こどもの頃から、興味のないことに時間を奪われることが嫌いだった。その上従順でないから、習うということに適さない。興味のあることにだけ集中力を発揮する不埒で我儘なこどもだった。
学校の授業でも、興味のない教科はうわの空で聴き流し、別の興味のあることばかり考えていたように憶えている。先生からは、問題のある生徒に見えていたことだろう。こどもに通例のワンパクなところはなく、妙に大人しいので扱い難い。昔の言葉でいうなら「タチの悪いガキ」だった。
こどもは好奇心の塊と言う。親御さんたちは、成長に伴って発展するわが子の好奇心を知識欲と理解して歓迎する。油断してはいけない。買いかぶりというべきものである。
好奇心は、自然に佳いものや佳いことに向かうとは限らない。芳しくないことへの好奇心は、厳しく排除すべきである。
この好奇心というものにだけは、大人たちは極めて寛大である。全ての好奇心を知識欲の現われと、盲目的に評価してしまうところに間違いの因がある。
知識欲や好奇心を発揮して、親たちや大人たちを驚ろかしたり喜ばれた体験を持つと、幼いこどもはそれを良いことと勘違いしてしまう。こまっちゃくれて頭でっかちに育つ。その結果、物知りだが地道に辛抱強く事に取り組まなかったり、自身で慥かめることをしない、受け売りばかりの耳年増とでもいうべき軽薄な若者が出来上がる。
好奇心という言葉がいけない。好奇欲と呼ぶのが妥当だろう。実は好奇心は欲望の一種である。欲望なら、無分別に欣んだり歓迎すべきものではない。
親御さんたちは、わが子の芳しく無い分野への知識欲や好奇欲を、早いうちに剔抉しなければならない。何が良くて何が悪いか弁別が難しいと考えるだろうが、そこは親の独断と偏見で構わないと思う。子育てに正解はないので、子を思う親の直感が正しいと判断するしかない。
私は何事によらず、年端のいかないこどもが欲望に衝き動かされるのは良いことではないと考えている。現代の商業主義は、こどもたちの好奇欲に訴えるマーケティングが甚だしい。無制限の有様である。
子どもたちの欲望を刺激して金儲けを企む輩が多過ぎる。親たちは格段の注意を払って、わが子を商業主義から護らなければならない。昔は判断力のないこどもをターゲットにするビジネスは無かったのだが・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます