道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

食の嗜好の不思議

2006年04月08日 | 旅・行楽
泥臭いという語には、土臭いとか野暮
であるの意があって、この言葉は一般
に否定的な意味合いで使われる。泥臭
い物は普通誰もが好まない。

若い頃はご多分に漏れず泥臭く土臭い食材が苦手だった。それが、中年になったらそれらの食材を使った食べ物の風味を好ましく感じるように味覚が変わってきた。泥臭さばかりか、山菜などアクやエグミのある食べ物を好むようになったから不思議だ。

野菜ならレンコン、ゴボウ、サトイモ、ダイコン。生き物ならドジョウ、コイなどコイ科の魚やシジミなど淡水性魚介。年齢を経るにしたがって、その嗜好の度合いは強まってきているように思う。自分だけに限ったことでなく、同年配の人の多くも、似た経過を辿ってきていると語る。

思うに、我々の脳の味覚や嗅覚を司る部分には、ある年代に達すると、それまで不快に感じていた味や匂いが逆に好ましくなる仕組みがあるのではないだろうか。その理由について推測してみた。

大陸の沖積平野で何万年も生活していた民族が常食にしていた食材には、当然のことながら環境の大半を占める、泥土で育つ植物や川や水路の泥底に餌を求める魚介類が多く、それらのほとんどは泥臭みを帯びていた。水田を耕作するようになってからは、その地の住民は、身近なところで入手できる泥臭い食材を食べ続けていた筈だ。好んで食べたくはなかったろうが、世々にわたって食べ続けているうちに、これら食材の泥臭さは空腹を満たす快感と一体化し、その味覚を好もしいと感じる感覚が、その地の住民の味覚中枢に定着したのではないだろうか?

それでもこれらの食材は、人間の嗜好の順位からいえば、獣肉や海の魚介よりも下位にあったであろうことは推測できる。狩りや漁撈の能力に勝れた、食物獲得能力の高い壮年までは、それら優位の獲物の味を好むようにし、その能力が衰え始める中年期以降になると、手近に入手できる、劣位にある泥臭さやエグ味のある食品に嗜好が移るよう、嗜好変化のプログラムが脳に用意されていると考えてみるのはどうだろう。それによって、沖積平野の住民は、食料の生産と配分のバランスを調整するよう、進化してきたのではないか?

それにしても、好みが或る年代を以て逆転するような体内スイッチの真の目的とは、どのようなものなのだろう。もしかすると、これら食材の成分には、成長期にある幼児や活動期の青年、そして出産と授乳をする若い婦人には有害なミネラル分が含まれていて、それらから個体を守るための生理機構が働いていたのではないだろうか。老化がある段階に達すると、その機構のセンサーは機能しなくなり、これらアク、エグ味、泥臭さを美味と好もしく感じるようになるのではないか?

また、泥臭い食材を美味しく味わうためには、泥臭さを消す調味料や副材料の活用をはじめ、臭みやえぐみを消したり旨みに変え風味を引き出す独特の調理技法が発達する。これには①単純に高温の油でアクや臭いをとばす方法と、②成分の拮抗する食材に酒、味噌、醤油等調味料を加えて煮炊きする、複雑で高度な方法とがある。前者は中華料理の、後者は和食の料理の基本的な調理方法になっている。

泥臭を消すに最も効果の高いものは、同じ泥田で育った米を原材料とする醸造酒かと思う。したがって、日本の水田地帯が生んだ料理に適う酒は、日本酒をおいて外にないということになるだろう。同時に日本酒の旨さを引き立てる究極の食材は、ゴボウ、レンコン、ダイコン、サトイモ、ドジョウ、コイ、フナではないかと独り合点し、好んでこれを肴にしている。


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