道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

食性

2019年04月24日 | 健康管理
30代から40代にかけて、渓流釣りに
明け暮れた時期があった。寝ても醒めても渓流釣り。奥三河・南信州の渓々がテリトリーだった。人より早くポイントに入るために、夜中に家を発ち、明け方渓に降りる。
 
釣ったアマゴは帰るまで鮮度を保つため、遡行中の休憩の度、獲物の腹を裂き内臓や、エラを除去した。
その度に、私はサケ科の魚食魚の胃腸の強靭さに感嘆した。胃は厚く太く腸は短い。塩辛にすることができるほどだ。イワナの胃を裂いたら、コガネムシが何匹も入っていたこともあった。甲虫の殻を消化する胃腸の靭さに驚愕した。

それと比べると、コイ科のハヤ・ウグイなど草食・雑食性の魚の消化器官は薄く細く長い。プランクトンや海藻を食べている海魚の胃腸も脆弱で傷みやすい。魚は常の食餌すなわち食性によって、消化器にも形質の違いが大きい。
 
私はこれを知って、哺乳動物も同じだろうと、肉食動物と草食動物との消化器官の違いを連想した。想像はさらに発展し、人類でも肉食系の人種と魚食系の人種とでは、消化器官の形質構造に差異があるに違いないと考えた。日本人と白人では、消化器官に微妙な違いがあるのではないか?いや、日本人と米を食べないモンゴル人とでも、違いは大きいだろう。
 
動物には食性がある。ちょうどその頃、食性に反するものを食べていると健康を害すると警告していた柳沢文正氏の著書を読んでいた私は、白人の食性と日本人の食性の違いは、ヤマメ・イワナとハヤ・ウグイとの違いに匹敵するのではないかと考えた。彼らの肉類や動物性脂肪に対する消化力は、明らかに日本人のそれよりも高い。反面、野菜・海藻の消化力は日本人の方が高い。戦争中に捕虜のアメリカ兵にゴボウを食べさせ、虐待と誤解され戦争裁判を受けた話を聞くが、事実なら無知による善意の所業だった。その日本兵への同情を禁じえない。
 
それやこれやで、人種間の食性の違いを考慮せず、白人を対象にした研究で確立した近代栄養学を、日本人にそのまま適用する考え方には、無理があるのではないかと疑っていた。そんな時に、栄養学の常識を打ち破る実例に出会った。
 
手術を受ける為病院に入院していたときのこと、隣のベッドに、急性の肺炎で80代の老人が救急搬送されて来た。
 
容態は重いらしく、ベッドの周りのカーテンは閉じられ、酸素吸入器その他の器具が運び込まれた。頻繁に医師や看護師が出入りし、患者の容態が重いことを窺わせた。一時は生命の危機に瀕していたと後になって聞いた。
 
3日後にカーテンは開かれ、その患者の顔を初めて見た。思っていたより元気だった。真っ黒に日焼けし、坊主頭で人の好さそうな、笑顔を絶やさないがっしりした体格の老人だった。
 
驚いたことに、老人は病院食の肉や鷄・魚にいっさい手をつけなかった。食べることを拒否した。信仰している宗教の教えを守っているとのことだった。医師や看護師がどんなに説得しても、頑として米飯と野菜しか食べなかった。私は彼は早晩衰弱して死ぬに違いないと思った。しかし不思議なことに、老人の身体は医師たちも驚くほどの回復力を示し、めきめき快方に向かった。
 
彼に興味をもった私は隣同士の気安さで、無遠慮にもいろいろと訊ねた。若いときアメリカに渡り、大工をしていたこと。飲む搏つ買うの三拍子揃った無頼者で、家庭人として最悪であったこと。とうとう妻にも子にも見放され、家族を失うまでの半生を、老人は日毎若造の私に訥々淡々と語ってくれた。
 
家族と離れ孤りになった彼は、キリスト教再臨派のSeventhday Adventist教会の信者となり、宗教に救いを求めた。この教会は土曜日を安息日とし肉食をしない。長い修道の末、老いた彼は郷里に帰り、自給自足の生活を送っていた。

入院したのは、風邪をこじらせ高熱を発して意識不明で倒れているところを、幸運にも知人に発見されてのことだった。
 
話を聞いて私は感動した。無頼の限りを尽くし、妻子にも見捨てられた男が、寸暇を惜しんで聖書を読み畑を耕し、神の声に耳を傾け、神に命を委ねて静かに暮らしている。彼の穏やかな温顔からは、アメリカでの荒んだ生活の影は微塵も感じられなかった。自分の命は全て神の意思と愛によるものと信じ切っている。死を全く恐れていなかった。真実の信仰をもつ人と生まれて始めて出会ったと感じた。
 
肺炎が快癒した彼は、退院し自宅に戻った。遅れて退院した私は、ひと月ほど間をおいて、彼の自宅を訪ねた。信仰の人の日常に強い関心を抱いたからだった。
 
その人は、一反(300坪)ほどの畑に面した住宅で、静かに神と共に暮らしていた。そ菜を自給しているというが、畑には単一の種類しか栽培していなかった。ちょうどスイカの穫れどきで、それをご馳走してくれた。その時の話に再び仰天した。
 
毎年ジャガイモ・カボチャ・トウモロコシ・スイカなどを順に作っているが 、それぞれの収穫期には、その収穫物ばかりを食べていると言う。

スイカの収穫期には、主食のコメのほかに食べるものはスイカばかり。神が次々に恵んでくれるものを食べているという。あれが食べたい、これを食べたいとは思わない。スイカの時はスイカだけ、カボチャの時はカボチャだけを食べていると言う。勿論酒だのコーヒー紅茶などの嗜好品はいっさい飲まない。それがその宗派の信徒たちが実行している生活なのだ。
 
病後の彼の体格は肉づきよく、血色もよかった。この食生活をどう考えたらよいのだろう。医師や栄養士なら、絶対に認めないだろう。
 
私は即座に到底このような生活はできないと思った。酒が飲めない、嗜好飲料も飲めない、肉も鷄も魚も食べられないは、私の考えでは生の否定に繋がる。しかも教団は安息日を土曜日と解釈しているから、信者家族は土曜に欠勤し、子供の学校も休ませなければならない。現在ならその面は問題はないが、当時は週休1日で土曜日は半休だった。肉・鷄・魚を禁じ、土曜は学校を休ませるのは、宗教的寛容の限度を超える。今なら間違いなく児童虐待と受け取られるだろう。しかし、現実にそれを実行している家族に会ったが、明るい幸福そうな家族だった。
 
その後老人は、信仰生活を続けて90歳を超え天寿を全うした。
私が彼の信仰生活を目の当たりにしたのは幸運だった。知識では解明できない事実の重みに、それまでの、科学への盲信にブレーキがかかった。医療に依存して生きる現代の暮らしに、疑問が芽生えた。
 
彼が医学や栄養学の常識に反して信仰生活を全うした事実は、その後健康問題を考える上で、多くの示唆を与えてくれている。
 
民族伝来の食物や食習慣は健康の維持に欠かせない。白人の食習慣には、我々と相容れないものがあるはずだ。日本人の栄養学は、西洋伝来の栄養学とは異なるところがあってあたりまえではないか?

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