三日月がシューティングスターのように撮れてしまった
朝焼け
さて、登りきれるかどうか
修行の時間が静かに始まる
2日目 朝4時出発
4:45くらいにお日様が雲海から顔を出す。
7合目が手に届くくらいの位置からお迎えさせていただく。
今日1日、佳き日でありますように!
神社の方々も山頂からはお日様を拝まないと聞く。
上から目線でお日様を見てはならないらしく、
この7~8合目から迎えると聞いたことがある。
力強さはないけれど、見守ってもらえそうな穏やかさ
本七合目で私は荷物をデポ、小さなリュックに貴重品と3時間分の飲み水だけ持って
身を軽くした。3200mの空気はやはり薄い。
一歩が重い。
上を見上げると9合目の小屋まではっきり見える。
が、その前後は人人人、人の列が道を模っている。
吉田口ルートと8合目で合流しているから多くなるのだろうけれど
げんなり。
ただ人の動きは下へ向かっている。下山の人たちだろう、と
空気も意識も薄い中、都合のいいように考える。
歩き出した時は「禿山の一夜」を頭の中に流していたが、
この頃からは、ほんとに辛くて曲を換えた。
リベラの Far away
ここは霊峰、「六根清浄六根清浄」と唱えながら乗り越える道であろう。
決して岩場があるわけでもなく、歩きにくい細かい黒い火山性砂ではあるが
以外と整備された道をひたすら歩を出せば必ずや頂をふめるはず。
土が赤土に変わり
八合目、頂上が手に取るように見えてきた!
下山の団体客の長い列、登り優先も分からず?道を譲ってくれず渋滞をおこす。
そんな横を「すみません、通してください」と言って登ったのは初めて。
ここ8合目からは浅間神社内、観光地と思わねばなるまいか。
九合目の鳥居の柱には
沢山1円玉が差し込まれている。
なんのおまじないだろうか。5円でなくて1円・・・
空気が薄い薄い
九合目で頂上は目の前、
しかし目の前には韓国人の一団らしき人たちが固まって道を譲らない
へばっているのは分かるけど、ちょっと脇にそれてくれてもいいものを。
空気が薄い
大きく息をはいて鼻から入る分を吸う呼吸
その呼吸ににんにく臭さが混じる。
ちょっと高山病?にかかり始めている私には辛い臭い
「清浄」はどこへいったのやら・・・
7時50分、全員無事に奥宮前に到着
全員で記念?証拠写真に納まる
奥宮にお参りし、
剣が峰・お鉢めぐりもすべきところであったが、
あまりに多い観光客
頂上には飲み物の自動販売機もあり
レゲエの曲もかかっている。
海の家から出稼ぎに来ているようなランニングシャツの
上から下まで真っ黒な若者が土産物をすすめてくる。
風はあまりないとは思うが
それでもウインドブレーカーを着ていても私には寒い。
右手から湧き出していた濃い灰色の雲と雷鳴に促され
お参り後朝食もとらずに早々と頂上から退散いたし候
くだりは「大砂走り」
こんな斜面をほぼ垂直に50分ほど滑り降りる。
一歩だすとズズーっと滑る。
リズミカルに一歩を出すと案外面白いが、流石に50分それをやっていると
膝も痛いし飽きてくる。ただ、今日は後半霧に包まれたので
下から上がるであろう砂煙もなく、崩れる砂も少なくて、ぎらぎら太陽にも向かわずに
最高のコンディションであったのではなかろうか。
地面から湧き上がる靄の中を気持ちよく下る。
そして、須走登山口 11:15発のシャトルバスにどど~と乗り込んだ
それぞれがそれぞれの目的を果たして。
だがしかし、「世界文化遺産」として山梨県と静岡県はこの 霊峰 冨士山 を
どう後世に残し継承していこうとしているのか。
利益を生み出す商業施設としか考えていないのなら、
守るべき「自然」がない分、潔くそれに向かってしまうがいい
だけれども、いつかいつかしっぺ返しをくらってしまうのではないか・・・
裾野が長く、懐深き 美しい輝く独立峰 富士山は
やはり、遠くにありて眺めるもの
「六根清浄」と唱えながら
信心の気持ちをもって登る人だけが
「修行」として山を労わりつつ登る山として残していってほしい。
(白装束にはならないけれど、私なりに気持ち、今回は山では初めて「白」のウエアー着用)
ここはチベット?