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道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

Decade

2024年03月02日 | 人文考察
昔通っていた寿司店の親方が健在だった頃、修業した年限を訊いたことがあった。10年との回答だった。

技能と知識で生きる職人が一人前になるには、一般的に10年はかかるのが普通だろう。職人の世界ばかりでなく、商人も同じである。商品の知識・値踏み・仕入れ・販売のコツなど、取引に明るくなるまでには、そのくらいの年月を必要とする。会社員でも、職場の実務に精通し仕事を任せられるには、10年前後の時を必要とするものかと思う。

人が技能に習熟し知識を蓄えるには、標準的に10年の時限を必要とするのは、今も昔も変わらないだろう。
実務は反復して習熟するものである。反復繰り返しの回数が習熟点に達するには、どうしても10年の歳月を必要とするように人間は出来ているに違いない。

英語には「decade」という年限を表す単語があり、それは日本語の「10年ひと昔」に当たる。
洋の東西を問わず、10年を事の推移の一区切りに選んだのは、それなりの理由があったと思われる。

社会がdecade単位で動くことを、人類は早い時代から、経験で知悉していたに違いない。人間の習熟期間を基盤に社会が成り立っていることは、いかなる短気な権力者にも、動かしようの無い厳然たる事実として捉えられていただろう。城塞も宮殿もdecadesを経なければ完成しない。

私は社会に出たばかりの頃、甚だ不遜で生意気な若造だった。企業は精細なマニュアルと短期集中の教育訓練とで、新入社員の修業年限を短縮すべきではないかと疑っていた。一人前になるのに10年もかかるのは、仕事の分析が怠慢で、秀れたマニュアルを作れず、周到な教育システムをつくれないからだと考えていた。
前例踏襲体質で、分析と改善が不十分だから、新人が一人前になるのに10年もかかってしまう・・・と。徒らに時間を浪費するのは、雇用者の側の怠慢と見ていた。
優れた仕事というものには、マニュアルに表せない微妙な調整とか感覚と謂うものが無数にあることを知らない、甚だ浅はかな考えで、今その頃のことを思うと、洵に忸怩たる思いがある。

社会にはその社会に固有のテンポがある。人々はこのテンポに従って仕事を進捗させている。多様な仕事の様々な局面や状況にひと通り精通するには、この固有のテンポを掴むことが大切だ。
人間は銘々勝手に生きているようだが、テンポに従って秩序を保ちながら仕事を進めている。社会が10年単位で変わるのも、このテンポに依存しているからだろう。

日本の政治・経済の空白期の「失われた30年」は、変化の最小単位の各10年を、只徒らに3期連続して無為無策に過ごした結果であって、これは政権の怠慢以外の何物でもない。

コンピューターはCPUのクロックのテンポを速めることで演算処理能力を高めるが、生身の人間はそうはいかない。生理的なクロック速度というようなものが人間一般に定まっている以上、社会はそのテンポに同期しなければ、情報のやりとりが上手くいかなくなってしまう。この先どれだけITが発逹しAIが進歩しようとも、人間の10年という習熟期間を縮めることは難しいのではないかと思う。

多民族国家のアメリカは、何でもマニュアル化する国らしく、ことは製造業からサービス産業まで、全てに及んでいる。徹底して職務分析を進め、標準化する企業風土があるのだろう。彼らのマニュアル社会は世界の標準になりつつある。
今日サービス業のホスピタリティは、微に入り細に及ぶマニュアルに依存している。その結果、ホスピタリティの本質が失われてしまったように感ずる。

私たち日本人はお人好しで、店の人もお客も、互いに無意識で心を通わせようとする。マニュアル化の進んだ今日でも、これが世界中の人々から評価される淳良なホスピタリティを生み出し、海外の人たちに好印象を与えているらしい。私が若い頃当惑したマニュアル化に馴染まない気質は、今や国際的な評価の素因になっているようだ。




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