道々の枝折

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近江の歴史探索行 太尾山城(ふとおやまじょう)〈米原市〉

2019年05月13日 | 近江の歴史探索行
今月の近江歴史探索行は412日、中
山道米原宿。

米原は、古くは琵琶湖水運の朝妻湊、後の米原港を擁し、また陸路では東山道と北国街道、後の時代の中山道と北陸道の合流点であり、東海・北陸・京阪を結ぶ水陸交通の要衝でだった。したがって、歴史遺産の豊かな土地である。
 
米原駅東口を出て国道8号線を渡り、住宅の間の緩やかな坂道を抜けると、旧中山道米原宿の街道に出る。北へ向かってすぐ右手のT字路角に「湯谷神社」の石碑が目に入った。街道を山側に向かって折れ、100メートルほど先の神社へ行ってみた。
拝殿の手前に、由緒書と地図、2つの掲示板があった。
上古、出雲の国人がこの地に来て、温泉を見つけたとある。なぜ出雲の人かというと、古墳時代中期の出雲には、扇状地平野の河川に井堰を構築して灌漑を施し、稲の生産を飛躍的に高める先進的な技術や技能をもつ人々(渡来系新羅人の秦氏)がいて、イズモはヤマトに匹敵する強大なクニだった。その勢力は、海路河川で繋がる若狭・近江・越前・美濃・信濃から武蔵にまで及んでいた。中核地の近江には、秦氏が繁栄していたらしい。秦氏は銅や鉄の生産にも卓越していた。

彼らが古代近江の姉川流域や天野川流域の扇状地平野の開発に深く関り、工事に携わったのは明らかである。近江平野の灌漑に関わった出雲の渡来人技術集団には、銅や鉄などの鉱石を採掘する専門技能者の穴師がいる。彼らが副次的に湯谷(ゆのたに)温泉を発見した可能性が考えられる。
 
地図の方は、神社の背後の太尾山(ふとおやま)一帯の地形図で、足利時代に築かれた山城の遺構が標されている。
太尾山の高さは254m、北鈴鹿山系、
霊仙山の尾根続きである。山体が社の背後に屏風のように迫っている。山歩きの用意は無いが、履いていた靴が踝上のハイカットブーツだったので、山頂まで歩いてみることにした。今日はスタートから、当初の予定を変えてしまった。
 
神社の右手の暗い杉木立に入る。道は忽ち急坂になり、左手の谷がどんどん深くなる。麓から山が直立しているような山容だ。登山道は山腹を幾度もスイッチバックして高度を上げ、谷が稜線につき上げている場所で尾根を切る峠に出た。城郭遺構の「堀切り」だろう。
稜線尾根を右にとれば太尾山城南城趾、左にとれば太尾山城北城趾を経て山頂に至ると標識にある。尾根を断つ堀切りの底でもある峠道を進み下れば、千石谷を経て番場方面に通じる道があるらしい。
 
山頂を目指し、痩せた稜線尾根を23箇所断ち切る堀切りと、土塁で囲われた平坦地(曲輪)を越え、登山道を進む。東西どちらの斜面も切り立つように急峻な稜線尾根である。

着いた北城は、三方を土塁に囲われた曲輪で、この城の本丸にあたる山頂である。この先北への稜線尾根は、急下降している。

案内板によればこの城は、文明3年(1471)、土豪の米原氏と美濃の守護代との合戦があった頃に築かれたという。城というより、野戦陣地と呼ぶに相応しい素朴な構築物である。

その後の戦国時代には、佐々木京極
氏と佐々木六角氏の勢力圏の境界に在ることから攻防の歴史を累ね、元亀2年(1571)織田信長の近江侵攻に伴い、城番が開城退去して以後廃城となった。城としての歴史は100年足らず。それだけに、野戦築城の面影が色濃く遺っている。
往路を戻り、太尾山城址(南城)に
行ってみた。ところどころに咲くヤマツツジの花が目を惹く。

南城は、峠のすぐ上手に位置していた。北城と同様の小曲輪である。
この山は守るに堅い山城として理想的な地形だ。かつて友人達と歩いた敦賀の〈金ヶ崎城〉を思い出した。


木立の切れ目越しに、琵琶湖方面を望むことができた。

この太尾山は霊仙山の峯続きというから、石灰岩質なのかもしれない。土壌が貧栄養と見え、アセビ・コナラ・マツなどの樹木は総じて丈が低い。春秋に山野草の楽しめる山かもしれない。
 
久しぶりに、コバノガマズミの花を見て嬉しくなった。毎年当たり前のように見ていた花だが、山地に足を向けなくなって、目にすることが絶えていた。時の流れの疾さに、感慨を覚えた。


ガマズミのほかにイワカガミもあったので、改めて花期に訪れてみなければならない。その際は、婆娑羅大名の京極佐々木一族・佐々木道誉が、自ら書き写した経典を納めたと伝えられる青岸寺へ下り、国名勝の枯山水庭園を鑑賞してみたい。


10年ぶりの植物との邂逅、まさか米
原駅近くで、史跡と自然の両方を満喫できるとは思わなかった。
 
湯谷神社に戻り、宿の町並みを北進する。中山道と北陸道の分岐点に江戸期の石の道標があった。右中山道を行けば醒ヶ井宿・番場宿、左北陸道は長浜宿・木之本宿とあった。


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