ダマスカスの聖パウロ教会は質素だが、どこか重々しい。1939年に建てられたとは思えないほど、古めかしい。建物の一部には、古代のダマスカスの城門の石が用いられている。使徒パウロは夜中この城門の窓から縄で降り、ダマスカスから逃げ出したと言われている。ダマスカスのユダヤ教徒は彼の新しい教えを嫌い、彼を憎んでいた。
この教会はローマ・カトリックの教会だが、シリアには東方教会もある。どちらも第一世代のキリスト教徒の教えを現在まで受け継いでいるが、東方教会は何と言っても地元である。
もう一つ、ダマスカスの歴史を感じさせる建物を紹介する。中世の英雄サラディンの墓所である。サラディンは12世紀後半、十字軍と戦ったイスラム教徒の英雄である。
ダマスカスは古都と呼ばれるのが最もふさわしく、紀元前14世紀の記録に登場している。紀元前965年アラム王国の首都となった。それ以後も各時代の歴史が刻まれ、記録や遺跡が多く残っている。
ダマスカスを訪れると、タイムマシーンで過去の時代に入り込んだ錯覚にとらわれる、とよく言われる。現在この都市の支配層は、革命で滅ぼされても仕方がないような無能な人たちなのだろうか。時の経過は冷酷で、現在ダマスカスは地方都市に成り下がり、この都市の支配者は国家を運営するだけの力量はないのだろうか。
2011年の夏、中東政策会議がシリアの経済を評価している。シリアでデモは始まっていたが、内戦に発展するか、デモだけに終わるか誰にも分からなかった。内戦が報告者の判断に影響を与えることはなく、単純に2011年夏の時点でのシリア経済の評価となっている。前半は総論であり、後半では主要分野を具体的に述べている。内戦前のシリア経済を知ることができる内容となっている。少し長いので、今回は前半だけを訳す。
=======《シリアの経済:現実と課題》=======
2011年夏 Middle East Policy Council
The Political Economy of Syria: Realities and Challenges
by Bassam Haddad
シリアの政権は統制経済の改革に着手し、市場経済を部分的に導入した。改革は不充分だったが、ある程度の成果があった。また経済成長も年率約6%を維持しており、経済は好調だった。しかしシリアは教科書的な経済手法では解決できない問題を抱えていた。経済的な病は単純ではなく、複雑に絡み合っており、これを解決するには、社会制度・法律・行政の根本的な改革が必要だった。よほど強固な政治的意思がなければ、こうした広範囲の改革は実現できなかった。
2000年ー2010年までの10年間、経済は順調だったが、政権はいくつかの政治・経済的な困難に直面した。
①2000年にバシャール・アサドが新大統領となったが、兄の突然の死によって彼が急きょ大統領となったものであり、政治的基盤は弱かった。2005年まで彼の地位は安定しなかった。
②シリアはもともと域内で孤立しており、パレスチナ・レバノン問題とイラク戦争によって国際的にも孤立が深まった。200年まで緊張が続いた。
③石油の埋蔵量の減少が危機的なレベルになっていた。
最初の2つの問題はほぼ解決していたが、3番目の問題はどうすることもできなかった。そして最近新たに干ばつの問題が生まれた。長期的な見地を欠いた水源管理とここ数年の少雨により農地は砂漠となった。数十万の農民が土地を捨て、都市に移り住んだ。移住先の都市すでに人口過剰で生活インフラが未整備だった。
シリアは2008年の世界的な経済期(リーマンショック)を何とか乗り越えたが、シリアが今後の経済危機に対処できるかは不透明である。政権が社会・経済的な安定の継続を望むなら、経済構造と支配機構を大幅に修復しなければならない。
大企業の成長を奨励しながら、一般国民への補助金を削減するやり方はもはや限界である。この方針は2005年の第5回バース党指導会議で決定され、数字の上では経済成長に貢献したが、国民の中・下の階層にとって大きな打撃となり、社会の安定を脅かすことになった。大企業の大部分は政権の中枢と結びつき、法律の制約を受けない。経済格差に苦しむ国民の恨みが政権に向けられている。
縁故主義市場経済は格差を生み、健全な経済発展の障害となる。政権の一部はこのことを理解しているが、縁故主義経済からの脱却は容易でない。
大統領が改革を決定したとしても、官僚機構は政策を実行する能力も意志もなく、また権威もない。シリアの政治エリートはゲームのやり方を変える気がなく、改革について共通認識が生まれていない。
改革を実行する役人が存在しないので、経済活動の無法状態は変わらず、健全な経済発展は望めない。
以下で、これまでの改革が不十分だったことを具体的に検証したい。
シリアの経済はEUと湾岸の市場に統合されており、2008年の世界的な経済危機の打撃は大きかった。特に製造業とサービスの分野は影響が大きかった。しかし成長産業である観光業は、世界中の観光業が落ち込んでいる時に増収を続け、経済危機をやわらげる役割を果たした。観光以外にも安定分野があり、2010年末までシリアは政治的にも経済的にも安定していた。しかし社会の安定を支える経済は、将来に不安を抱えていた。
エコノミスト紙の経済班の予測によれば、2009年のマイナス成長後、シリアの実質GDP成長率は2010年に3.9%、2011年に4.2%までにしか回復しない。2007年までシリアはほぼ6%の成長を続けていた。一方インフレ率は6.2 %に達するだろう。世界的に物価が上がる中で、シリアでは消費税が施行されるからである。
また貿易収支も黒字から赤字に転落している。2007年までシリアの貿易収支は黒字だったが、2008年以後赤字に転じた。観光収入の増加のおかげで、貿易の経常収支の赤字は1.3%にとどまるだろが。
他方で希望を持てる要素もある。一連の経済改革と、トルコとEUとの貿易協定により、経済発展の基盤ができた。また米国との関係改善もシリアの経済を強化し、シリアは中東・北アフリカ地域で重要な役割を果たすだろう。
シリアの財政は健全である。政府は2010度の予算を緊縮した。石油価格の上昇により、輸出による増収が見込まれ、同年政府の赤字は減少し、 GDPの6.4 %(32億ドル)になりそうだ。石油の増収分が公共投資と公務員給与の増額によって減殺されなければ、財政赤字はもっと改善する。国民への燃料費補助金は減額されたが、シリアは家庭用の精製石油(燃料)を輸入しているので、財政にとって負担となっている。
2011年に10%の付加価値税(=消費税)が実施されれば、政府の増収となり、将来的に減少する石油収入を補うこともできる。2010年携帯電話契約を長期契約に変えることが予定されており、これも政府にとって増収となる。
シリア政府の収入は2003年にGDPの28%だったが、年々減少し、2010年には19%にまで減少した。国家統制経済から自由主義経済へ移行しようとする努力が見られる。
(訳注)国家の収入が大きいことが統制経済の特徴である。自由主義経済の日本は、統制経済をわずかに修正し始めただけのシリアと、同レベルである。2016年日本のGDPは504兆円、政府収入は60兆円であり、政府収入はGDPの12%である。ただし公債を含めると政府収入は96兆円であり、19%となる。(訳注終了)
金融政策も改革され、中央銀行の独立性が保証された。中央銀行の金融政策の種類が増え、洗練された政策を行えるようになった。シリア中央銀行は外貨取引上の制約を減らすことができ、2008年以後投資を促進した。
一般銀行に対する規制が変更され、私立銀行の最低資本金が3300万ドルから2億2000万ドルに引き上げられた。これにより私立銀行は大規模なインフラ事業に融資することが可能になった。シリアは現在世界金融危機(リーマン・ショック)の影響から脱しつつあり、今こそ政府は約束した改革を実行すべきである。海外からの投資を増やし、経済を多様化しなければならない。
《シリア経済の可能性》
シリアは魅力ある投資先である。大規模投資があれば、観光、金融、保険、個人消費の分野は高度成長するだろう。そうなればシリアは石油の減収を心配しなくてもよい。
11回目の5か年計画と政府内部からの情報から判断すると、政府は公共部門への投資を増やすつもりのようだ。元経済担当副首相のアブドラ・ダルダリによれば、新計画はインフラ、エネルギー安全保障、高成長産業に重点的に投資するつもりだ。
拡大アラブ自由貿易協定への参加によって、シリアの輸出産業に有望な新市場が開かれたが、アラブ諸国間の貿易量はほとんど伸びず、失望に終わった。これに反し、イラン、トルコ、EUとの取引額は大幅に増えており、シリアの企業が競争力をつければ、将来さらに大きな利益が見込まれる。
労働その他のコストが安いにもかかわらず、これまでシリアの製品は周辺国市場でも世界市場でも競争力がなかった。
シリアの製造業が競争力を向上させることができるか否かは死活的な問題であり、政治的問題と同じく最優先課題である。シリアを取り巻く国際環境は、シリアに敵対的であり、政権は常に綱渡り外交を迫られている。同時に経済的に沈没する危険も迫っており、両面において緊張を強いられている。
いくつかの業種が競争力を高めることに成功したが、全体として見ればわずかなものにすぎない。多くの場合、成功から報酬を得ているのは、政権内の者か、政権と結びつきのある者である。
昔も今も、エネルギー産業とサービス業(とりわけ観光)がシリアの経済成長の原動力である。しかし石油の埋蔵量が減少しており、増産の時代は終わっている。急速に増加する人口に利益を分配するには、この2大分野だけでは足りない。付加価値を生む産業を新たに創出するしかない。独自の技術革新による新しい産業こそが多くの雇用を吸収する。
改革に着手したことは実を結びつつあり、海外からの投資を期待できるようになった。これが実現すれば新たな展開となり、より多くの国民にチャンスを与えるだろう。外国との関係が改善しているので、海外投資が実現に向かっていた。ところが時期悪くデモが起き、治安部隊は武力でこれを鎮圧した。流血の弾圧をしたことで、シリア政府は国際的な非難の的となり、国際社会は再びシリアに背を向けた。
2010年末シリアは今後5年間で550億ドルの海外からの投資を計画していた。シリアの開発計画を支援するため、サウジアラビアは特別貸与を予定していた。この計画の前提は、シリアと域内(中東)諸国の安定である。またシリアの主要な産業に投資されることも重要だった。そうすれば多くの人に利益がもたらされ、失業を減らすことができた。
しかし現在国内が混乱し、周辺国との緊張が高まっており、海外からの投資と借款の前提が崩れつつある。
=====================(中東政策会議終了)