年齢のせいか、半生を振り返ることが多い。
中学2年の時に、初恋らしきものを経験した。一方的で先方の気持ちを確かめた訳でもなく、恋の範疇には入らないような仄かな感情だが、初恋らしきものという外はない。
ただ普通でないことに、ほとんど同時にふたりの女性に似たような感情を抱いた。決して軽佻浮薄な気持からではなく、それぞれの女性と接する生活空間が異なっていて、そのどちらの生活空間も自分にとっては重要な場であったことが理由だったと思う。
この世には、人が生きる生活空間が複数ある。それらの間には、目に見えない垣根があって、互いに重なったり開けた世界であることは極めて少ない。世界が違えば、価値観も慣習も異なる。
この世の中にたまたま私に関わりのある異質な生活空間がふたつあって、それぞれの空間に、思春期の私を魅了する女性が同時期に現れた。このような事態は、中学生には通常生じないはずなのだが。
ひとりは、ふたつほど年上の女性。この女性には話をしたり勉強を教えてもらうことも多く、彼女の聡明さ・勁さ・淳良さ・明るさに心惹かれた。年長者への敬意もあった。恋慕より思慕の情というのが適切かもしれない。
もうひとりは、中学校の隣のクラスの、屈託のない笑顔が魅力的な女生徒だった。当時親代わりの祖母を失って失意の底にあった私は、彼女の笑顔に癒され元気を取り戻した。
後年人から聞いたところによると、彼女は父親が東京で事業に失敗してこの地に移って来たらしい。しかしその境遇にひしがれている様子は微塵も見えなかった。
学校での掃除の際に、隣りの教室との境越しに身を乗り出し、見出す彼女の束の間の笑顔が、当時の私の唯一の慰めだった。3年になると、教室の配置が変わり、彼女を垣間見る機会は減ってしまった。翌年彼女は進学を諦め卒業した。以降姿を見かけることは絶えてなかった。
何年か経ったある日、赤児を抱いた彼女を、市内のデパートで見かけた。その時が彼女の姿を見た最後だった。連れの女性が傍にいた。
爾来、彼女の幸運を願って同窓会には欠かさず出席していたが、古希を迎えた今日に至るまで彼女の出席は一度もなく、消息は遥として知れなかった・・・
ふたつ年上の女性は、私が高校へ進学するのと前後して不運に見舞われ、遠い故郷に帰った。以来音信はなく、探す術もないままに時は過ぎた。それでも面影を忘れることはなかった。
数年前に彼女の故郷、ハマナスの実る海辺の漁村を訪ねた。消息を知るよすがはすっかり絶えていた。ただひとつの慰めは、昔私が彼女を撮って今も手元にある写真の存在だけである。16歳の健康な頬が輝く笑顔のポートレイト・・・
初恋の思い出は甘酸っぱいという。それは望ましくも貴重でもある。だが、私のような哀しみと虚しさだけが遺る初恋も、数多くあるに違いない。
倖せというものは、本人の努力や頑張りだけでは掴めないもののようだ。家庭環境・社会環境の中で、人には制御できない運命がある。2人の女性にどのような運が訪れたのか知る由もない。
「運は掴むものだ」というのは、運を掴んだ者の倨傲が云わせる言葉だ。不幸というものは、何時何処で暗い口を開け待っているか誰にもわからない。幸福とは、たまたまその中に落ち込まなかった僥倖に過ぎない。
自分が現在あるのは、ただ運命の女神に見放されなかった僥倖というべきものだ。これまでの幸運に感謝する謙虚さを失ってはならないと、いつも自分に云いきかせている。
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