私たちの理解や判断は、学習と体験で得られた知識を頻繁に参照することによって成り立っている。記憶の保存と検索の能力がこれをたしかなものにしている。
一般に人はある段階で学習を修了せざるを得ないが、寝ている時以外は活動をしているので、体験は生涯を通じて已むことがない。体験は人の理解力や判断力を高め、人を琢磨し続けるものである。
大工さんが毎日ノミやカンナを研ぐように、私たちは日々自分自身を体験という砥石に当てて暮らしている。
好い体験であれ悪い体験であれ、体験からは必ず何らかの影響を受ける。その影響を爾後に活かすかどうかで、人の生き方は変わってくる。
「人生に於いて無駄なことは何ひとつない」と謂う言葉は、体験を活かす人にこそ相応しい。この世に生を受けた以上、どのような体験でも、好むと好まざるとに拘らず前向きに受け止め、自家薬籠中のものとして活かすことが大切である。
幸福な体験ばかりとはいかない。不幸な体験もあるだろう。人の運命は、トータルでは幸と不幸が均分されているもの。その意味で、凡ゆる体験は等価・等質であると言える。体験に優劣・軽重はない。
斯様な考え方をしていれば、自己を肯定する生き方を採ることになるはずである。好い体験ばかりを望むから幸・不幸の二項対立でしかものごとを考えられなくなる。
老いて洒脱になれるかなれないかの岐れ道は、きっとその辺りにあると思う。
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