。関東平野に住んでいると、近くにに山の見える風景などない。神社の境内に入った。ここは蝉時雨の中、走り回って遊んだ場所だ。早朝に、蝉の幼虫を探しては、成虫になる姿を息を殺して眺めていたんだ。
樹齢何百年の老木に、[福岡市保護指定の樹 もちの木]とあった。
この樹は子供の頃の自分を、覚えてくれているのだろうか。
第一章 おしまい
Twitterバージョン
先ほど無事帰ってきました。
あのね、南国宮崎だと思っていたら、想像以上に寒かったのです。
九州山地の向こうは雪だったらしいし。
でさ、帰りのフライト時間1時間17分とアッという間だったのに、
京浜東北線は、
信号機故障でしょ、
危険を知らせる信号でしょ、
いくつもの駅で時間調整でしょ・・・
で1時間30分掛かりました
疲れました。
もう一度九州行けたよな
そして駅を降りると思ったより寒い・・・。
なんだ、やはりこちらの方が寒いのねと、急ぎ足で家にたどり着くと
今日は今年一番の寒さとの事
「やっぱり家が一番」といつもの言葉を発して今くつろいでます。
鶏南蛮食べました。
地鶏の炭焼き食べました。
高千穂牛食べました。
肉巻きも、釜揚げうどんも胃袋に収まりました。
多分、三日間で地鶏、延五羽は食べたかもしれません。
改めてご紹介させてくださいませ
おやすみなさい
先ほど無事帰ってきました。
あのね、南国宮崎だと思っていたら、想像以上に寒かったのです。
九州山地の向こうは雪だったらしいし。
でさ、帰りのフライト時間1時間17分とアッという間だったのに、
京浜東北線は、
信号機故障でしょ、
危険を知らせる信号でしょ、
いくつもの駅で時間調整でしょ・・・
で1時間30分掛かりました
疲れました。
もう一度九州行けたよな
そして駅を降りると思ったより寒い・・・。
なんだ、やはりこちらの方が寒いのねと、急ぎ足で家にたどり着くと
今日は今年一番の寒さとの事
「やっぱり家が一番」といつもの言葉を発して今くつろいでます。
鶏南蛮食べました。
地鶏の炭焼き食べました。
高千穂牛食べました。
肉巻きも、釜揚げうどんも胃袋に収まりました。
多分、三日間で地鶏、延五羽は食べたかもしれません。
改めてご紹介させてくださいませ
おやすみなさい
『九州へ』 第一章 2節
エコノミー症候群になるかと思った。だいたい最初から最後まで乗ってたのはオレだけじゃないのか?お尻が痛いわ喫煙車両のせいか喉が痛いわ何が500系だ!やっぱり飛行機だな!。6時間近く機能してなかった全身に博多の夜の空気を吸い込んだ。改札を抜けまず父に連絡した。
「遅いじゃないか!今どこだ?」
親爺はもう酔っていた。お通夜は終わってしまったとのこと。父の指示通り地下鉄で藤崎まで行くことにした。地下鉄の入り口はすぐ見つかった。蟻の巣如く巡りめぐる東京の地下鉄とは異なり中州川端を中心に南は福岡空港、東は貝塚、西に姪浜とYの字にのびている。鳴り響くベルにあわてて階段を駆け下りた。なんだよ両方いるよ!どっちだ!どっち! さっきの路線図の記憶をもとに、姪の浜行きに飛び乗った。
「すいません!藤崎行きますか?」
若いOL風の女性に聞いた。
「はい…行きます…」
「ありがとう・・」
別に田舎者じゃないんだよ、・・精一杯無言のゼスチャーを送った。
車内路線図を眺めると八つ目で藤崎だ。見ると一つ一つ駅名に因んだロゴがある。中州川端だと中州の文字に川をデホォルメ、藤崎は藤の花、洒落てるな、自治体と広告代理店なかなか考えてる。しかし東京だと駅多すぎるもんな・大江戸線くらいこのアイディア使っても面白かったのに。慎太郎さん、財政赤字でもホテル税導入案がんばってほしいよ。
官庁も担当する私は、TCVB(東京コンベンション・ビジターズビューロー)の残してきた仕事を思い出した。15分足らずで藤崎についた。どうやらバスステーションがあるらしい。降りる人が多い訳だ。もう一度父に電話した。
「今、着いた」
「そうか、天国社だ!タクシーでワンメーターだ」
天国社?いいのか葬儀屋がそんな名前付けて…。何度聞き直しても酔った親爺は、天国社と言っている。タクシーに乗ってそう告げると
「どこの天国社ですか」と、運転手までが言う。
おいおい天国社チェーンかよ。感に任せて一番近い天国!と社を付けずに答えた。大通りに面してその天国はあった。すでに十時近かった。
一階は電気が消えていた。正面に階段、二階の方で誰か話す声が聞こえる。
「Sちゃん?」
気配に気づいたのだろう、四十男にSちゃんとは気恥ずかしいが、この環境では仕方がない。懐かしさがこみ上げてくる。見るとそれぞれ記憶より年を重ねた親戚一同の顔が出迎えてくれた。
「遅かったじゃないか!飛行機じゃなかったのか?」
「立派になったねー」
「おい、まずはおばあちゃんにお線香あげなさい」
父に促されその部屋に入った。
棺の中のおばあちゃんは綺麗だった。薄く紅を引いてもらい、ただ普通に眠ってるみたいだ。正面の写真に向かって手を合わせた。(生きている間にお会い出来なくてごめんなさい。自分は、今三人の子供達に囲まれてにぎやかな生活を送っています。会社の方は、今年の四月から営業課長に昇進しました。若い頃はいろいろ心配掛けましたが、なんとかがんばってます。やすらかにお眠りください。そして天国で見守っていてください。)
そっと目を開けると、おばあちゃんは確かに微笑んでいる様に見えた。
控え室に入り、まず目に入ったのは沢山のビール瓶と焼酎の一升瓶が転がっていることだった。ここは九州なんだと改めて感じる。父の兄弟は6人、長男は横浜に住んでいるA男おじさん、次男父の下は四人姉妹である。長女のT子おばさんのご主人O村さん、三女R子おばさんのご主人のS井さん、そして幼い頃いっしょに遊んでくれた四女K子N子おばさん(そう呼んでいた)のご主人N淵さん、いいちこの犯人はこの五人だろう。T家はおじいちゃんを筆頭に酒豪だが、類は類なのかよくも集まったものだ。この人達の前では、自分は赤子だろう。
「S君のお父さんはね、さっきあそこで、躓いてひっくり返ったンダヨ」
おいおいまたか?今年9月に自転車でひっくり返って硬膜下血種とかで手術したばかりなのに…。あきれて親爺を見ると、今まさに奇跡の生還を果たしたかのように、目の前でその話を始めている。反省してないのか、学習能力がなくなったのか。聞いてくれることをいいことに壊れたレコードになっている。到着が遅かったな。今更この酒豪の集まりに追いつくのは無理だ。どうやらこの御仁達はここで朝までなんだろう。一杯目のビールを飲み干すと、いとこのYに合図した。
つづく
エコノミー症候群になるかと思った。だいたい最初から最後まで乗ってたのはオレだけじゃないのか?お尻が痛いわ喫煙車両のせいか喉が痛いわ何が500系だ!やっぱり飛行機だな!。6時間近く機能してなかった全身に博多の夜の空気を吸い込んだ。改札を抜けまず父に連絡した。
「遅いじゃないか!今どこだ?」
親爺はもう酔っていた。お通夜は終わってしまったとのこと。父の指示通り地下鉄で藤崎まで行くことにした。地下鉄の入り口はすぐ見つかった。蟻の巣如く巡りめぐる東京の地下鉄とは異なり中州川端を中心に南は福岡空港、東は貝塚、西に姪浜とYの字にのびている。鳴り響くベルにあわてて階段を駆け下りた。なんだよ両方いるよ!どっちだ!どっち! さっきの路線図の記憶をもとに、姪の浜行きに飛び乗った。
「すいません!藤崎行きますか?」
若いOL風の女性に聞いた。
「はい…行きます…」
「ありがとう・・」
別に田舎者じゃないんだよ、・・精一杯無言のゼスチャーを送った。
車内路線図を眺めると八つ目で藤崎だ。見ると一つ一つ駅名に因んだロゴがある。中州川端だと中州の文字に川をデホォルメ、藤崎は藤の花、洒落てるな、自治体と広告代理店なかなか考えてる。しかし東京だと駅多すぎるもんな・大江戸線くらいこのアイディア使っても面白かったのに。慎太郎さん、財政赤字でもホテル税導入案がんばってほしいよ。
官庁も担当する私は、TCVB(東京コンベンション・ビジターズビューロー)の残してきた仕事を思い出した。15分足らずで藤崎についた。どうやらバスステーションがあるらしい。降りる人が多い訳だ。もう一度父に電話した。
「今、着いた」
「そうか、天国社だ!タクシーでワンメーターだ」
天国社?いいのか葬儀屋がそんな名前付けて…。何度聞き直しても酔った親爺は、天国社と言っている。タクシーに乗ってそう告げると
「どこの天国社ですか」と、運転手までが言う。
おいおい天国社チェーンかよ。感に任せて一番近い天国!と社を付けずに答えた。大通りに面してその天国はあった。すでに十時近かった。
一階は電気が消えていた。正面に階段、二階の方で誰か話す声が聞こえる。
「Sちゃん?」
気配に気づいたのだろう、四十男にSちゃんとは気恥ずかしいが、この環境では仕方がない。懐かしさがこみ上げてくる。見るとそれぞれ記憶より年を重ねた親戚一同の顔が出迎えてくれた。
「遅かったじゃないか!飛行機じゃなかったのか?」
「立派になったねー」
「おい、まずはおばあちゃんにお線香あげなさい」
父に促されその部屋に入った。
棺の中のおばあちゃんは綺麗だった。薄く紅を引いてもらい、ただ普通に眠ってるみたいだ。正面の写真に向かって手を合わせた。(生きている間にお会い出来なくてごめんなさい。自分は、今三人の子供達に囲まれてにぎやかな生活を送っています。会社の方は、今年の四月から営業課長に昇進しました。若い頃はいろいろ心配掛けましたが、なんとかがんばってます。やすらかにお眠りください。そして天国で見守っていてください。)
そっと目を開けると、おばあちゃんは確かに微笑んでいる様に見えた。
控え室に入り、まず目に入ったのは沢山のビール瓶と焼酎の一升瓶が転がっていることだった。ここは九州なんだと改めて感じる。父の兄弟は6人、長男は横浜に住んでいるA男おじさん、次男父の下は四人姉妹である。長女のT子おばさんのご主人O村さん、三女R子おばさんのご主人のS井さん、そして幼い頃いっしょに遊んでくれた四女K子N子おばさん(そう呼んでいた)のご主人N淵さん、いいちこの犯人はこの五人だろう。T家はおじいちゃんを筆頭に酒豪だが、類は類なのかよくも集まったものだ。この人達の前では、自分は赤子だろう。
「S君のお父さんはね、さっきあそこで、躓いてひっくり返ったンダヨ」
おいおいまたか?今年9月に自転車でひっくり返って硬膜下血種とかで手術したばかりなのに…。あきれて親爺を見ると、今まさに奇跡の生還を果たしたかのように、目の前でその話を始めている。反省してないのか、学習能力がなくなったのか。聞いてくれることをいいことに壊れたレコードになっている。到着が遅かったな。今更この酒豪の集まりに追いつくのは無理だ。どうやらこの御仁達はここで朝までなんだろう。一杯目のビールを飲み干すと、いとこのYに合図した。
つづく
唐突ですが、明日宮崎に行ってきます。
九州を尋ねるのは10年ぶりです。
留守のあいだは更新出来ないかも・・・。
そこで、祖母が亡くなり、尋ねた時の想いを書き留めた10年前の文章を掲載したいと思います。
長々とした文章ですがお付き合い下さいませ。
二章は、結局着手出来ませんでした。
で三章は昨年ご紹介させていただいたものです。
第三章
一節
二節
三節
お時間があるときにでもどうぞ。
それでは、第一章の始まりです。
九州へ(第一章)
その電話が鳴ったのは、まだ布団の中だった。
何時だろう?
また娘への電話だろうか、今年中学になった長女は親から言うのはなんだが、変なとこに真面目でソフトボールの朝練を休んだことがない。
同期のクラブメイトは、仮病か本当に調子悪いのか、よく連絡係りに使うのである。
「おーい、またA加じゃないのか!」
まあいいか…早起きは三文の得だ。新聞を取りに行こうと玄関へと向かった。
「お父さん!おじいちゃんからだよ」
A加がいうおじいちゃんとは、もちろん私の父である。新聞も取らずに慌てて引き返した。
「もしもし、Sか?おばあちゃんが今朝亡くなった!おまえ今日会社休めるか?」
「…」
近い将来そんな電話が来るだろう、とは予感していたが祖父の方だろうと思っていた。確か祖父は94歳、祖母は90歳位だろうか、福岡で病院とケアハウスに別れて生活していたはずだ。いずれにしても大往生だ。受話器を置くとこれからの行動を寝起きの頭の中で思い描いた。
会社はすぐには休めない。昼まで仕事をして午後から休むことにした。妻は慌ただしく旅の準備に取りかかるが、子供達の学校の仕度と重なり思うように捗らない。一度戻ろう私はそう決めて家を出た。11月20日の朝である。
外は、澄みきった秋晴れだった。11月中旬にしては寒くもなく、なんと爽やかなことか、生前のその人の生き方は天気に表れるというが、少ない記憶の中おばあちゃんの人柄を思ってみた。長身で凛とした姿勢、そして慎ましやかな笑顔、幼い頃の記憶の中でおばあちゃんの声が鮮明に蘇ってくる。最後に会ったのはいつだっただろうか。結婚して2年目の風林会の時かな、だとするともう14年も経つ事になる。「今年こそ遊びに行きます。」毎年、年賀状にはそう書いていたんだ。埼京線の殺人的な通勤ラッシュの中で福岡までの遠さを思った。
始業一時間前の会社は、まばらだが来ている人はいてPCの画面を覗いていた。博多までだと、今週一杯休むことになる。週末は三連休だから六日間だ。昨晩記しておいた予定表を軌道修正しながら引継ぎ書を作成した。午前中はあっという間だった。いつもこんな姿勢で仕事に取り組んでいたらもっと出世するだろうに・・。
「課長、飛行機予約したんですか?。まだなら、ネットで取りましょうか?」部下のM沢が、聞いてきた。
「いや、新幹線で行く。飛行機嫌いなんだ」
「マジですか!新幹線何時間かかると思ってるんですか?空だと一時間半ですよ!信じられない!課長新幹線だって!」
9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ、飛行機嫌いにとってはなおのこと過剰になるだろう。韓国への社員旅行だって大阪観光のグループにしたのだから・・。説得しようと駅すぱあとで調べ始めた彼に声を掛けた。
「なあ、のぞみだったら何時に、東京駅かな?」
家に帰ったのは2時過ぎだった。15時58分ののぞみ21号。九時頃の到着だ。何泊するのか決めてないがスーツと礼服、下着は2枚普段着一着、大荷物が嫌いな私はこれでよしとした。浦和の駅まで、妻と三歳になる次女のCが見送ってくれた。
「パパ行ってらったい!」
そうなんだよ!だから飛行機で行かないんだ。万が一だろうが憶だろうが落ちてこの子に会えなくなったら大変なことだ。そう自分を納得させながら手を振った。
仕事中の東京駅とは違って見えた。自分は今から新幹線に乗るんだという高揚感が確かに心を支配している。祖母のお葬式に出向くのに随分不謹慎ではあるが、出張の少ない会社に勤めているとそうそう新幹線に乗る機会もない。ホームまでのエスカレーターがもどかしいくらいだ。500系だ!世界最速の先がロケットみたいなやつ、まるで子供である。おのぼりさんになららない様にと注意しながらも先頭まで歩いてみた。
定刻通り銀色の車体は滑り出した。窓際の座席に腰を沈める。リクライニングにすると思ったよりゆったりしている。夕暮れには、まだ時間があるが富士山まで持つだろうか。見渡すと平日からかサラリーマンが多い。雑誌を眺める人、待ちきれず缶ビールを手にする人、モバイルPCを触っている人、移動の時を思い思い過ごそうとしている。旅慣れた人ばかりに見えてくる。なんだか日頃の自分の仕事がちっぽけに思えてくる。飛行機に乗るともっとそう感じるだろうか、ここに同乗した人皆、日本を世界をまたに掛けて働いている人に見えてくる。いかん、いかん別に「何年ぶりに新幹線乗ってます」ってタスキ掛けてる訳じゃないし…。萎縮しかけた心にはっぱをかけるようにビールを注文した。
熱海を過ぎた頃だろうか、すでに遠くの山あいは薄暗く稜線のシルエットが美しい。樹々のあいまに民家の明かりが点在し暮れ行く一日を告げようとしている。この小さな明かりの下で思い思いの生活があるのだろうな。そんなこと考えてる内2本目のビールと列車の揺れは催眠効果として充分だった。
つづく
九州を尋ねるのは10年ぶりです。
留守のあいだは更新出来ないかも・・・。
そこで、祖母が亡くなり、尋ねた時の想いを書き留めた10年前の文章を掲載したいと思います。
長々とした文章ですがお付き合い下さいませ。
二章は、結局着手出来ませんでした。
で三章は昨年ご紹介させていただいたものです。
第三章
一節
二節
三節
お時間があるときにでもどうぞ。
それでは、第一章の始まりです。
九州へ(第一章)
その電話が鳴ったのは、まだ布団の中だった。
何時だろう?
また娘への電話だろうか、今年中学になった長女は親から言うのはなんだが、変なとこに真面目でソフトボールの朝練を休んだことがない。
同期のクラブメイトは、仮病か本当に調子悪いのか、よく連絡係りに使うのである。
「おーい、またA加じゃないのか!」
まあいいか…早起きは三文の得だ。新聞を取りに行こうと玄関へと向かった。
「お父さん!おじいちゃんからだよ」
A加がいうおじいちゃんとは、もちろん私の父である。新聞も取らずに慌てて引き返した。
「もしもし、Sか?おばあちゃんが今朝亡くなった!おまえ今日会社休めるか?」
「…」
近い将来そんな電話が来るだろう、とは予感していたが祖父の方だろうと思っていた。確か祖父は94歳、祖母は90歳位だろうか、福岡で病院とケアハウスに別れて生活していたはずだ。いずれにしても大往生だ。受話器を置くとこれからの行動を寝起きの頭の中で思い描いた。
会社はすぐには休めない。昼まで仕事をして午後から休むことにした。妻は慌ただしく旅の準備に取りかかるが、子供達の学校の仕度と重なり思うように捗らない。一度戻ろう私はそう決めて家を出た。11月20日の朝である。
外は、澄みきった秋晴れだった。11月中旬にしては寒くもなく、なんと爽やかなことか、生前のその人の生き方は天気に表れるというが、少ない記憶の中おばあちゃんの人柄を思ってみた。長身で凛とした姿勢、そして慎ましやかな笑顔、幼い頃の記憶の中でおばあちゃんの声が鮮明に蘇ってくる。最後に会ったのはいつだっただろうか。結婚して2年目の風林会の時かな、だとするともう14年も経つ事になる。「今年こそ遊びに行きます。」毎年、年賀状にはそう書いていたんだ。埼京線の殺人的な通勤ラッシュの中で福岡までの遠さを思った。
始業一時間前の会社は、まばらだが来ている人はいてPCの画面を覗いていた。博多までだと、今週一杯休むことになる。週末は三連休だから六日間だ。昨晩記しておいた予定表を軌道修正しながら引継ぎ書を作成した。午前中はあっという間だった。いつもこんな姿勢で仕事に取り組んでいたらもっと出世するだろうに・・。
「課長、飛行機予約したんですか?。まだなら、ネットで取りましょうか?」部下のM沢が、聞いてきた。
「いや、新幹線で行く。飛行機嫌いなんだ」
「マジですか!新幹線何時間かかると思ってるんですか?空だと一時間半ですよ!信じられない!課長新幹線だって!」
9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ、飛行機嫌いにとってはなおのこと過剰になるだろう。韓国への社員旅行だって大阪観光のグループにしたのだから・・。説得しようと駅すぱあとで調べ始めた彼に声を掛けた。
「なあ、のぞみだったら何時に、東京駅かな?」
家に帰ったのは2時過ぎだった。15時58分ののぞみ21号。九時頃の到着だ。何泊するのか決めてないがスーツと礼服、下着は2枚普段着一着、大荷物が嫌いな私はこれでよしとした。浦和の駅まで、妻と三歳になる次女のCが見送ってくれた。
「パパ行ってらったい!」
そうなんだよ!だから飛行機で行かないんだ。万が一だろうが憶だろうが落ちてこの子に会えなくなったら大変なことだ。そう自分を納得させながら手を振った。
仕事中の東京駅とは違って見えた。自分は今から新幹線に乗るんだという高揚感が確かに心を支配している。祖母のお葬式に出向くのに随分不謹慎ではあるが、出張の少ない会社に勤めているとそうそう新幹線に乗る機会もない。ホームまでのエスカレーターがもどかしいくらいだ。500系だ!世界最速の先がロケットみたいなやつ、まるで子供である。おのぼりさんになららない様にと注意しながらも先頭まで歩いてみた。
定刻通り銀色の車体は滑り出した。窓際の座席に腰を沈める。リクライニングにすると思ったよりゆったりしている。夕暮れには、まだ時間があるが富士山まで持つだろうか。見渡すと平日からかサラリーマンが多い。雑誌を眺める人、待ちきれず缶ビールを手にする人、モバイルPCを触っている人、移動の時を思い思い過ごそうとしている。旅慣れた人ばかりに見えてくる。なんだか日頃の自分の仕事がちっぽけに思えてくる。飛行機に乗るともっとそう感じるだろうか、ここに同乗した人皆、日本を世界をまたに掛けて働いている人に見えてくる。いかん、いかん別に「何年ぶりに新幹線乗ってます」ってタスキ掛けてる訳じゃないし…。萎縮しかけた心にはっぱをかけるようにビールを注文した。
熱海を過ぎた頃だろうか、すでに遠くの山あいは薄暗く稜線のシルエットが美しい。樹々のあいまに民家の明かりが点在し暮れ行く一日を告げようとしている。この小さな明かりの下で思い思いの生活があるのだろうな。そんなこと考えてる内2本目のビールと列車の揺れは催眠効果として充分だった。
つづく
昨日は、楽しい宴となりました
やっぱり古くからの友人とのひとときは心地良いものです。
でね、道場六三郎のように『本日のメニュー』を書いたものの、
飲む方に重きを置いてしまいました。
だって、台所にたってるとさ、一人ぼっちでしょ。
せっかく久しぶりに会ったので、皆の輪の中に入りたかったのです。
でも食べてもらったの言うと、
お正月の前菜
大根と蛸のサラダ 自家製ドレッシング掛け
エノキと白髪ネギの柚子風味
お正月の筑前煮
煮豚
真鯛のなめろう
鶏肉のトマト煮だけでした。
メインはね、
真鯛の煮付け
和牛の霜降りステーキ
ふわふわ肉団子のゆず鍋
〆におじやだったのです。
皆さんごめんなさい。
余った食材が本日の我が家の夕食となります
お互い顔も体型も変わったけど、
皆の笑顔は一緒でした
やっぱり古くからの友人とのひとときは心地良いものです。
でね、道場六三郎のように『本日のメニュー』を書いたものの、
飲む方に重きを置いてしまいました。
だって、台所にたってるとさ、一人ぼっちでしょ。
せっかく久しぶりに会ったので、皆の輪の中に入りたかったのです。
でも食べてもらったの言うと、
お正月の前菜
大根と蛸のサラダ 自家製ドレッシング掛け
エノキと白髪ネギの柚子風味
お正月の筑前煮
煮豚
真鯛のなめろう
鶏肉のトマト煮だけでした。
メインはね、
真鯛の煮付け
和牛の霜降りステーキ
ふわふわ肉団子のゆず鍋
〆におじやだったのです。
皆さんごめんなさい。
余った食材が本日の我が家の夕食となります
お互い顔も体型も変わったけど、
皆の笑顔は一緒でした