京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

秀吉最後の城、幻の「京都新城」初めて出土

2020-05-13 15:31:50 | 京都めぐり


 世の中は相変わらずコロナ一色ですが、昨日非常に貴重な遺構が発見されたと発表がありました。
 気休めにお読みいただけたらと思います。

 豊臣秀吉が最晩年に築城したとされる「京都新城」の本丸を囲う石垣と堀が、京都御苑内の「京都仙洞御所」で発見されたと、京都市埋蔵文化財研究所が昨日12日に発表したのです。
画像はネットより借用です。



 秀吉が築いた最後の城とされ、文献などから存在は明らかになっていたものの、遺構が見つかったのは初めてです。
今回消火設備の設置に伴い、仙洞御所の一部125平方メートルを調査したところ、高さ1~1.6メートル、南北に長さ約8メートルの石垣が出土しました。加工していない石を積み上げる野面積みと呼ばれる工法で3、4段積まれた石垣の周辺からは、豊臣家の家紋「桐」などが入った大量の金箔瓦の破片が出土しました。
 京都新城は慶長2(1597)年、現在の京都御所の南東に造営され、約32万平方メートル(東西約400メートル、南北約800メートル)の敷地を有したとされています。
 その2年前の1595年、秀吉はおいの秀次を謀反の疑いで追放し、秀次に譲った邸宅「聚楽第」を取り壊していました。
京都新城造営の97年に息子の秀頼を伴い新城に入り、秀頼は御所で元服したとされています。
 翌98年に秀吉が伏見城で亡くなると、秀頼は遺言に従い大坂城に移り、新城は秀吉の正室、高台院(北政所)の屋敷となりました。
1600年に関ケ原の戦いが起きた直前に新城の石垣や門などが壊され、高台院が寛永元(1624)年に亡くなると、徳川幕府が解体、跡地に譲位後の後水尾天皇が住む仙洞御所・大宮御所が造られました。

日本の城郭に詳しい中井均・滋賀県立大教授(日本考古学)は「単なる屋敷か本格的な城なのかもわからなかったが大規模な堀と天守を持つ城の可能性が高いことがわかった。近年の城郭研究で最大の成果、高松塚古墳級の発見ではないか」としています。

京都御苑
京都市の中心部に位置し、東西南北を寺町通・烏丸通・丸太町通・今出川通に区切られた区域。
東西約700メートル・南北1300メートルの範囲で総面積は92ヘクタールあります。
今回発掘された京都新城は、京都御所の南東の京都仙洞御所内で発掘されました。
京都御所の面積は約11万平方メートル、東西約250メートル、南北約450メートルの南北に長い長方形です。
秀吉が造営した京都新城は約32万平方メートルですから、御所の3倍ほどの大きさだったわけです。





京都大宮御所と京都仙洞御所
 現在京都御苑内には3つの御所があります。天皇の御座所だった京都御所と皇太后のお住まいであった大宮御所、それに天皇を引退した上皇のお住まいである仙洞御所で、大宮御所と仙洞御所は同じ敷地内にあります。
仙洞御所・大宮御所合わせて面積は9万1640㎡で、東京ドーム2個分とほぼ同じ広さです。このうち仙洞御所が7万5千㎡あります。この仙洞御所の造営が始まったのが江戸初期の1628年(寛永五年)で、完成したのがその2年後。この頃に後水尾天皇と徳川幕府との確執があり、幕府側が懐柔策として御所の造営を図ったのがその経緯で、天皇退位し娘に家督を譲って、上皇として移り住んだのがこの御所です。
 同時に造営された大宮御所とは長い廊下で連絡され、御車寄・公卿の間・殿上の間・弘御所・常御殿など諸殿が建ち並ぶ壮麗な姿を見せていたようです。しかし幾たびもの火災に遭い、その都度に再建されたものの1854年(嘉永七年)の大火で京都御所もろとも延焼して以降は、この仙洞御所のみ再建されず庭園だけ残されています。御殿のあった場所は現在は松林が広がっています。
 大宮御所は幕末の1867年(慶応三年)に再建されていますが、現在は御常御殿のみが残されており、外観は雅な佇まいを見せているものの、内部は外国人VIP向けと言うこともあって洋風に改造されています。




1京都大宮御所御車寄 2京都大宮御所御常御殿南庭 3御庭口
4北池の船着 5阿古瀬淵・六枚橋 6紀氏遺蹟の石碑 7土橋
8石橋 9雌滝 10紅葉橋 11紅葉山 12蘇鉄山 13雄滝
14土佐橋 15八つ橋 16中島 17醒花亭  18柿本社 
19洲浜 20又新亭の外腰掛 21又新亭 22参観者休所


2016年10月下旬に仙洞御所を訪れた画像です。

現在の仙洞御所には醒花亭、又新亭の二つの茶室以外に御殿はないですが、雄大な庭園が残されています。
北西にある大宮御所は1867年に造営され、明治5年(1872)まで英照皇太后のお住まいでした。
その後は天皇皇后両陛下や皇太子同妃殿下が入洛された際の御宿舎になっています。

私が入場したのは11時。
仙洞御所見学の出入り門は大宮御所の正門です。




まずは大宮御所御車寄(玄関)



木々中を歩きます。



大宮御所御常御殿
外観は和風ですが、大正年間に内部は洋風に作り替えています。



御常御殿の南庭です。
庭には紅梅、白梅、竹林、松が植樹され、「松竹梅の庭」と伝えられています。











キンモクセイが咲き香りが漂っています。



仙洞御所の広い池です。
池は北池と南池に分かれています。



和舟があります。
天皇皇后両陛下はこの舟で池めぐりをされます。



六枚橋の手前に阿古瀬渕(あこせがふち)があります。
御所造営前からの古い池がありました。



阿古瀬渕由来は平安時代の歌人紀貫之の邸宅がこの近くにあり,紀貫之の童名「阿古久曾」由来すると言われています。
紀貫之の石碑があります。







北池の周囲を歩いていきます。



一部紅葉しています。



木造の橋や石造り六枚橋を通ります。



















紅葉山を抜けていきます。
紅葉時分はさぞかし美しいと思います。







南池が見えてきました。



州浜です。
楕円形の平たい粒の揃った11万1千個ほどの石が敷き詰めてあります。
石一個につき米一升で集めたそうで、「一升石」と呼ばれています。







南池には中島があり、藤棚に覆われた八ツ橋が架けられています。
春の藤棚も見てみたいものです。



藤棚から見える紅葉山と紅葉橋



カモが泳いでいます。



とうとうと布落ちする幅80cm、高さ180cmの滝もあります。



八ツ橋を歩きます。



石灯籠



醒花亭が見えてきました。



醒花亭です。
南池を一望する場所に茶亭です。
正面の玄関に庇付け出し、腰高障子を入れ、書院、入側(縁側)を取り、その間に建具を入れないのが特徴です。











違い棚意匠が斬新です。



醒花亭の「醒花」は李白の詩から採られたもので、拓本の額が掲げられています。
二段目に「醒花」の字があります。







朝鮮灯籠



銭型のつくばい



さらに歩きます。



万葉歌人柿本人麻呂をまつった小社があります。



南池を見ながらさらに歩きます。



又新亭(ゆうしんてい)の外腰掛



入り口



又新亭
明治17年(1884)近衛家から献上された茶室
茅葺きと柿葺きの屋根と大きな丸窓を備えています。



約1時間の見学でした。

ここが秀吉が最後に造営した新城の一部だったわけです。




新緑の祇王寺

2020-05-13 05:35:35 | 2020 花


3年前の祇王寺の新緑です。
ここの新緑と青苔の世界は感動します。
現在祇王寺はコロナ感染症による非常事態宣言発令中で拝観休止です。




茅葺き山門





拝観受付を通って目に入る景色
茅葺き草庵





今回も青苔がきれいでした。



















































































緊急事態宣言中でも拝観を続けている寺院がありますが、ここは宣言が解除されないと再開しないようです。