ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

前川喜平氏。。

2019-04-21 08:22:46 | 議員
議員ではありませんが、、、


出会い系バーで有名になった元前川は文部科学審議官です。

貧困調査の名目で問題なしになった。

ですから個人でも貧困調査の名目なら罪にならないらしい。

個人的には会って食事をして金品与えたられっきとした援助交際と思うのですが、

おかしな日本です。

さらに18歳以上で学生でなければ自由恋愛ということで援助交際であっても「罪」になりません。

最近、やたら逮捕されています。卒業して18歳まで待って、それまでは食事だけのあしながおじさんで

いればと思う今日この頃。

腐った日本だ。



ソースから

出会い系バー問題

2017年5月22日、読売新聞は、前川が文部科学省在職中に売春や援助交際の交渉の場になっている東京都新宿区歌舞伎町の出会い系バーに頻繁に出入りし、店内で気に入った女性と同席し値段交渉したうえで店外に連れ出していたと報じた
。同報道では、店に出入りしている女性の「女の子と値段交渉していた」「私も誘われた」といった証言も紹介された。
同じく5月22日、産経新聞は、前川は文部科学審議官であった2015年頃から歌舞伎町の出会い系バーに頻繁に出入りするようになったと報じた。

報道に対し前川は25日に行った記者会見で出会い系バーへ行ったことを認めたうえで「ドキュメント番組で女性の貧困について扱った番組を見て実際に話を聞いてみたいと思った。話を聞く際に食事をし小遣いをあげたりしていた」「そこで出会った女性を通して女性の貧困と子供の貧困が通じていることがわかった。実地の調査の中で学べることが多く、ああいうところに出入りしたのは意義があった」と述べた。また、読売新聞の報道に関しては「私の個人的な行動を読売新聞がどうしてあの時点(退官後半年余りを経過)で報じたのか」と疑問を呈した。

菅官房長官は26日の定例会見で「女性の貧困問題の調査のためにいわゆる出会い系バーに出入りし、かつ女性に小遣いを渡している」という主張に強い違和感を覚えたとし、当時の上長にあたる官房副長官の杉田和博に確認したところ、前川が事務次官時代に出会い系バーに出入りをしていたことを知って厳しく注意したという報告を受けたと述べた。

前川は、7月10日の衆院閉会中審査で、歌舞伎町の「出会い系バー」通いの理由を「女性の貧困について実地の視察調査」と説明していたことについて、「『調査』という言葉は適切でなかったかもしれない」と述べている。

出会い系バーで前川と会ったとする女性の証言[編集]
文藝春秋2017年7月号は、2年前か3年前(2014-2015年)にテレビのドキュメント番組で出会い系バーを知ったとの本人の証言を掲載した。

週刊文春は、出会い系バーで会っていたという女性のインタビューを掲載した。今は百貨店に勤めるという女性は2011年に前川と出会い、前川とは最も親しかったといい、前川には身の上の相談や就職に関する相談にのってもらったとしたうえで、前川のおかげで今があると思っていると証言した。報道については、今になって真実とは思えない報道がなされていると疑問を呈した。また性的な関係があったのかという問いに対しては、前川から口説かれたことも手を繋いだこともなく有り得ないと述べている。

同記事の中で前川は「確かにあの店で出会って一緒にお寿司を食べたり、ダーツをやったりもしました。でも遊ぶことが目的だったわけでなく、彼女の生い立ちや現状について話を聞かせてもらうとともに生活や就職の相談に乗っていました」と説明している。

出会い系バー問題

この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2018年4月)
花田紀凱は「“公僕”の正義って何?」と、前川を批判した。

ノンフィクション作家窪田順生は、本当に貧困調査を目的としていたのか検証が必要と主張。
ケント・ギルバートは夕刊フジ紙上で、前川を「正義感あふれる人格者」と伝えるメディアに違和感を覚えると記した。

須田慎一郎は、出会い系バーへ通う時間があるなら今治市を訪問し「地域の実情に目を向けるべき」と批判。

沖縄タイムスはコラムで、この件が読売新聞に掲載されたことについて「権力はピンチになれば何でもする」との見解を掲載。

安積明子は東洋経済にて、官邸の指示で読売新聞に「出会い系バー」の一件を書かせたのではないか、と述べている。官邸は週刊誌等の「首相官邸のリーク」説を全面否定している。

読売新聞OBの大谷昭宏は「私がいた頃の読売社会部の基準なら、取材が甘すぎて絶対に掲載できない内容です。デスクに『誰に頼まれて書いてるんだ?』と一喝されるのが関の山ですよ。」と報道自体に疑問を呈している。

李小牧さん、帰化して2カ月で新宿区議選に出馬へ「中国に大きなインパクトを」

2019-04-21 07:50:27 | 議員
日本人に帰化しても

中国人のアイデンティティは消して捨てないのは

謝蓮舫さんしかり、中国人特有なのか?

日本人になっても尖閣は中国の物だと公言しています、

このような方が当選したら、日本は完全に終わりである。

この先、帰化中国人が増え、有権者が増えた時には必ず当選します。

さらに、それに続く帰化中国人、あるいは帰化韓国人が政治の世界に入ってくるのは間違いないわけで

そうなれば、日本の政治は帰化日本人の手の中である。

現在、TV,マスコミは乗っ取られています。

NHKは中国人に牛耳られています。

フジにしてもスタッフには在日韓国人が多く、ハングルで会話されているとかいないとか。。

ネットの普及で多くの人が真実を知ることが出来る今日、

フェイクも交差するネット社会にどう判断して認識を高めるかは個人の問題であるが

日本は日本人で守らないといけない。

国際社会は進む中で日本人だけの日本ではなくなるのは事実ですが

日本の日の丸に敬意を示し国歌を歌う民族、帰化日本人でなくてはならない。


ソースから

来歴

中華人民共和国・湖南省長沙市に出生。父親は人民解放軍の軍人で、母親は資産家の娘であった。
子供の頃、江青が普及させようとしていた革命バレエを踊る歌劇団を見たことがきっかけで、のちにバレエダンサーを志す。
6歳の頃、中国では文化大革命が起こった。父親は文化大革命において、毛沢東を支持する造反派の重鎮であり、走資派を弾圧していた。湖南省最大の組織「湘江風雷」という派閥に所属しており、そこのナンバー3の地位にあったが、林彪が起こしたクーデター事件の影響で失脚、裕福であった一家は一気に極貧となった。その時、李が踊ったり歌ったりする様子を見て母が喜ぶのを見たことが、歌舞団でダンサーをめざす動機の一つとなったという。父親は幸い一年半後に名誉回復され、家に戻ってきた。

中国国内でバレエダンサーや文芸新聞記者などの職を経験後、1988年に私費留学生として訪日。訪日当日に訪れた新宿歌舞伎町の雰囲気に魅了され、一週間後、宿泊していた歌舞伎町内のラブホテルの清掃員に就業。東京モード学園でファッションを学ぶ傍ら、中国のファッション誌『時装』の東京特派員や在日中国人向け新聞『僑報』の発行人を務めた。

服飾の勉強と併行しながら歌舞伎町の路上で中国や台湾、香港からの観光客を飲食店や風俗店に案内するアルバイトを開始、このガイド業が軌道に乗り、やがては本業となる。2002年にはその体験をもとにデビュー作『歌舞伎町案内人』を執筆、後に映画化もされている。2004年から『ニューズウィーク日本版』で毎月1本のコラム連載を開始。

2007年、生まれ故郷にあたる中国・湖南の料理を扱うレストラン「湖南菜館」を新宿歌舞伎町の一番街に開業。メニューはすべて中国の料理人が調理している。店の壁にはジャッキー・チェンとのツーショット写真が飾られている。

渡日26年目にあたる2014年には、日本への帰化、ならびに東京・新宿区議員選挙への出馬を皮切りとする政界進出の意向を発表。2015年、2月に帰化。同年の第18回統一地方選挙で新宿区議に立候補したが落選した。

2016年、日本・中国合作で自身のドキュメンタリー映画『選挙に出たい』(邢菲監督)が制作され、2017年に北京国際映画祭の中国外国合作長編部門や山形国際ドキュメンタリー映画祭の日本プログラム部門、マカオ国際映画祭のドキュメンタリー部門に出品された。2018年の座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルではコンペティション部門入賞を果たし、同年12月1日よりポレポレ東中野をはじめとした日本国内の映画館で上映が行われた。2018年11月、公開を前に歌舞伎町で行われたトークショーで李は19年4月の統一地方選挙に出馬することを正式表明、「すでに1回選挙に出たことで、私は勝っている」と語った。

私生活[編集]
2012年時点で結婚歴6回、うち中国人の前妻との間に1子、日本人の前妻との間に1子、現中国人妻との間に1子、計3人の子供(いずれも息子)がいる[24]。前妻(日本人)との間の一子はNHK等のテレビ番組への子役としての出演などで知られる日向滉一。中国語(普通話)と出身地の湖南語(長沙語)の他に、広東語と日本語に堪能で、上海語や閩南語にも精通しているマルチリンガルである[26

ソースから


中国出身で2015年2月に日本国籍を取得したばかりの李小牧(り・こまき)さん(54)が、4月26日に投開票が行われる新宿区議選に出馬すると話題になっている。李さんはハフポスト日本版の電話取材に対し、自身が立候補することで中国国民や日本の若者、そしてアジアの人々に対して、民主主義の大切さを訴えられると話した。「当選すれば中国に大きなインパクトを与えられる。日本のことが好きになる人も増える」と述べた。

■「日本に悪い感情を持っている外国人も、印象を変えるかも」

李さんは1960年8月、湖南省で生まれた。バレエダンサー、文芸紙記者などを経て1988年に私費留学生として来日。歌舞伎町に魅せられ「歌舞伎町案内人」として活動し始めた。作家や、レストラン『湖南菜館』のプロデューサーとしても活躍している。中国での生活が27年、そして今、日本での生活も27年と、それぞれの国で生活している期間が、ちょうど同じ長さになった。

李さんは2014年3月、日本に帰化することを宣言。帰化を決めた理由は、「日本のパスポートを持てるから」でも、「中国に帰国した際に、外国人なら捕まりにくいから」でもなく、「選挙に立候補できるから」だという。

「帰化は簡単ではありません。帰化するには、何年もきちんと税金を納めていなくてはなりませんし、日本の法律を守り、犯罪を犯してはいけません。繁華街に住む自分だって帰化できた。そういうシステムがある日本は、素晴らしいと思います。

さらに、日本では誰もが選挙権を持っている。中国では選挙権を持つ人が少ないため、選挙の仕組みすら知らない人が大勢います。政治は中国共産党の一党独裁。繁華街で働く人が選挙に立候補することなど、無理だと思われている。
しかし、日本は違う。国民なら誰でも立候補できて、政治に参加できるんです。私が立候補することで、中国と違って日本は民主主義があってすごいと感じる人が増えると思います。また、中国はこのままでいいのか、と思う人も出てくるかもしれない。

元中国人の私が、日本の選挙に立候補することは、世界的なニュースになりました。シンガポールの聯合早報や、BBCが報じました。また、中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」で出馬宣言をしたら、800万回転発(リツイート)されました。

私が日本の選挙に出ることは、中国の800万人には知られたかもしれない。しかし、13億人の人にはまだまだ知られていません。もし、私が当選したら、中国紙も報じると思います。どのような形で報じるかはわかりませんが、中国で報じられたら、より多くの人が日本の民主主義の素晴らしさを知ることになると思います。中国だけでなくアジア中の、まだ民主主義がない国の人々も、同じように思うでしょう。日本に悪い感情を持っている人も、印象を変えるかもしれません」

李さんは、さらに、日本の若者も選挙に興味をもつようになるのではないかと話した。李さんが出馬するというニュースを受けて、新宿区の大学に通う20代の日本人大学生が、選挙ボランティアをさせてほしいと電話をかけてきたという。

「日本では投票できることは当たり前で、ありがたいものだと思う人は少ないかもしれません。しかし、私が出馬することで、民主主義が存在するということの大切さに気がつく日本人が増えたらと思います」