道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

点る灯

2022年11月03日 | 人文考察

「男性というものは、幾つになってもマドンナが居る」と、かつて当ブログに「マドンナ - 道々の枝折」として記事投稿した。

「フーテンの寅さん」よろしく、マドンナを胸中に秘めている男性は多い。記事でも書いたが、マドンナは男性に通弊の浮気癖とは無関係である。聖女視など、滅多にあることではない。

老生の年配でも、男性はマドンナに会うと、その日1日が心楽しく、足腰の痛みを忘れ、人にも細君にも優しくなり、孫に小遣いをはずむ典型的な好々爺となる。

先般、老生図らずもマドンナに邂逅、しかもあろうことか、そのマドンナから讃辞をいただきいてしまったからもう大変。すっかり嬉しくなって舞い上がった。家人が訝しがるほど、機嫌が好かったらしい。

「寅さん」と違って男性は一般に、マドンナの存在を決して口にしない。口にしたら最期、マドンナではなくなるからだ。心に秘めているものである。
したがって女性は、いつ何どき、誰のマドンナに成っているかわからない。だから、齢をとったからと言って、それら「the unknown male」を失望させてはいけないと思う。

美貌がマドンナの要件と考えるのは偏狭な考えである。インスタグラムの❤️数を見ていると、美貌だけではクリックを招かないことが客観的に証明されている。やはり内面とか、総合的な魅力がないと、人のマドンナに成ることは難しいだろう。

老いても女性は、見知った男性たちが生存している限り、マドンナとしてその胸中で輝いている可能性がある。
また男性にとっても、マドンナの健在は、元気の源となっていることはたしかだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 驕慢 | トップ | 伝統 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿