tamagoのドイツ滞在記

ドイツ、キールに住んで、体験したことや思ったことを書きとめていくブログです。

church'sの紐靴

2012年10月31日 | 




ヨーロッパは石畳が多いからか、はたまたよく歩いているからか、
靴の消耗が結構激しいです。

驚いたことに、夫の愛用のスニーカーに穴があいてしまいました。

足元が不安定だと、バランスを取ったり体を支えたりするのに、
靴にも負担が大きくなるのかもしれません。
ヒールにはすぐに傷がついてしまうし…


帰国のことを考えると、モノはできるだけ少なく身軽でいたいということで、
靴も普段履きできるものを何足か、ローテーションで使っていたのですが、
ひと夏を経て、持参したシューズが段々と履きつぶされ、
シュークローゼットが様変わりしてきました。


写真は、こちらに来てから入手した英国はchurch's のもの。
色はホワイト×キャメルです。


このようなタイプの靴を履いたとき、
私の場合、黒だと足がずんぐり太く見えてしまいます。
明るい色だと、そんなことはないのですが。。
なぜだろう?足の形によるのかな。


先端がグレージュのパテント素材もあり、少し迷ったのですが、
よりクラシックな感じのするこちらに決めました。


店員さんにサイズを相談したところ、
このタイプの靴は長めに作られているので、
小さめのサイズから履いてみることを勧められました。

試し履きしてみると、長さだけなら
普段よりも1サイズ半下から入り、あとは足幅との兼ね合いです。。

紐靴で調整が効くといっても、
あまり紐を広げず縦長のラインを作ったほうが
すっきり見えるかも、、と思い、ハーフサイズ下のものにしました。


膝下丈で少しふんわりとした皮素材のスカートに、
つなぎになるような色のタイツを合わせた格好で履いています。


もっと寒くなったら、ウールかカシミア素材のパンツに合わせたり、
春~初夏には、淡いブルーグレーのシャツワンピース+靴下という装いも素敵ですね。
そんな服は持ってないけど… 想像するだけ。



先日、年上の知人の御自宅へお招きいただき、この靴を履いていったところ、
その方の目に留まり、いい話題になりました


スパンコールUGG

2012年10月30日 | 




ここ数日、デュッセルドルフでは最低気温は零下をマークしています。


足元をほかほかと温めてくれるムートンブーツはドイツの冬の必須アイテムです。
ぽてっした見た目がどうもね、という意見は根強くあるものの、
厳寒には、たいへん心強い存在です。。


今年のムートンブーツは、スパンコール付きのUGGでいこうと思います。
単品で見ると派手に見えるところですが、
冬服のグレー~黒のトーンに合わせると、
溶け込みながらもポイントになってくれます。

ちょっと前に、街中で年配の女性が
落ち着いたグレーのニットポンチョ、黒のスティックパンツに
このスパンコールUGGをコーディネートして颯爽と歩いていらっしゃり、
とても素敵だなと思いました。

スパンコールが表面に施されているので、
雨等による染みを気にしなくて良いのもgoodです。


ちゃくちゃくと冬支度は進む…

Geox のヒールローファー

2012年10月30日 | 




“Geox”の靴はヨーロッパでとても人気で、
ドイツでも、一都市に一店舗は必ずあるといっても良いくらいです。


「呼吸する靴」という宣伝文句の通り、
汗や熱を逃がす機能が売りのメーカーです。

例えば、写真のようなゴム底のものだと、
ラバーソールに装着されたメンブレン(保護膜)のミクロの孔が汗を外へ排出し、
通気性良く、靴内をドライで快適に保つことが謳われています。


先日の記事で書いたように、こちらにいるメリットを活かして、
そこそこの価格と見た目で履きやすい靴を見つけたいと思います。


チェックしていたメーカーのなかで筆頭だったGeoxをいざ。


ショップで何足か気になるものを試し履きさせてもらったところ、
うーん、、ヨーロッパのものだけあって、幅広には厳しい仕様

フラットなスリッポン系はどうにも型が合わないです。
サイズをかなり上げないと入らないし、
入っても足の甲部分にシワがよってしまう。。

バレエシューズという手もありますが、
もう少し足元にボリュームが出るものを探していたこともあって、
足あたりの良いスウェード地で、ヒール付きのローファータイプを選びました。




横からみた感じ。
秋冬の重厚な洋服にも合わせやすいです。
やはり細身なので、普段よりハーフサイズ上を購入しました。



*** 感想 ***

独特な履き心地です。

たしかに蒸れ難いと思います。
朝に履いて外出し、夕方帰宅して靴を脱いだ時でも、
靴の中が少し温まっている程度です。

ただ、このテクノロジーのためか靴底がかなり固く、反りや弾力は望めません。
歩いていると結構振動が響きます。

足首や膝、腰に衝撃が伝わってしまい、ちょっと大丈夫かな?
あまり長距離を歩くのは控えたほうが良さそう。


靴の内側が悪目立ちしない&汚れが目立たない色というのはポイント高いです。
白とかうすーいベージュだと、履くのが心配になってしまうので


靴底にもう少しクッション性があれば…。
機能と履き心地は両立しないものでしょうか。

ハロウィンのウィンドウに思う

2012年10月29日 | 小話




お菓子屋さんのショーウィンドウ、可愛いですね。
ハロウィンも直前になりました。

こうしたイベントや、街路樹の紅葉と、
どこにいても季節は実感できるものです


…。

先日ふと、どうも私は季節感を
かなり懸命に探し求めてしまうのかなと思いました。


理由は2つあって、

うまく説明するのが難しいのですが、、つまり、、、


1つめは、

日本には四季がある。四季がある。四季がある。

という刷り込みによって、というところがあるかもしれないということ。
もしかすると四季には“美しい”という形容がされるかもしれません。

刷り込みという言葉はちょっとキツいかな…;
うむむ、悪く思っている訳では決してないのです。



そして2つめは、

季節感を鋭敏に感じら取れない奴は野暮である。

と、どこかで思っていて、
誰かに悟られるのはもちろん、自覚するのにも
少し恐怖に似た感情をもっているのではないか、ということです。



夏季と冬季で気温の差がある地域ならば、
当然その間の季節としての春や秋もあり得ます。

四季がない国のほうが、もしかすると少ないのではないでしょうか。


それにもかかわらず、他国に比べて
日本人は季節の移り変わりにとても敏感のように思います。


実際の季節感という点でもそうですが、
例えば、お嬢さんたちのネイルを考えてみてください

あまり華やかなのは評判がよろしくない、ということも耳にしますが、
季節に応じた色、柄、パーツなど、他に類を見ない充実っぷりに目を見張ります。
爪のあんなにちっちゃな面積に、小宇宙といっても良いくらいの世界観。


他の国でもネイルは流行っているものの、

季節を少し先取りするところや、
小さきものに神経を行き渡らせるところ、
洒落や遊びを取り入れる感覚、
同じモティーフでも他の人とは少し違えて個性を出すことが好まれるところ等、

昔のおしゃれを感じさせるというか、、
着物の柄や色合わせの文化を受け継いでいるように思えてならないのです。


季節に応じた細やかな意匠が好まれるというのは、
今日の日本人に共通する感性なのでしょうか。

   



おそらく、このような感性は比較的新しいものなのでしょう。
明治、江戸、それより以前、、一概に論じるのは難しいですが、

農耕において古くから季節は重要ではあったものの、
季節を風流さや遊びと結び付けて取り入れられるのは、
ごく僅かな時間的、経済的に余裕のある人々であったでしょうから。

前出の着物を考えても、
意匠を凝らした晴着や小間物を用意できた人は果たしてどのくらいいたのか。


そう考えると、
かつては特権的であった美意識を隅々まで行き渡らせ、
日本はいわば「内なる文化政策」(なんだそりゃ)に
非常に成功したといえるのかもしれません。

四季の変化や良さが分からなければ、
なんとなく日本人失格の烙印が押されてしまうように思えるまで。


それなら、
一体いつこうした感性は共有されるようになったのか、
媒体は何だったのか、
政治や経済、宗教は関係してくるのか、、、
様々な???が浮かびます。


…。

あらら、
思索にふけるなんて、なんてドイツっぽいんでしょ


そうそう、こちらでは今でも帽子が根付いていて、
(それだけ寒いということもありそう…。)
帽子屋さんのディスプレイも素敵なんですよ!




紳士帽、ダンディです。




オータムカラーの婦人帽


うーん、やっぱり季節感を求めてしまいます。。

今日から冬時間

2012年10月28日 | 生活


ドイツでは本日から冬時間が始まります。


サマータイムより、一時間繰り下がるので、
日本との時差は8時間になります。

今こちらはお昼の11時半なので、
日本は夜7時半、という感じです。


夏時間や冬時間、、推理小説のなかでしか知らなかったので、
実際に切り替えを経験できると、なんだかワクワクしてしまいます
(アリバイ工作に使われる、アレね。)


最近、日が出るのが朝の7時半くらいだったので、
起床しても暗く、怖い…と思っていたのですが、
今日7時に目が覚めた時には空が明るかったので、ほっとしました。

10月にはいってから、
しばらくは、秋らしい穏やかな陽気が続いていましたが、
ここ数日、気温がぐっと下がり、最低気温が零下になっています
昨日のベルリンやミュンヘンでは、今季初の雪が降りました

デュッセルドルフでは、実感として、
日本にいた頃の年末~お正月のような天気に思えます。


体調に十分気をつけて冬を乗りきらないと。。
皆さまも、風邪などお気をつけくださいね



睡眠時間の謎

2012年10月26日 | 美容と健康




うう、そんな目で見るのは止してください…。
10時間寝たって良いじゃありませんか。


私はいわゆる長時間睡眠者というやつで、
ほっておくと15時間くらい寝てしまいます。


かつてホームステイ先で、
ロングスリーパーという嫌なあだ名を付けられそうになったことが。。




2008年の世界17カ国における平均睡眠時間の調査において、
日本の平均睡眠時間は一番短い6.4時間、ドイツはそれに次ぐ6.8時間だそうです。
(ウォルト・ディズニー・ジャパンの調査より。)


こちらでは、大学の1限は朝8時~です。
ちょっと早すぎてびっくりです…。

そういえば、スーパーも朝8時開店のところが多く見られます。

勤勉なイメージは伊達ではないですね。。






ナポレオンのように、3時間睡眠とまではいかずとも、
睡眠は、6~7時間くらいで十分!という人のなかで、

自分は病気か、さもなければ残念な人に違いないとがっかりしていたところ、
アインシュタインも一日10時間以上眠っていたということを知りまして、


ちょっと舞い上がってしまいました。





「いっぱい寝ますけども、何か?」





………、


なんだかやっぱり、大食らいが開き直ってるみたい。。
現実的に学校や会社に差し障ってきますしね。。


睡眠時間の個人差は科学的に理由付けるのが難しいらしいです。


今日、夫と話していたところ、
もしかすると私の生活サイクルは24時間でなはく、
36時間くらいなのではないか?というアイデアが。


おおっ


そういえば、起きてからの活動時間も長めのような気がする!
結構、辻褄のあう試案です。

他の長時間睡眠者さんたちはどうなのでしょうか?
気になる…。




タージ・マハル

2012年10月25日 | オーストリア




夜のタージ・マハル、池に写って綺麗ですね。








冗談冗談






ウィーンのカールス教会(Karlskirche)。
ペストの鎮静を祈願して1716年に建設が開始され、1739年に完成しました。

設計は、ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エアラッハ
(Johann Bernhard Fischer von Erlach; 1656-1723)。
シェーンブルン宮殿も、当初の設計は彼によるものでした。







教会内、ドーム上部。
途中まではエレベーター、最後は階段でのぼれます。

壁画、天井画は、ヨハン・ミハイル・ロットマイヤー(Johann Michael Rottmayr; 1656-1730)。
このような視覚のイリュージョンを得意としました。


一番上は、三位一体の精霊の象徴、鳩が描かれています。
のぼったのは良いのですが、、階段が不安定で怖いです

意外とながい虎の舌

2012年10月24日 | その他





ドイツ西部フランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)の動物園で、
トラが大きな舌を突き出しているところが撮影された。
【10月16日 AFP】





虎の舌って、こんなに長かったのね。。
…という感心よりも、このニュース、、平和な国?

大きな写真は、こちらのリンクからどうぞ。

どうなる電力事情

2012年10月24日 | 生活




原子力発電から風力発電へ。
ドイツでよく見かける広告です。


反原発の立場を表明しているドイツですが、
再生可能エネルギー普及の費用が消費者の電気代に上乗せされていて、
電気料金の値上げが重なり、値上げに反対する国民の姿が連日報道されています。


実感として、ドイツの電気料金は日本の1.5倍ほど。
安心はやはりお金を出して手に入れるものなのか。。


さらに、風力と並んで再生可能エネルギーの主軸と目されていた
太陽光事業からドイツの総合電機大手シーメンスが撤退するというニュースが。
「環境の変化や低い成長性、強い価格押し下げ圧力で、太陽光発電市場への期待は満たされなかった」
という声明がシーメンス社から出されました。


ドイツでは、かつて太陽光発電で世界最大手だったQセルズが今年4月に破産申請し、
買収されるなど、撤退企業が相次いでいるそうです。
詳しくは、ブログのブックマークにもあるドイツニュースダイジェストをご覧ください。


太陽光発電というと、、次世代エネルギーの象徴というか、
無限の将来性があるように思っていたので、とても驚いています。

このイメージは子ども時代に講読していた『毎日の科学』に端を発しているに違いありません。




おおっ!このCMなつかしい
 まだかなまだかな~♪ 学研のおばちゃんまだかな~♪


環境問題のトピックでは、おおかた未来への希望としてソーラーエネルギーが紹介されていました。
「ピラミッドのかがく」とか、「恐竜絶滅のなぞ」とか、いろいろ面白かったな。
付録には、カブトエビがついてきたり。。
この生物は成長過程で脱皮して、 ←こんなだったような覚えが。。


おとと、話が逸れました
ついでに驚いたことを挙げると、ドイツは原発推進国のフランスから電気を購入しています。

この件については、様々な意見があり、
供給は国内の発電で足りているのだけれども、お付き合いで買っているのだというものや、
エコを前面に打ち出しても電気はまかないきれないから買っているというものもあり、

原発推進派、反原発両陣営をはじめとして、様々な人が様々な事を言っています。
本当のところはうーん、どうなんでしょう。。
言葉の壁もあり、調べるのは難しそう。
ただ、脱原発は新しいエネルギー政策なので、
保険として電力供給源を確保しているという見方は妥当のような気がします



こちらでは、決まったことに従うのみですが、
日本のこれからは、いったいどうなるのでしょう。。

電気料金値上げは既に始まっていることですが、
料金プラス開発費で大幅に値上げすることになったら、大反対は起こるのかな。
もし電力が足りなくなったら、日本はどこから電気を輸入するのか。。


あんまり可愛くて

2012年10月23日 | 小話




こちら、少女時代のマリア・テレジアの肖像。
あんまり可愛く描かれていたもので掲載。。
(絵は部分図です。)

軽いミーハー心も手伝って、ファンだということを認めなければなりますまい。


マリア・テレジアは女帝といわれますが、
神聖ローマ帝国は女子が皇帝となることを認めていなかったため、
正確な立場は、ハプスブルク世襲領の女主ということになります。

彼女の父君、カール6世は神聖ローマ皇帝として帝国の最大版図を築きましたが、
嫡男に恵まれず、長女マリア・テレジアを相続人とすると順位法を発布しました。

しかし、いざカール6世が倒れると、
女性が帝冠するのを認めず、ハプスブルクは断絶したとして、
プロイセン、フランス、スペイン、バイエルン、ザクセンらが戦争を仕掛けてきます

ヨーロッパ各国のみならず、新世界をも巻き込んだ一連の動きは、
オーストリア継承戦争として語られます。
(世界史の授業を思い出しますね…。)


当時のプロイセン王は、こちらの記事のフリードリヒ大王です。
本当かどうかはさておいて、大王には「女嫌い」のイメージがつきまとい、
ロシアのエリザヴェータ女帝やフランスのポンパドゥール夫人とも敵対することになるも、
現在では、ゲイ・カルチャーにおいて、おおいにリスペクトされています。




フランス国王、ルイ15世(1710-1774)。
1744年にオーストリア領ネーデルラント(現在のベルギー)に侵攻しますが、
マリア・テレジアの親仏政策により、オーストリアの強力な同盟国となります。




スペイン王フェリペ5世(1683-1746)。
フランス、ブルボン家出身。
スペイン継承戦争をくぐり抜け、スペイン・ブルボン朝を開いた人物です。
北イタリア、ミラノ領をめぐってオーストリアと対立しました。




バイエルン選帝侯、カール・アルブレヒト(1697-1745)。
秘密同盟を盾にフランスとともにオーストリアへ侵攻し、
1742~48年の間、神聖ローマ皇帝カール7世を名乗ります。




ザクセン選帝侯、フリードリヒ・アウグスト2世(1696-1763)。
ハプスブルク家領であったベーメン(ボヘミア)の継承を主張してベーメンに侵攻。
しかし、後年はマリア・テレジアとともに、対プロイセンの立場をとります。




マリア・テレジアは、ハンガリーとの同盟を取り付け憤然と戦いぬき、
夫をフランツ1世として神聖ローマ皇帝に即位させます。


その後、実質的な女帝として国を安定させ、近代化を推し進め、
またロレーヌ公子息であったフランツ1世とのあいだに16人の子どもをもうけ、
婚姻によって隣国との同盟を強化していきます。

まさに国の母というべき人物です。。





マルティン・ファン・マイテンス《フリードリヒ1世の肖像》ウィーン美術史美術館、1745年。

夫君フランツ1世は妻の影に隠れがちですが、
財務関連に手腕を発揮し、戦争で疲弊した国庫を立て直した他、
自然科学や古代研究に大変興味をもち、貴重なコレクションを遺しました。
これらのコレクションについては、こちらの記事をご覧ください。



さて、マリア・テレジアの表象という観点からみると、
幼少期~少女時代にみる肖像画が可憐で愛らしい、ほっそりした姿なのに対して、
政治に携わるようになってからは、非常に恰幅の良い、堂々とした姿に変わっています。

これは、もちろん実際の容姿の変化ということもあるのでしょうが、
押しも押されぬ君主の姿を示す必要があったということも十分に考えられるでしょう。
また、女帝の肖像画が出まわることによって、それを見た人々が、
貴婦人を敬愛し守るという、騎士道精神を揺さぶられたのやもしれませぬ。。


その後のマリア・テレジアの肖像については、後の記事でアップしますね


…華々しい戦果や功績も、被支配地や被植民地を考えると、
うむむ、少し複雑ではあります。