樹間暮のきまぐれライフ

ゆったりと・・・残りの20年は過ごせそうにないけれど、きまぐれな日々の生活を少しだけでも記憶の底に残しておくきっかけに。

風邪

2016-03-15 07:25:54 | 日記
不覚にもひいてしまった風邪
暴食をしたかな・・・?
食べ貯めをしてから風邪を引くタイプである。

途中、アルコールでのどの消毒をしたけど
治らない。

毎日違った症状
鼻水が最後まで続いているから
都会の埃にまみれたまみれた花粉症も
併発してるのかな。

治りが遅くなったのは
年のせいもあるのは自覚しているけど

引っ越しの荷造りと断捨離と
不穏な天候と
そして何より、4年間の都会生活の緊張・疲れが
どっと押し寄せてきたのだろう

切れた緊張の糸を紡ぎ直し
あと3日半の通勤と
17日の引っ越しへ
風邪にも負けず
がんばんべ~

(日数計算が合わないって?
 今週引っ越し荷物出して、しばらく保管してもらい
 再来週私自身移動して荷を受けるはめになってます)


娘の卒業式で配られたつきたてのお餅
ずんだ餅としょうが餅
岩手一ノ関の もちもち隊 が参上

東北の現実

2016-03-06 06:27:04 | 日記


東日本大震災
あれから5年が経とうとしている。
陸前高田市の現在をご覧ください。



やなせたかしが描いたモザイク画と遺構となったユースホステル

          
           

松原があったところに構築されている防潮堤
完成時には12メートルの高さになるのだそうです。


           
           土地が1メートルも陥没、道路が途中で川の中へ

           
        
土地かさ上げのため、切り崩した丘の土を運ぶために作ったベルトコンベアー(遺構)



町中で津波に耐えた看板


江戸時代からの集落裏にある鎮守の丘


津波の高さから下を見る

なにもなくなった土地にはかつて
代々続いていたお味噌やさんや麹やさんの蔵などが
軒を連ねていたという。
地震発生から約15分後にこの高さまで津波が押し寄せてきて
引き波により被害にあったとのこと。
年老いた人々もここまであがり
鎮守のお諏訪さんの境内で暖をとり一夜をあかした 
とのお話

ボランティアで語り部をしている方から伺いました。
ご自分の生家だったそうです。


優しい笑顔のお諏訪さまの狛犬





瓦礫はなくなったけれど
現在いまだ7000人近い人々が避難所(別の土地へ避難した人も含む)生活
1億円以上(寄付)かかった一本松の修復(レプリカ作り)
この金額があればなにか別の使い道もあったのではないか、
多くの方々が亡くなったその土地に盛り土でかさ上げして
そこにまた町を作っていく・・・
とても複雑な気持ちです、と地元の方のご意見も耳にしました。

東京オリンピックが決まってから
建築資材が高騰して予算どおりに事が進まない現実・・・

今回一人の旅人として訪れたこの地、
これから私たちには何ができるのでしょう。

ここが私の春からの赴任地となりました。