私たちは幸いにも、祖先が海洋中の八つの島に住みクニを定めたおかげで、有史以来、異民族に征服支配されたこともなく、同一民族の安定社会で固有の伝統を守り続けて来られた。そのおかげで、国中何処へ行っても、伝統がその地の文化を支え息づいている。まさにわが国は、伝統国家という名称が相応しい。
伝統を重んじるということは、好いことと私たちは考える。だが、血の滲むような努力をして伝統を守って来たわけでもなく、庶民が粘り強く異民族や権力と闘い抜いて勝ち取って来たものでもない。長いものに巻かれる民族の性癖で、権威と大勢に逆らわず、代々前例を踏襲し続けて来た結果である。
民族が生来、改革や革新を好まない気質だったことが、結果として多様な伝統を今日まで保たせていたということである。新規のことをするよりも、前例慣習に従う方が楽なのである。
伝統を保守する性情に対して、進取の気性も決して吝かでないことは、奈良時代以降の熱心な中国文化の導入や、明治以降の欧米文化の吸収で実証されている。
惜しいことに、徳川政権のキリスト教禁圧と鎖国の政策が、西欧近代文明を摂り入れる時期を遅延させ、300年の空白期間が生まれた。明治以後の西欧文明吸収の勢いは、この文化的空白を埋めるためのエネルギーの爆発だったと理解することができる。明治期の新取の動機というものは、歴史に促された面が強いと私は理解している。
敢えて言わせてもらうなら、私たちの社会は、その根本に因循固陋な心性を宿しながら、外来の新しい文化の吸収には甚だ貪欲なところがあったように思う。島国の特質かどうかはわからないが、それは一つの特性である。
欧米のような、自発的に開明開放を求め、風通しのよい社会に変革させようとする力を潜在させているわけではない。社会がある種の湿り気(それは情緒的とかウエットとか表現されることが多い)を帯びていると感じるのは、因循固陋から発しているものなのだろうか?
人が旧態を墨守するのは、それが自分にとって適切有利であるからである。社会が革新を好まないことを熟知しているからである。迎合するのは保身であり利己である。利己なら褒められることでも誇るべきものでもない。
旧弊を打破し、権力や権威の固定化に反抗し、自らと同朋の血を流して獲得する自立の誇りはそこに無い。
伝統というものは、前例踏襲を頑なに守り続けた結果に過ぎない。それほど有り難がり自慢するものではない。その証拠に、伝統が人々の福利や民生を高めてきたかというと、疑問符がつく。社会に活力を与えて来たことは疑いないが・・・
それは権力者の権威のためであったり、庶民の慰安や娯楽であったりするが、崇高な理念に裏打ちされたものでもない。
伝統の一語の下に、不合理なものに対する抵抗を封じる圧力が、隠然と存在している。
我が国の文化を閲すると、伝統が重くのしかかってくるのは避けられない。伝統行事・伝統芸能・伝統技能
・伝統文化。伝統は枚挙に遑ない。
為政者は伝統を自らの統治に利用する。時に伝統と世襲が不可分の関係になっていることも多々ある。伝統主義は権威主義に繋がり、民主主義と対立する部分が多い。伝統が格別に重んじられるのは、この国の社会と政治にとって、好ましいことばかりとは思えない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます