道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

情操1

2019年04月23日 | 随想
先般テレビのニュースを見て驚いた。中国のベンツ販売店で、顧客の若い女性が店の対応に怒り、車のボンネットの上に胡座をかいて座り込んでいる。
なんでも、購入したばかりの新車からオイルが漏れ出ていたらしい。大変な競争率の難関大学院を出てそれに相応しい地位につき、1000万円の高級車を買った自分に、あろうことか故障車を納入し、しかもクレームに対して納得できる慰謝と補償がないと息巻いている。当人は納入車の取り替えを要求するも、店側はエンジンのみの取り替えで済まそうとしたことに腹を立てたようだ。

数ヶ月前にも、スウェーデンの一流ホテルで、チェックインの時刻前に部屋に入れろと要求して断られた中国人旅行客が、それが不満でロビーで泣き喚き、大騒ぎをした事件があった。

くだんの中国人の奇矯な行動の背景には、特別待遇を他人に強要する特権意識が現れている。中国社会に世襲的特権階級が居ることや、高学歴の大企業社員に強い特権意識が蔓延
していることは、よく知られている。ひとりっ子政策の結果、無教養な両親に宝物のように大切に育てられ、進学と社会的栄達を一心に望まれて成長した子どもたちの、成るべくして成った姿である。
 
古代に科挙制度をつくりあげた中国人の、学歴偏重社会は夙に知られているが、大学院まで出た自分に適した扱いをしないと怒る件の若い女性の慎みの無さには、世界中が呆れただろう。夜郎自大という言葉を思い出す。ひとりっ子政策は、数は少ないだろうが彼女のような偏った若者を、毎年社会に送り出しているのだろうか?

人は情操を欠くと慎みと思いやりを保てない。情操を養うことが尠なければ、人としての軌道を外れることもある。学力に偏して情操に意を用いない生活が、テレビニュースの彼女のような人格をつくったのだと思う。
 
恥知らずな行為が横行する不毛な社会は、中国だけに限られたことではないが、それが昨日今日に始まったことでないのは確かだろう。遠い祖先の時代から、形こそ違え、似たようなことが繰り返されてきたに違いない。人間性への理解の欠如した社会の歴史的必然かもしれない。

国の民度は、国民一人一人に備わる情操の水準によって決まる。情操教育は公教育が担うものではなく、家庭が受け持つもので、真の教育の中核となるものであろう。親には子どもの情操を発達させる責務がある。情操豊かな市民があって初めて、良い社会が出現する。将来の良き市民は、道徳や倫理の教科書で育つものではない。中国の事件は人ごとではない。

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