デュッセルドルフでは毎年7月後半に、キルメス(Kirmess)と呼ばれる移動遊園地がライン河畔にやってきます。
キルメスという言葉にひっかかるものを覚えて少し調べてみたところ、古い歴史があることが分かりました。
ちょっと触れてみますね。

ドイツ語で教会はキルヒェ(Kirche)といいます。
キルメスという言葉は、教会の建立を記念して、市(messe)で催されていた祝祭に由来しています。
このように、キル○○といった祝祭、カーニバルはドイツ各地に存在し、
その地での習慣と結びついて地方色豊かな様相がみられます。
ここデュッセルドルフのキルメスについては、以下のような由来があります。
現在のドイツにあたる地域は、長い間領邦国家が分立していましたが、
デュッセルドルフの成立は12世紀頃まで遡ることができ、13世紀後半には都市として特権を認められています。
14世紀、デュッセルドルフは聖アポリナリス(聖ペテロの弟子で、AD200年頃ラヴェンナの初代司教となった)の聖遺物を獲得し、
聖ランベルトゥス教会(St. Lambertus Kirche)教会を建立して聖遺物を納め、アポリナリスを街の守護聖人としました。

この方。イタリア、ラヴェンナのサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂にあるモザイク画(6世紀半ば)より。
アポリナリスが射撃の守護聖人であったことにちなみ、デュッセルドルフでは聖アポリナリスの日である7月23日に射撃大会が行われることが伝統となっています。
ちなみに、移動遊園地は現在、聖セバスティアヌス射撃クラブが主催しています。
(クラブに名前が冠されているセバスティアヌスは弓で射られて殉教したことから、射撃の守護聖人の一人とされています。)
教会堂(聖遺物含む)は、現在でも残っており、デュッセルドルフの古き良きシンボルとして親しまれています。

こちら。ライン川沿いにあります。
ちょうど遊園地の対岸付近ですね。
簡単ですが、こんなところで。。
さて、移動遊園地と聞いて侮るなかれ。これがなかなか大したものです。
様子は、後日アップします。
キルメスという言葉にひっかかるものを覚えて少し調べてみたところ、古い歴史があることが分かりました。
ちょっと触れてみますね。












ドイツ語で教会はキルヒェ(Kirche)といいます。
キルメスという言葉は、教会の建立を記念して、市(messe)で催されていた祝祭に由来しています。
このように、キル○○といった祝祭、カーニバルはドイツ各地に存在し、
その地での習慣と結びついて地方色豊かな様相がみられます。
ここデュッセルドルフのキルメスについては、以下のような由来があります。
現在のドイツにあたる地域は、長い間領邦国家が分立していましたが、
デュッセルドルフの成立は12世紀頃まで遡ることができ、13世紀後半には都市として特権を認められています。
14世紀、デュッセルドルフは聖アポリナリス(聖ペテロの弟子で、AD200年頃ラヴェンナの初代司教となった)の聖遺物を獲得し、
聖ランベルトゥス教会(St. Lambertus Kirche)教会を建立して聖遺物を納め、アポリナリスを街の守護聖人としました。

この方。イタリア、ラヴェンナのサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂にあるモザイク画(6世紀半ば)より。
アポリナリスが射撃の守護聖人であったことにちなみ、デュッセルドルフでは聖アポリナリスの日である7月23日に射撃大会が行われることが伝統となっています。
ちなみに、移動遊園地は現在、聖セバスティアヌス射撃クラブが主催しています。
(クラブに名前が冠されているセバスティアヌスは弓で射られて殉教したことから、射撃の守護聖人の一人とされています。)
教会堂(聖遺物含む)は、現在でも残っており、デュッセルドルフの古き良きシンボルとして親しまれています。

こちら。ライン川沿いにあります。
ちょうど遊園地の対岸付近ですね。
簡単ですが、こんなところで。。
さて、移動遊園地と聞いて侮るなかれ。これがなかなか大したものです。
様子は、後日アップします。