ウィーン、シュテファン寺院(Stephansdom)。
12世紀半ばから建てられ、14~16世紀頃に今のゴシック様式に改築されました。
門前には馬車が列をなしています。
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古代ローマ時代、ウィーンは帝国領の北の辺境で、
ウィンドボナ(Vindobona)と呼ばれる宿営地がおかれ、
これがウィーンの地名の起源となっているそうです。
中世には、ドナウ河沿いの交易地として発展しましたが、
1155年にオーストリアを治めていたバーベンベルク家が
都をウィーンに移したことで、より都市としての重要性を増していきます。
1221年には、ウィーンは都市特権を獲得しました。
1278年からは、オーストリア公となったハプスブルク家の支配下におかれ、
14世紀には、建設公と称されたルドルフ4世のもとで、ウィーンは大きな発展を遂げました。
この時代にシュテファン寺院(シュテファン大聖堂)、ウィーン大学等が建てられています。
ハプスブルク家はボヘミアやハンガリーを初めとする多くの領土を吸収し、
ドイツの神聖ローマ帝国の帝位を独占していきます。
1529年にはオスマン帝国による第一次ウィーン包囲(1529年)など、
危機的状況に直面しましたが、
ハプスブルク家のもとで帝都ウィーンでは華やかな貴族文化が栄えました。
17世紀末からは旧市街の王宮に加え、離宮シェーンブルン宮殿が郊外に造営されています。
19世紀、産業革命後のウィーンはロンドン、パリ、ベルリンと並ぶ大都市となりました。
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は大規模な都市改造を行い、
市壁を撤去し環状の道路(リング)と置き換え、路面電車を導入し、
歴史主義的建造物やモニュメントを街路に面して配しました。
この改造後を経て、ウィーンは現在の姿となっています。
オーストリア=ハンガリー帝国は多民族国家であり、
帝国各地からあらゆる民族出身の才能が集まり、ウィーン文化は爛熟の時を迎えました。
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シュテファン寺院や旧市街をふくむ歴史地区は、
「ウィーン歴史地区」の名称で2001年にユネスコの世界遺産に登録されています。
ここには旧王宮(ホーフブルク、現在は大統領官邸や国立図書館などとして使用)、
ウィーン国立歌劇場、ブルク劇場、自然史博物館・美術史博物館、
ベルヴェデーレ宮殿等が含まれています。
ウィーン空港にて、預入荷物のピックアップレーンに薔薇の花が。。
空港は近代的でキレイですね
「ドイツ語」の表示に、ドイツの国旗ではなく、
オーストリアの国旗が出てきます。
(赤と白のもの。)
ここからウィーン歴史地区散歩
旧王宮(Hofburg)の一角。
ウィーンの街かど。
路面電車(Ring)。
国立歌劇場(Staatsoper)。
1896年のこけら落としでは、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』が催されました。
学友協会(Musikverein)。
世界に名だたるウィーン・フィルの本拠地でございます。
ベルヴェデーレ宮殿(Belvedere)。
トルコ軍を破ったプリンツ・オイゲン公(1663-1736)の
夏の離宮として造られたもので、「美しい眺め」を意味します。
シュテファン寺院(Stephansdom)、外観と内部。
南塔は高さ137メートルで、ドイツのウルム、ケルンに次いで
世界で3番目の高さを誇ります。
美術史博物館(Kunsthistorisches Museum)。
自然史博物館と一緒の造りです。
両博物館に挟まれている庭園。
木の間からちょこっと見えているのは、修復中のマリア・テレジア像です。
この植木の刈り込み、
面白い形をしています。
どこかで見たような。。
これこれ

コーヒーマシンのカプセルとおんなじ。
今回の写真はとても枚数が多いです。
フォトチャンネルにまとめましたので、お楽しみくださいませ!