京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

サザン復活に思う

2013-08-14 08:03:49 | 定年後生活

先日NHKテレビで『35周年スペシャル 復活!サザンオールスターズの流儀』を感慨深く見ました。
番組で桑田君の口から活動再開を決意した理由や、新曲 『ピースとハイライト』を
メッセージソングとしたことについて語られました。

私は1971年4月に遠方の田舎から京都の大学に入学し、1975年3月に卒業し、
そのまま京都の地で就職し、以来38年間なんとか仕事を勤めあげ、
今年の3月末に60歳で定年退職しました。

私が京都に出てきた1971年の大学の状況は、68年、69年の学園紛争や、
70年安保闘争は終わっていましたが、大学内はその余韻が色濃く残っていました。
大学内でヘルメットを被り、火炎瓶を持ち込む集団も何度か目にした時代です。
当時の総理大臣は佐藤栄作です。大学内では沖縄返還協定に反対する運動が盛り上がり、
幾度となく学生集会やストライキ、デモンストレーションが行われ、なかなか落ち着かない時代の大学生活でした。

1971年、世に流れていた歌は、花嫁、また逢う日まで、よこはま・たそがれ、わたしの城下町、17才、虹と雪のバラード、雨の御堂筋などでした。
私が学生時代に好きだった音楽は、アメリカフォークのPPM(ピーター・ポール・マリー)やブラザース・フォー、日本のフォークソング、シャンソン(ジョルジュ・ムスタキ、ナナ・ムスクーリ、シャルル・アズナブール)、イ・ムジチのクラシックなどでした。貧乏学生でしたから、音源はもっぱらラジオです。
1975年、就職して初めての給料で購入したのが、ステレオでした。
ラジオでは味わえない、音質に感激し、やっと好きなレコードを買える喜びを味わっていました。買ったレコードは、ムスタキ、アズナブール、ムスクーリなどでした。

サザンが世にでてきたのは、1977年「勝手にしやがれ」ですが、
私はその年に今の妻と結婚し、所帯もちになりました。
サザンが出てきたとき、変わったバンドが出てきたと驚きました。
いままでの歌謡曲でもない、フオークグループでもない、
しかも何を歌っているのか聞きとれないが、妙に聞きごちがいいのです。

その後サザンの活躍は誰もが知るところです。
サザンが5年前に解散した時は、非常に残念な気持ちでいっぱいでした。
サザンは今、桑田君が57歳で、他のメンバーも56歳から58歳です。
私より若干若いのですが、どこかに同世代意識もありました。
解散時桑田君は52歳、もしかしたら燃え尽きたんだろうか、何かあったのだろうか、
など、心配しました。

その後桑田君はソロで活動するのですが、確かに桑田君の歌ではあるのですが、
やはりサザンではないのに寂しさを覚えました。
その後桑田君は、2010年7月に食道がんが発覚し、音楽活動を休止します。
闘病後復帰したときは、当然嬉しかったです。私は桑田君を少し痛々しい目で見つめ、
大丈夫だろうか、彼も年がいったなあなど思いをめぐらせました。

そして今回、突然のサザン再開と35周年の発表にビックリです。
サザンの桑田君をまた見れるんだと深い感慨が沸き起こりました。
またもや番組で歌う桑田君の目じりのシワが妙に気になり、やはり老けたなあと思い、
そして新曲『ピースとハイライト』を聞き、まだまだ同世代頑張ってくれよなどと、
古くからの友人を思うような気持ちになりました。

今回の新曲は、今までの曲より、メッセージ性があります。
愛や恋やといったフォーク歌謡前のフォークソングみたいだと思いました。
サザンが今後どんな歌の路線ですすむのかわかりませんが、幅が広がったと思いました。
サザンのファンは10代から私のような世代まで、非常に幅広いですが、
今回の復活で、さまざまな思いを重ねた人も多かったのではないでしょうか。

桑田君とサザンには新しい曲も期待しますが、あんまり無理して頑張らなくていい。
元気な姿を時々、テレビで顔を見せるだけでいいじゃないか、と思っています。