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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

シリア デモの最初期に武装グループが暗躍

2018-04-03 23:59:24 | シリア内戦

 

シリアのバース党政権は1963年以来続いており、ハフェズ・アサドの政権は1970年から2000年まで30年続いた。ハフェズ・アサド政権の末期には、バース党政権の腐敗に対する不満がうっ積していた。2000年にバシャール・アサドが大統領になった時、多くの国民が彼に期待した。彼は政治・軍事の経験がなく、英国で8年間生活しており、民主的な改革をしてくれるように見えたからである。しかし3-4年たっても目立った改革が行われず、国民は失望した。2005年には水面下で国民的な抗議運動が計画された。これ以後著名な反対派が政府批判を強め、それに呼応してデモもおこなわれるようになった。

しかしこれらの反対派はイスラム主義者ではなく、デモをする人々の中にもイスラム主義者はいなかった。2011年に始まったシリア革命の主役は彼らではない。2011年の春、シリアの大都市は平穏であり、革命を起こすのは困難そうに見えた。南部の小さな都市ダラアで比較的大きなデモが起きたが、これが革命の起爆剤になるとは思えなかった。ダラアはシリアの最南端にある田舎町であり、ここで大きなデモが起きたとしても、他の地域に影響を与える可能性は低かった。

政権は大事をとり、大統領特使をダラアに派遣し、事態の鎮静化を試みた。特使はダラア出身の閣僚であり、町の長老たちの要望を理解できる人物であった。事態は沈静化に向かいそうだったが、政府軍がダラアの中心部にあるモスクを攻撃した。これにダラアの反対派が怒り、政府軍と反対派の間で戦闘が始まった。

政府軍によるモスク掃討作戦はダラアの住民をなだめる方針に反し、静まりかけた状況に再び火をつけるものである。政府軍はなぜ敢えてそのようなことをしたか。答えは簡単である。ダラアのオマリ・モスクには武器が隠されており、ダラアの人間ではない革命グループがモスクを拠点としていたからである。モスクの革命グループの正体をよく知って、彼らの協力者となっていたダラア人もいたが、人数は少なかった。多くのダラア人反対派はモスクを単に政治的拠点と考えていた。

第4機甲師団が出動したにもかかわらず、モスクの掃討には10数時間要した。武器の扱いを知っている革命グループを支援したダラア人がいたことが、掃討作戦を困難にした。モスク掃討作戦は双方に死者を出したため、ダラアの反乱は後戻りができなくなり、悪化の道をたどった。流血を伴うダラアの反乱はシリア国内外で知られるようになり、シリアの他地域に影響を与え始めた。

モスクに武器があったことは、掃討作戦終了後政府が発表している。これだけでは証拠が不十分であるが、これ以外にも証言があり、ほぼ確実である。またダラアのモスクが非ダラア人革命家の拠点となっていたことも、しばしば言われている。

 ========《ダラア革命の背後にイスラム原理主義者》=============         

          Daraa 2011: Syrias Islamist Insurrection in Disguise

                       Tim Andeson  Globalresarch        2016年3月16日

    

ダラアでデモが始待ったのは2011年3月18日である。その一週間前の3月11日、シリアの東部国境でシリアに持ち込もうとした武器が発見された。武器・爆弾・暗視鏡を積んだトラックがイラクからシリアに入ろうとし、国境検問所で取り押さえられた。シリア国営放送は「シリアに武器が持ち込まれるなら、争乱と混乱を引き起こすことになる。国内秩序を脅かす危険が事前に摘発された」と伝えた。国営テレビの映像には、数十個の手りゅう弾、ピストル、機関銃、弾薬帯が映っていた。

武器を積んだトラックが発見された場所は東部国境最南部のタンフ検問所である。ここはその後の内戦において、ヨルダンから支援される南部の反対派の支配地となった。発見された武器は南部で用いられる予定であったことは明らかであり、南部の秘密警察は警戒を強めたと思われる。この時点で、政府批判をしたダラアの子供たちは拘置所の中にいる。ダラアの子供たちが落書きを書いたのは3月初めであり、3日後に逮捕された。少年たちが逮捕されて間もなく、タンフ検問所で武器が摘発されたことになる。少年たちが逮捕され、それに抗議するデモが発生したことは、陰謀家たちにとって都合がよい展開だったようだ。

3月11日の武器の密輸は発見されてしまったが、失敗に学び、その後巧妙な手段でシリア国内に武器が運び込まれた可能性がある。

サウジアラビアがダラアのモスクに武器を送った、とサウジの政府関係者(アンワル・エシュキ)が翌年認めた。

またサウジアラビアに亡命しているイスラム原理主義のシリア人聖職者(アドナン・アルール)は、自由主義的なアラウィ派政権に対する聖戦を呼び掛けた。「アラーの名において、我々はアラウィを肉ひき機で切り裂き、犬に与えるだろう。

シリア国内では「キリスト教徒はレバノンに追い払え!アラウィ派は墓場に!」というスローガンが叫ばれた。2011年5月という早い時期に北米のメディアがこれを報道している。その後ファルーク旅団はこのスローガンを実践した。ファルーク旅団は自由シリア軍に所属し、ホムスで活動するイスラム主義グループである。

 ============================(Tim Andeson 終了)

サウジアラビアの元軍人で、現在はジェッダの戦略研究センターの所長であるアンワル・エシュキは、BBCとのインタビューでダラアについて重要なことを語った。これは2012年4月に放送されたものらしいが、コピーがYouTubeに投稿されている。このコピー版では、エシュキは反対派にとって不都合ないくつかのことを不用心にも語っている。例えば次のように。

ダラアの反対派の男がエシュキのセンターに来て、武器援助を求めたという。またエシュキは「ダラアの反対派が「オマリ・モスクに武器を保管していた」と述べた。

エシュキはシリアの反対派によるゲリラ戦が有効であるという理論に夢中になって、反対派の正当性を破壊するようなことを暴露してしまっている。単純な人がポロリと事実を言ってくれるなら、歴史的な事件をありのままに叙述することが、どれほど容易になるだろう。特に内戦の場合、双方が自分の正当性を譲らないため、どちらの話を信ずればよいかわからない。客観的な事実が見えなくなってしまう。

かなりユニークなアンワル・エシュキの話は以下のようなものである。

≒=====《ダラア革命は最初から暴力革命》======

Syria - Daraa Revolution was Armed to the Teeth from the Very Beginning             

     https://youtu.be/FoGmrWWJ77w   YouTube/ Truth Syria

                      

政府軍と互角に戦う力がない場合でも、小さなグループに武器を与え、反乱を起こすことは可能である。リビアの反体制派は戦車重や火器を与えられた。こうした武器を与えることができない場合でも、反対派が政府軍の攻撃から身を守るため、彼らに最低限の武器を与える必要がある。そうすることで政府軍に徐々にダメージを与えることができる。政府軍を農村地帯におびき出し、引きずり回すことで、政府軍を弱らせる。

ところで昨年(2011年)実際にあった話をしよう。

負傷したダラアの人間が私のセンターに来た。彼と仲間はどうしても武器がほしいという。彼らは当時オマリ・モスクに武器を保管していた。盲目の導師は武装闘争に反対したが、彼らは押し切った。彼らは政府軍と武装闘争を開始したいという。

私は反対した。「私のセンターは他国の内政に干渉しない。君たちはシリアを出て、国外の反体制派グループに参加したほうがよい」。

「そのようなグループがあるのか」と彼は私に質問した。

私は答えた。

「トルコが支援し、統括しているグループだ。君たちが彼らに合流すれば、国家の保護を受けられる。トルコで新しい軍隊を組織し、シリアの現在の政府軍に取って代ることができる。米軍はイラク軍を解体したが、その後イラクは混乱した。国家の軍隊が一瞬のうちに消えたからだ。前もって新しい軍隊があれば、軍事的空白を避けることができる」。

その後しばらくして私はリヤド・アサドに電話をした。彼のグループは17000人になっているという。

ダラアの若者は私の助言を受け入れ、トルコへ行き、政府軍との闘争を開始した。彼の現在(2012年4月)の計画は、戦線を大都市から農村に移すことだ。ゲリラ戦は通常の戦争とは違う。戦場での決戦で全てが決まるわけではない。敵を不意打ちし、すぐに逃げるのだ。正規軍が反撃しようとしても、ゲリラ兵はどこかへ逃げてしまっている。現在シリアの反政府軍は正規軍と互角に戦う力はない。戦力の差は歴然としている。にもかかわらず、反政府軍はゲリラ戦術によって正規軍を弱らせることができる。

====================(エンキの話終了)

反対派がモスクに武器を保管していたいた事実を、エシュキがいつ知ったのかはわからない。彼の事務所に武器の援助を求めに来た人物から聞いたのか、それ以前に知っていたのか、エシュキは語っていない。政府軍によるモスク襲撃後、モスクに武器や紙幣が保管されていたことは、国営放送が伝えている。しかし「盲目の導師がそれに反対したこと」は少数の関係者しか知らないはずである。

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