樹間暮のきまぐれライフ

ゆったりと・・・残りの20年は過ごせそうにないけれど、きまぐれな日々の生活を少しだけでも記憶の底に残しておくきっかけに。

一年前の今日

2011-05-15 23:23:59 | 日記
昨年大怪我した日から丁度一年がたった。

あの日、帰りに寄れなかった露天風呂に入って山を眺めてきた。

脱衣場とお湯があるだけ。お志を箱に入れるだけの源泉かけ流し。50℃のあっちっちの湯

そして帰途で見つけた源泉かけ流し露天風呂。
こちらは400円だが、なんと
おにぎりやたくあん、
山菜を湯がいたものふきみそ
などが置いてあり、ご自由にど~ぞ!と、お得感あり。
川のせせらぎの音と高い空に迫る新緑。この解放感は
心地よい

湯量が多く使い切れないお湯は
垂れ流し。
これ、東北の避難所に持ち込めたらいいのに…

軽トラのこと

2011-05-15 23:01:18 | 日記
このブログに訪れてくださった知人が軽トラを探すのに協力くださり、早々に見つかりました!ご協力に感謝申し上げます。m(_ _)m

今週状態を確認した上で、交渉購入する予定です。

一人では何もできなくても、色々な方の気持ちが集まり形になって行く…
無理なく一人一人ができることを重ねていくと形ができてくる。早く届けてきたいです。みんなの気持ちを!

今日のドラマの中での千利休の言葉「無理というのは人間が作るもの」

今必要とされているも2

2011-05-14 08:33:30 | 日記
県から行ったボランティアに参加された方で
このブログをご覧くださった若いボランティアの方から
有用な情報を頂きました。(ありがとうございます!)

「ふんばろう東日本プロジェクト」
http://fumbaro.org/

それぞれの避難所で今必要なものがリストされ
そこへ直接物資を送れる、送る方法が示されているサイトです。
個人でも可能なものが多く、少しずつでも個人的に継続できるものです。
この支援の輪がひろがっていきますように・・・

こういうサイトを立ち上げられる若い力に頭が下がります。


今必要とされているもの

2011-05-13 07:28:45 | 日記
会社に同い年の同僚がいるが、
彼女は若い頃仙台に15年ほどいらしたという。
友人も多く心配で、連休にはやりボランティアとして
仙台に行った。

そんな彼女、仙台の友人たちやその周りの人々に
何が必要か聞いたとのこと。
結果は

軽トラック の数が圧倒的に足りない

確かに、土嚢を一輪車で集積場まで運び
それを離れた広場へ運ぶ
広場へ運ぶにはボランティアセンターの人が
軽トラを使っていたが、もう真っ黒で匂いが漂う
そのたった一台がフル回転していた

あちこちに散乱している車の中に軽トラも見えたが、
もう使い物にならない。
ボランティアセンターから資材や物資を運ぶのも 軽トラ
家財道具を運び出すのも、これから仮設住宅に道具を運び入れるのも
     軽トラ
確かに小回りが効く、小さいが力強い見方であろう

神戸震災にあった人たちはその経験を生かして軽トラをいち早く
届けているという。

中古市場も品薄らしい
どこかに古くてもうあまり使っていない軽トラがないか探すことにした。

彼女と一緒に軽トラを探し、1台でも手に入れたら
私が運転して彼女と一緒に不足している土嚢袋と共に
軽トラを届け物資運びを手伝う。
最後には被災地に軽トラを寄付あるいは移譲手続きをして
帰ってくるという計画を練り始めている。

あとはどこかで 軽トラ を手に入れるだけ
どこかにいらない軽トラないですか?
寄付してくださる方はいらっしゃらないでしょうかねえ?
もちろん、買取を考えています。

災害ボランティア

2011-05-09 12:25:41 | 日記
県で募った災害ボランティアにて石巻へ入った週末

   百聞は一見にしかず

一番被災がひどかった地区より車で10分ほど山側に離れた住宅街
今回は住宅地の側溝の泥上げ

県からの派遣は第1陣が悪天候のため派遣されず、
第2陣が初の派遣隊
そして今回2回目の50人

住宅地の一画の側溝
水は溜まりよどんでいた。
金沢より深く、膝丈はゆうにあろうか、
その中の泥、ヘドロを取り除き水を通す作業
10人ごとに班わけし、リーダーが一人、5班で活動開始

ヘドロは粘土のような、黒いゼリー状のもの
匂いも強い、水分も含みかなり重い。

津波が去った後、地表はすべてヘドロで覆われ、
土の上のヘドロは既に乾燥してひび割れし、
風が吹けば粉塵となって飛沫している

黙々と作業が続く
ボランティアメンバー、気持ちは一つ
側溝の分厚いふたをあけ、土嚢づくりとそれを運ぶメンバー
長靴、ゴム手袋、前面すぐに真っ黒、ドロドロになる

集積された土嚢を業者の方々(もしかしたら別のボランティア)が
ショベルカーでトラックに積み込み、別の場所へ運ぶ
この連続

しかしこのヘドロの土嚢、どこに廃棄するのだろうか。

人間が知らずのうちに排出したものが溜まりつもり積もってできたヘドロ
結局は人間が処理すべきものとして、戻ってきた。

50人で1日半の作業(2日目の午後は雷雨と強風のため作業を切り上げる)
3ブロックほどしかできなかった。
でも、この作業が必要な区画はまだ沢山残っている。
人間一人の力、住民達の力で決してどうにか成るものではない。

海がまったく見えない、こんなに離れている地域でさえ
辺りの住居、すべて1階は津波の被害を受けている。
私の背(160cm以上)の高さほどにくっきりと残っている津波の印、
家の周りや空き地には使いものにならない電化製品、家財道具
たたみ、床板などさまざまなものが積み上げられた状態。
この除去と処理はいつ、誰が、どこへ 行うのだろうか。

街中の川もよどみ土手周りは流されてきたものが散乱したまま
もちろんニュースで見たようなぺしゃんこになった車の数々も
流されてきたまま、2ヶ月経ち、錆びてきている

全体に泥と錆びとで茶色に化してしまった街

連休過ぎてボランティアが減少していくだろう。
気持ちを風化せずに長期に渡り、個人的にでも需要を知り
出来ることを現地で作業をすることが必要不可欠ではないか。
とはいえ、個人ですることには限界があり、
自衛隊であろうとも人海戦術では焼け石に水・・・無力と空しさ

がんばれ!
なんて言葉、虚しすぎて決して口に出せない

現地に居たときは、
自然と自己防衛のために心を閉ざしていたのかも知れない。
今日こうしてあの光景を思い起こすと涙が溢れかえってしまう


直接携わった県の若い職員の方々、自己完結を何度も繰り返し私達に伝え
その準備をしてくださっていた。
作業道具、作業終了後の泥落としの水、容器など考えられるすべてを持参し、
足りないものだけを現地ボランティアスタッフから借受ける。
(土嚢袋500枚用意したが足らず・・・)

継続的な支援をしていくため、勉強の機会となった。
息の長いボランティア活動の必要性、
寄り添う、という形で少しづつでも被災した方々が
自ら立ち上がれる気持ちになるように

同じ土曜日に神戸、茨城からもバスにてボランティアの方々が入られていた。
人数によって、作業は違ったようだが、それぞれ黙々と作業に当たっていた。
こうして少しずつでも前に進めないとならない。

被爆した広島、100年経たないと木々が再び育たないと言われた広島が
見事に復興し、発展しているのだから