私の机のうえに石のカメとカエルが置いてあります。
石工だった父が造ったもので、大事な形見です。
私が極小さい頃は「墓石」を作っていましたが、小学校5,6年生ごろからは「灯篭」を
造るようになっていました。
理由を聞いたことはないのですが、おそらく、そのころから機械が導入されるようになって、
墓石は大量生産時代に入りだし、零細な我が家では商売にならなくなったからだと想像しています。
ちなみに今では、墓石のほぼ全工程は機械化されており、石工も「職人さん」から「工員さん」と
名前が変わりました。(灯篭や仏像などを造る人はいまでも職人さんです)
そんな灯篭を造りだした時期に、余技で父がよく造っていたのが、カメやカエルでした。
どちらも生きたカメやカエルをスケッチして造ったものです。
カメは近くのお寺の池で私が捕まえてきたもの、カエルは自宅の縁の下に住んでいた「ヒキガエル」
(実家では「イボガエル」と呼んでいました)です。
ヒキガエルは夏の夜になると、よくのそのそと縁の下から這い出してきましたが、愛嬌があってそれなりに
可愛かったですね。
なお、石工は長兄が継いでいますが、兄は灯篭から「野仏」などの創作ものに転身し、一応「石彫家」と
自称する分野を今歩いています。いずれ作品のご紹介をしたいと思います。
石工だった父が造ったもので、大事な形見です。
私が極小さい頃は「墓石」を作っていましたが、小学校5,6年生ごろからは「灯篭」を
造るようになっていました。
理由を聞いたことはないのですが、おそらく、そのころから機械が導入されるようになって、
墓石は大量生産時代に入りだし、零細な我が家では商売にならなくなったからだと想像しています。
ちなみに今では、墓石のほぼ全工程は機械化されており、石工も「職人さん」から「工員さん」と
名前が変わりました。(灯篭や仏像などを造る人はいまでも職人さんです)
そんな灯篭を造りだした時期に、余技で父がよく造っていたのが、カメやカエルでした。
どちらも生きたカメやカエルをスケッチして造ったものです。
カメは近くのお寺の池で私が捕まえてきたもの、カエルは自宅の縁の下に住んでいた「ヒキガエル」
(実家では「イボガエル」と呼んでいました)です。
ヒキガエルは夏の夜になると、よくのそのそと縁の下から這い出してきましたが、愛嬌があってそれなりに
可愛かったですね。
なお、石工は長兄が継いでいますが、兄は灯篭から「野仏」などの創作ものに転身し、一応「石彫家」と
自称する分野を今歩いています。いずれ作品のご紹介をしたいと思います。
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