ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

“裏切り者”石破氏の党内評価急落…「ポスト安倍」争い、岸田氏が逆転リード

2017-08-02 09:04:36 | 社会
ソースから

稲田朋美防衛相の辞任に絡み、安倍晋三首相の後継をめぐる「ポスト安倍」争いに異変が生じている。世論調査では、石破茂元幹事長がリードしていたが、党内的には岸田文雄外相の評価が急上昇しているのだ。外相と防衛相を兼務して存在感を高める岸田氏と、過去の「裏切り者」のレッテルが復活しつつある石破氏。8月3日の内閣改造・自民党役員人事をにらみながら、党内序列も激変しそうだ。

 これまで、自民党内では「ポスト安倍」について、「岸田氏と石破氏が競い合い、非常時の緊急避難としては麻生氏」(中堅)とみられてきた。だが、「森友・加計学園」問題や、南スーダンPKO(国連平和維持活動)の日報問題を経て、党内の評価は変わった。

 官邸関係者は「政府与党の危機に、岸田氏は『一致結束して安倍政権を支える』と公言している。これに対し、石破氏はメディアに登場して政権批判を繰り返し、後ろから鉄砲を撃っている。石破氏はかつて自民党を離党し、あの小沢一郎氏(現・自由党代表)と行動をともにした。また、『先祖返り』しているのではないか」と語る。

 石破氏は、自民党が下野するきっかけになった1993年6月の宮沢喜一内閣に対する内閣不信任案に賛成した。解散総選挙後に成立した細川護煕内閣が、同年11月に提出した小選挙区制の導入などを柱とした「政治改革4法案」にも賛成し、役職停止処分などを受けた。当時の自民党幹事長は森喜朗元首相。その後、自民党を離党し、小沢氏らの新進党の結成に参画した。

 自民党ベテラン秘書は「石破氏は自民党が野党のときに出ていき、与党のときに戻ってきた。つまり『裏切り者』だ。ドイツの哲学者ヘーゲルは『歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は茶番として』と言ったが、安倍首相の苦境、自民党の危機を利用して、けしからぬことを考えている可能性がある。世論調査と正反対で、石破氏の党内評価は急落している。今の動きが『茶番』にならなければよいが…」と分析した。


俳優イ・ジョンヒョンの過去のエピソードが、、

2017-08-02 09:01:54 | 社会
ソースから

映画「軍艦島」が封切り6日間で450万の観客を集めて熱風を起こしているなか、俳優イ・ジョンヒョンの過去のエピソードが再照明されています。

イ・ジョンヒョンが日本でも大人気だった2004年、日本の新年特集番組NHK「紅白歌合戦」に韓服を着て出演しました。

当時、「紅白歌合戦」製作スタッフはイ・ジョンヒョンに日本伝統衣装の着物を着て欲しいと頼みましたが、イ・ジョンヒョンはこれを拒否して準備していた韓服を着て出演しました。

イ・ジョンヒョンは他の放送の出演禁止まで覚悟しての行動でしたが、思いのほか日本放送関係者や国内ネチズンから好評で「韓服特集番組」まで製作されるなど反応が熱かったです。

これについてイ・ジョンヒョンは2011年、ある放送で「韓服を着ることによってさらに外信記者の注目を多く受け、反応もとても良くて韓国人という自負心が持てた」と話して韓服に対する愛情を表わしました。

イ・ジョンヒョンは映画「軍艦島」で日本軍慰安婦被害者役

「今井絵理子」略奪不倫の市議、結婚生活は破綻の嘘 報道前日に「離婚届に判を押せ」

2017-08-02 08:47:59 | 社会
自分の婚姻関係は4~5年前から破綻している  って?

2歳の子供がいるのに?

奥さんも不倫?

どうでもいいけど

こんな人たちが日本国民の代表なんですよね。

日本って終わってる。。




ソースから


今井絵理子・参議院議員(33)との不倫により、一躍全国的にその名が知られることになった橋本健・神戸市議会議員。「週刊新潮」報道の前日に、驚きの行動に出ていた。



 ***
 今回の騒動について橋本氏が行った「釈明」を要約すれば、

〈自分の婚姻関係は4~5年前から破綻している〉
〈既に破綻している婚姻関係は自由恋愛を妨げないと認識した〉

 しかし、その“婚姻関係は破綻していた”というストーリーを「まったくの嘘」と指摘するのは、橋本氏の妻の近しい知人だ。

 知人によれば、以前より橋本氏は外泊を繰り返していたものの、妻と子の待つ自宅には時折帰っており、別居状態でもなければ離婚の合意もない状態にあった。ところが、

「去年の8月になって、突然、橋本が離婚の申し出をしてきた。そして、9月になると、いきなり近くにマンションを借り、家を出ていってしまったんです」

 昨年8月9月といえば、橋本氏が今井議員と出会って4カ月目、今井議員が当選した参院選の直後に当たる。これにつづいて今年3月に離婚調停を申し立てた橋本氏だったが、「週刊新潮」が発売される前日の7月26日になり、突如妻に“会いたい”と連絡をしたという。

「代わって弁護士が会うと、何と言ったと思いますか? “離婚届に判を押してくれ”ですよ。そんなことは出来ない、と弁護士は席を立ったんです」
 記事が出る前日に離婚を成立させ、不倫ではないと強弁し、虚偽の「婚姻破綻ストーリー」を補強しようとしたのだろう。一連の経緯について橋本氏に取材を申し込むと、「記者会見でお話しさせていただいたとおりです」と回答。妻や2人の子どものことは考えず、頭にあるのは自分と今井議員の“保身”だけ。人として「一線を越えた」卑しさを十二分に感じさせる。

 ***

8月2日発売の「週刊新潮」では、橋本氏の妻が送った「抗議文」の存在や、不倫に公金を使う今井議員の行状とあわせ、詳しく報じる。
 
 2人の「手つなぎ」関連動画も公開中。

日本国家の真相は

2017-08-02 06:11:40 | 社会
ソースから


日本国家の真相は、
明治維新で長州藩田布施一味に国家を乗っ取られたということであることが解る。

長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。
熊毛郡の田布施町を中心にしている。
ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。
大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。
むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。

小泉前首相の父・純也は、
鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。
鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人である。

小泉純也は上京して
小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって
「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。
小泉の次に安倍政権、そのいずれもが
朝鮮人だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。

ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、
連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。
ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。
例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、
外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別を調査させている。

『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。

「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。

尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。

かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、……激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。

わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。
奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。

もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。
志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。
今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。
(益田勝実『天皇史の一面』より)」

益田勝実は長州の国家老一族である。
だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。

その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、
つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、
孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、明治天皇となった真相を突いたのだ。

『日本のいちばん醜い日』では、
「大室寅之助は田布施の生まれ、
……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と
「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。

また宮本顕治(日本共産党)も一族。
そして、木戸幸一も系図に入ってくる。
京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。

そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。
この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。
また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。
あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。

……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。むしろ、北朝鮮系の被差別民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より)明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。

鬼塚氏も書いているが、瀬戸内海の沿岸や島々には被差別が多い。
そこからアメリカや中南米に移民として行かされた人も多い。
「家船漁民」といって、船上で暮らす人々も瀬戸内地方には多かった。
いずれも彼らはマレーシア方面から漂着した平家系の民であろう。

源平の戦いがあった平安末期、貴族となって権勢を誇った平清盛一族は、(八切止夫によれば)マレーシア方面から比較的新しく紀伊半島に“鉄器を持って” 漂着した部族であった。

その彼ら貴族化した平家を、それ以前に土着していた北条氏らの平家一族が源氏(頼朝や義経)という馬を扱える部族を使って日本国内から放逐したのがあの源平の戦いである。

だから清盛一族側の貴族化した平家は、
海洋民族だったから騎馬戦は得意ではなく、
義経に追われると瀬戸内海を下関(壇ノ浦)まで逃げた。
当然瀬戸内海には海洋民族である土着の平家系のいわば海賊もいたのだが、
彼らは北条側の平家に就いて義経に協力したため、
貴族化した平家らは撤退せざるを得なかった。
だから源平の戦いとは、
本質的に“新来の平家”と“旧来土着の平家”との内ゲバであった。

それで勝った側の北条平家は、
源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、
生き残った源氏系部族人間は別所などと言われる被差別に追い込んだ。

おそらく瀬戸内一帯に土着していた源氏系の部族も
別所などの被差別に押し込めて、
まともな活動ができぬように圧迫したと思われる。
その一つが山口県の熊毛郡なのであろうし、
遠く鹿児島にも同様の田布施として源氏系を作ったのではないか。
田布施という所は「正直いって、住むのに悪条件だらけの土地であった」
と鬼塚氏は書いている。

あるいは「やたらと寺の多さに気づく」とも書いている。
権力者が寺院を使って被差別を抑えつけたのだろうし、
本来は白山信仰を持ち
仏教には転向しない源氏系(北朝鮮系)を強引に仏教徒にしようとした痕が、
田布施の寺の群れなのだろう。

鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。
ということは大室家が平家ではないことを意味している。

平家系の庶民の職業は、漁民か百姓と決まっていたからだ。
鬼塚氏は大室寅之祐が北朝鮮系の被差別民ではないかと言っている。

「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た~安倍晋三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなったときの遺骨を見ても韓国系の体型だったと言っている。

《2》
現在の天皇家としては明治天皇=大室寅之祐の血筋は途切れたものの、田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。
安倍晋三が首相を辞めない(辞められない?)その傲慢さも、彼が明治以降に日本を牛耳ってきた権力を受け継いでいるからだろう。

それに安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。
明治天皇とその取り巻きが、なにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、現実の政治はその流れに沿うのである。

終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人出身である。
本名は朴茂徳である。
鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。
だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。

東郷に外交ルートを使った終戦工作、
すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。
東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、
おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。

先に紹介したが、
終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、
安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、
大室家とは親族だという。
安倍源基は周知のように、
戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、特高警察で君臨した。

言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。
権力者にとっては重要なポジションである。
これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。

さらに。鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。
阿南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外相)は国東半島出身。
大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。

この辺りは、先の家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで婚姻関係が結ばれていたはずなのである。
つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。

こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、
しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、
インフラ整備を徹底的に施し、 “内鮮一致”を押し進めたかがわかる。

つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。
また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。
権力者どもにとっては同族だからだ。

わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。
北による拉致だってわかったものではない。
総連や北の工作員だけでなく、
こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、
現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやっているのだから、
闇は深まるばかりだ。

こうして見てくると、話はやや飛ぶが、「アカシックレコード」の佐々木敏氏や、「国際情勢の分析と予測」サイトが指摘する、日本と北朝鮮は本当はかなり親しい関係にあって、ケンカしているように見せているのは表面的なことではないか、との予測は当たっているのかもしれない。

冗談に聞こえるのだが、北の金日成や金正日は、「日」の字があって、親日の意味がこもっているのだとの説もあながち荒唐無稽な話ではないのかもしれない。

つまり、われわれは「日」といえば日本の「日」だと固く思いこんでいるが、そうではなく、もうちょっと東アジア一帯という視点を持つと、北朝鮮系とそれに呼応する日本の源氏系(?)との連携(=同族)を意味する言葉が「日」なのかもしれない。

「アカシックレコード」の佐々木敏氏はしきりに中朝戦争の危機を指摘している。
安倍政権は中朝戦争に反対していると言われ、
だから何がなんでも政権を維持して、
祖国(?)北朝鮮が戦争に巻き込まれないように、
あるいは中朝戦争によって東アジアの朝鮮族連合が破綻しないように、
必死なのかもしれない。

安倍政権が転覆すれば中朝戦争が必至とも予測されるなか、
韓国系やら北系やらの思惑が交錯しているのが現況なのか。
今度の朝鮮南北首脳会談もそれを受けてのこととも考えられる。

《3》
さらに鬼塚氏は興味深いことを書いている。
明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が
東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。
ところがこの明治天皇の生母の墓を、
明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないのだという。

現在の中山家当主は、鬼塚氏の問い合わせに
「生母に関しては箝口令がしかれていて、一切答えられない」と言ったそうだ。

これはつまり、明治帝がやはり孝明天皇と中山慶子の子ではないことの証明である。
生前に明治天皇は生母に会ってさえいない。
「この人間関係の冷たさがーーたとえ生母でなくても会えばいいではないかーー日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へと突き進ませたと思えてならなかった」
と鬼塚氏は書いた。

そのとおりである。
昭和天皇も今上天皇もその他皇族も、
孝明天皇の子孫と思うのなら、
中山慶子の墓を粗末にするはずがないのだ。

先に「現在の天皇家は、明治の大室寅之祐の血筋は途切れた」と書いたが、
大正天皇はどうやら大室寅之祐の子らしいが、
昭和天皇は大正天皇の子ではないからである。
西園寺八郎と貞明皇后のあいだの子とされる。
その事情を『日本のいちばん醜い日』で詳述している。

西園寺八郎は毛利家から公家の西園寺公望(元老でありフリーメースン)の養子になった人物で、宮中深く浸透した。
大正天皇とは学習院で同級生だった。
その息子公一(きんかず)は、コミュニストでゾルゲ事件に連座したが、親(八郎)のよしみで釈放されている。

明治天皇も伊藤博文も、
大正天皇に子どもができないことを知っていたので、
西園寺八郎を貞明皇后に近づけたとされる。
それを鬼塚氏は詳細に検証していく。

そして、大正天皇の子4人(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)
はいずれも父親は別とされる。
みんな顔が似ていない。
(浩宮と秋篠宮もまったく似ていないが…)

鬼塚氏は、秩父宮が2・26事件の策を練り、終戦時の8・15宮城事件は三笠宮が策を練ったのだと断言している。
どちらのクーデターもヤラセだった。

貞明皇后(節子*さだこ)はしきりに世継ぎに介入したとされる。
秩父宮を溺愛し、裕仁より秩父宮を天皇にしようと暗躍した。
貞明皇后は長州が嫌いだったので、
薩摩系の良子を昭和天皇の嫁にしようとして「宮中某重大事件」を起こしている。

貞明皇后は五摂家のひとつ九条家から嫁したとされるがウソで、
武蔵野のある大農家の娘だったという説と、
彼女の本名は朱貞明だという説がある。
中国か朝鮮であろう。

朱貞明は、明治政府が徳川幕府から接収した皇居(千代田城)を、高級遊郭にしたのだが、そこに召し出された女性だという。
千代田城は「千代田遊郭」と呼ばれ、
伊藤博文や大室寅之祐らが、
維新で職を失った旗本の娘から美女を選んで囲ったもので、
天皇と重臣の遊び場だった。

朱貞明が長州の侍に騙されたかして千代田遊郭に入れられ、
後に大正天皇の嫁にさせられたとするなら、長州嫌いになったわけもわかる。

貞明皇后は秩父宮の妃を迎えるにあたっては、
わざわざ朝敵とされた会津藩松平家から勢津子を選んで、長州への面当てをやった。
(ちなみに勢津子のかかりつけの美容師が吉行あぐりである)
この会津から皇室への婚姻で、会津の人は喜んだというが…。

今上天皇が堂々、
天皇家の祖先は朝鮮から来たんだと記者会見で言って、驚かされたが、
つまり今上天皇は、祖母の貞明皇后が朝鮮系であることを述べていたのだと思われる。

いずれにせよ、かように日本上層部は、
民族的怨念と覇権を巡っての暗闘を続けているのであって、
現在の自民党や民主党ら政党の争いとか、霞ヶ関の官僚の争いも、
そうした背景を知らねば解明はできないものと思われる。
 

田布施の人々 なりたち  あるブログから抜粋

2017-08-02 06:04:33 | 社会
ソースから


ある方から、政治家、権力者を多く輩出した謎の地域という命題を頂き検索をした事があるので、 ここで結果を記録としてアップしたい。しかし、現在人口僅かに16000人強の町から、是ほど多くの人物を出したというのが驚きであったが、それは序の口だったとは後で深く感じたのだった。謎の地域とは、山口県熊毛郡田布施町
 
更に検索すると 熊毛郡と田布施町は鹿児島県にも存在したのだ。 両県にあったのは偶然の一致ではないだろうが・・・・ 
 ① まずは、山口県熊毛郡と田布施町を見る。
 山口県熊毛郡田布施町は 2010年8月1日現在で人口僅か16,044人の寒村でもとは同じ熊毛郡束荷村であった光市と柳井市に囲まれて、 北朝鮮の被差別といわれている。
(在日の名前の付け方を知る機会があったので、光、柳井、岩国などは同じ流れをくむものと推測する )
また、本題とは関係がないので、余計な事かもしれないが、大阪府中河内郡の布施町、布施明にも韓とか朝鮮を感じる。
 
 
 以下のデ-タは検索と検証を加え下記サイトを参照。
 
田布施町出身有名人   山口県出身の人物一覧
【大室寅之祐=明治天皇】
 熊毛郡、田布施町麻郷
 南朝の末裔というより北朝鮮被差別の出で、後の明治天皇。
 橋本龍太郎氏の祖母大室ヨネ(米)の父大室庄吉の兄は大室寅之祐(東京明治天皇)
 
【伊藤博文 (林家)】
 熊毛郡東束荷村 (光市束荷字野尻) 生まれ
6歳まで過ごした家は田布施町に残り、大室家とは隣接地にある。
(吉田松陰の命を受けた桂小五郎(木戸孝允)と伊藤博文が大室某を養育していた)
【難波八助、宮本顕治(日本共産党)】
は伊藤家の一族で木戸幸一も系図の中に入り京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇(玖珂郡岩国町)も一族。
 
【岸 信介】
 熊毛郡田布施町
 大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家がある。
(この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。)松岡洋右(元外相)は岸の一族である。
 【佐藤 栄作】
 熊毛郡田布施町
 岸、安倍とは同族。吉田茂にも縁戚関係がある、
      
 【安倍晋三】
  (本籍地: 山口県大津郡で現在の長門市、生まれは東京、新宿)   その父(岸信介の娘婿)晋太郎は朝鮮人で 統一教会に縁が深い。  
                                 
 【安倍源基】
 熊毛郡曽根村(平生町)
終戦内閣の最後の内務大臣  大室寅之助の生家の近くにある。
 
【宮本顕治】
 山口県光市((旧熊毛郡束荷村)伊藤博文の一族
  
② 鹿児島、熊毛郡と田布施町
 鹿児島県熊毛郡は屋久島、種子島を含む。
 県南部にあった田布施町(現在の加世田市金峰町)はやはり被差別である。
 
【小泉前首相の父・純也】
 鹿児島の田布施朝鮮人出身の朝鮮人である。後に、ヤクザ(稲川会)の婿養子となり、小泉姓を名乗る。
 
【東郷茂徳】
 終戦時の外相で、本名、朴茂徳
 朝鮮人の出身 (朝鮮人陶工の子孫)
 
瀬戸内海の被差別の起源のひとつ・・・
(以下、心に青雲から抜粋)
平家はマレ-シア方面から漂着した海洋民族だそうで、源平の戦いで勝利した北条平家が 源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、生残った源氏系部族やその土着民を瀬戸内海沿岸や島々などの被差別にまとめて押し込めた為、瀬戸内海沿岸には被差別が多くその一つが、山口県熊毛郡田布施町であり、鹿児島県の田布施町も同様。
 
被差別からアメリカ、 中南米に移民した人が多い。
(本題もかなり衝撃的だったけど、メキシコに住んでいる私にとってこの一文の方が、遥かに衝撃的で、充分に納得してしまった。

スキャンダル小泉  政治家の系譜をみていただけでスキャンダルに興味などなかったのですが ・・・
小泉純一郎元首相の実家はヤクザ「小泉組」だった(杉並からの情報発信です)より
フリージャーナリストの松田光世氏がtwitterで発信した記事【小泉元首相の実家は、「小泉組」という曾祖父が作ったヤクザ組織。背中に龍、全身に刺青をしていたことで知られる祖父又次郎は、国会議員になる前に小泉組の3代目を継がされました」は衝撃的です。
 【小泉 又次郎】(wikipediaより転載)
小泉 又次郎(こいずみ またじろう、慶応元年5月17日(1865年6月10日) - 昭和26年(1951年)9月24日)は、日本の政治家。正二位勲一等。第87-89代内閣総理大臣小泉純一郎の祖父。横須賀市長、逓信大臣、衆議院副議長などを歴任した。義侠心にあふれ、人情に厚い大衆政治家で、入れ墨があったことから「いれずみ大臣」「いれずみの又さん」などの異名をとった。
(wikipedia転載終わり)
この情報の発信元は先日「【村木厚子元局長冤罪事件】の仕掛け人はあの男で郵政利権の引き剥がしに動いたのは竹中平蔵と菅義偉だった」という衝撃的な記事をtwitterで発信した菅直人財務大臣の元公設秘書で「どらえもん」ことフリージャーナリストの松田光世氏です。
その後twitterでの発信がなかったので「殺されたのではないか」と一時twitter上で「捜索願」が出されたほどでした。

 松田光世氏のtwitter「小泉組」関連記事5件を時系列で下記に転載しますのでお読みください。
① 小泉元首相の実家は、「小泉組」という曾祖父が作ったヤクザ組織。背中に龍、全身に刺青をしていたことで知られる祖父又次郎は、国会議員になる前に小泉組の3代目を継がされました。当時、現在の稲川会の母体である横須賀一家と小泉組の間に抗争があり、二代目の長男が殺されたためです。
② 当時、又次郎は、上野のあたりで職を転々として、家出状態。今でいうフリーターでした。それを跡取りがいなくなった曾祖父が連れ戻し、「堅気の商売ができなように」と手下に又二郎を押さえこせて全身に刺青を掘ったという逸話が「小泉又次郎伝」に記されています。
③ 小泉家では、なぜか三代目を襲名したあとの又次郎は、「長男」として扱われました。名前に「次」を入れた通り次男であったことは、「小泉又次郎伝」にも書かれていますが、衆議院議員になってからの公的な資料では、又次郎は「長男」という届け出になっています。なぜなのか、調べました。
④ 小泉家の関係者の証言によると、二代目の長男の名前は死亡とともに戸籍から消され、又次郎を長男に繰り上げる更生手続きがとられたのだといいます。
つまり、ヤクザの抗争に敗れて死んだ長男は、小泉家の歴史から消されたのです。小泉家の菩提寺を隅から隅まで探しても、長男の墓はありませんでした。
⑤ どらえもんは、横須賀とかつて小泉家があった横浜市金沢区を歩き回って、関係者を取材しましたが、「長男」の名前すら誰も口にしようとしませんでした。それだけ、「小泉組二代目」のことは、タブーになっているということです。
 (転載終わり)

 不思議なことは、ヤクザ「小泉組」の3代目組長小泉又次郎氏がその後なぜ衆議院議員に当選できたのかその経緯です。
小泉純一郎 関連情報
・戦前大臣を務めた祖父小泉又次郎は純粋な日本人とされる。だが、純一郎の帰化朝鮮人である父が鮫島姓を買い取り 又次郎の娘をたぶらかして婿として小泉家に入る そこで小泉家は帰化朝鮮人である純一郎の父に乗っ取られた
 
・父親の純也は、鹿児島加世田の朝鮮の出身者といわれる 日大卒業名簿には、純也の日本名はなく、  見知らぬ朝鮮名が書かれているという    純也は朝鮮人の帰国事業、地上の楽園計画の初代会長であった
・結婚後、子供をもうけ即離婚した宮本佳代子は在日企業エスエス製薬創業者の孫
・小泉の元秘書官の名前は飯島勲←注目 帰化朝鮮人
・派閥のドン森喜朗も生粋の朝鮮人 ←森も帰化人がよく使う通名
・小泉は、横須賀のヤクザ、稲川会と関係が深い

☆ 鮫島姓を買い取り婿として小泉家に入る そこから小泉ファミリーが出発。 この手法 他の田布施族にもよく見られ 明治天皇も同じ手法です。 おそろしや 田布施朝鮮族 乗っ取られた日本 ・・・