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仏教思想:中国華厳思想概要(その6)

2021-02-24 07:45:34 | 仏教思想
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 中国華厳思想概要の6回目です。3回目までの序に続いて、4回目から本論に入り、まずは『華厳経』について、その意味と構成・主要な章(品名)を取り上げました。そして、前回は主要な三つの品名のうち「十地品」についてみてみました。(過去記事はカテゴリー「仏教思想」から遡及できます。)
 今回は、「十地品」に関連して「三界唯心」について、そして引き続き主要三品名のうち「入法界品」を取り上げます。


2.3.4.三界唯心とは
 三界唯心は十地の第六地(現前地)を特徴づける思想となっていますが、「三界は虚妄にして、但是の心の作なり」という一句に尽くされています。
 そこで、「三界」と「心」について、仏教ではどう解釈されてきたのかをみてみます。
①三界と五趣
 インド仏教においては、あらゆる生きものは、その生存期間中に積み重ねられた行為(業ごう)の如何によって価値の異なる生存様式のあいだを上昇したり下降したりしながら生死をくりかえす(「輪廻転生」)と考えられました。
 三界は、それぞれの生存様式を異にするさまざまな生きものの生存の場(生存領域)の総括した名称であり、それぞれの生きものの生存様式を「五趣」と呼びます。
 小乗仏教・部派仏教の理論学者ヴァスバンドゥ(世親*)の『倶舎論』では、以下(図3)のように説明しています。
 
*世親:部派仏教有部の代表的な理論家であるが、その後兄とともに、「唯識」思想を唱え、「空」思想を体系化した龍樹(ナーガールジュナ)とともに、大乗仏教の代表的な理論家の一人となった。

②「心」:五位と五蘊
『倶舎論』によれば、「心」(意識)は五位や五蘊に分類されています。(下図4参照)
 ・五位:全存在(一切法)の基本的な分類原理
 ・五蘊:五位のうち有為法のみにかんする分類原理 
 

③「三界唯心」のまとめ
 以上をまとめると、以下のように整理できます。
 ・三界に輪廻転生する生きもののあり方は心の所産である
 ・その心は貪欲から生じたまよいの心である
 ・輪廻転生のすがたはまよいの心の所産であるから、まよいの心をなくしさえすれば輪廻から脱却できる
 これらは、アーガマ(原始仏教)、アビダルマ(『倶舎論』)に説かれた仏教の基本テーゼであり、華厳思想の特徴とはいえません。ポイントは、これらのテーゼの『華厳経』における位置づけということになり、それは十地の第六地(現前地)で説かれているということになります。(前回・その6参照)

2.3.5.「入法界品」の意義と十地・八会・三四品の関係
①「入法界品」の意義
 入法界品(にゅうほっかいぼん)は、十地品(じゅうじぼん)とともに菩薩の修行の段階を説いています。会座の第八会に位置し、各会座は複数の品名により構成されていますが、第八会は入法界品のみで構成されています。
 入法界品は、毘盧舎那仏とよばれる法界に充満する真理の場において、その真理を衆生に説き明かそうとする普賢菩薩の願望にもとづき、文殊菩薩の指導に従って、善財童子が菩薩道の師を求めて南方へ遍歴をつづけたあげく、「灌頂地に住する諸仏の長子」として彌勒菩薩にめぐりあうことによって目的を達する、という構成になっています。
 このように、讃仏文学ないし仏伝文学を手がかりとする点では、十地品と軌を一にしながら、十地品のように菩薩の修行段階を論理的に解明するのでなく、菩薩道の構造を比喩的に描き出す形になっています。
 ↓
 『華厳経』の成り立ちはまず入法界品と十地品との巨視的な対応関係が確立されたうえで、十地品の構成にしたがって、全巻の構成がつくられたのではないかと考えられます。(「③八会と華厳三十四品、十地との関係」にて詳細後述)

②「入法界品」にみられる『華厳経』の世界観
 善財童子は五三人の善知識(先生)をたずね仏法の真理を求めました。
 五三人の職業は「海師(かいし)・長者・賢者・婆羅門・外道(仏教以外の宗教を信じる人)・王・道場地神・天・夜神・仙人・比丘尼・女性 など」です。
 ここでは、あらゆる職業の人に参究しています。これは、「人間の価値は出家や在家などの外形の区分になるものではなく、ただ菩薩心の有無によるものであるという『華厳経』の思想を表わしており、思想的にはわれわれ凡人であっても、宗教的願心をもつときには、たとえ日常生活のどんなささいなことでも、社会生活のふとしたできごとであっても、宗教的向上の道に役立たないものはない。」ことを示しています。
「菩提心という立場からは」世間から忘れられ、見捨てられているよう人々の生活や態度にも、無限の精神的教訓が含まれていることを述べているわけです。
 善財童子は、最後に彌勒・文殊・普賢の三菩薩を尋ねて、菩薩行を求めるのに必要な心がまえを問うています。
 弥勒は「浄き真心と知恵がたいせつである」と答える。さらに善財童子は彌勒に求め楼観(ろうかん)の門に入ることを許されます。
→これは『華厳経』の世界観の広大無辺にして、円融相即しているのは、見仏(*)という宗教的体験によって開かれる点を述べたものです。
*見仏の体験とは:『華厳経』に現れた無辺広大の世界観は、単なる夢物語や空想の世界ではない。ほとけの境地に入る三昧である海印正覚(かいいんしょうがく=悟り)の内容を説いたものである。われわれの心が浄(きよ)らかな仏心になりきるとき、ほとけを見ることができる。浄心になりきる方法は=「自我を空ずること」

③八会と華厳三十四品、十地との関係
 六十華厳は三四品から成り立っているが、この三四品は八会(はちえ)にまとめられています。
 八会の「会」とはブッダ(毘盧舎那仏)の説法の場所を意味し、第一会と第二会はブッダが悟りを開いた場所として伝えられているマダカ国の仏蹟、第三会から六会は欲天、第七会(マダカ国)、八会(コサラ国)は再び地上となっています。
 八会と華厳三十四品、十地の果報との関係は(下表16)のとおりとなっており、第一会から六会と十地の初地から七地は軌を一にしています。
 

2.3.6. 十地品・入法界品の意義
 後述のように、『華厳経』の中心思想は「性起品」にみられるように、ほとけの生命の現れを説くが、それだけで本来衆生はほとけ、などということになると、修行はいらないことになります。
 本来ほとけであるところのわれわれ衆生が、無限向上の修行を続けていくのだ、と説いたところに十地品などの意義があるわけです。


 本日はここまでです。本日は、「十地品」の第六地「現前地」の補足説明としての「三界唯心」と六十華厳のまとめとしての第八会・第三四品「入法界品」についてみてきました。
 次回は、『華厳経』の中心思想ともいえる「性起」について取り上げます。しばらくお待ちください。





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