民主主義というものは、登山に喩えるなら、削ぎ立った狭い尾根の一本道を行くようなものではなく、両側の谷が視野に入らないほどの広尾根を歩くようなもののように思える。ガスっていれば、中央部を歩いているのか、滑落の危険のある両側の谷に臨む縁(へり)を歩いているのか、判然としない広い尾根・・・ヤブ山歩きをする人なら先刻ご承知だろうが、最も道迷いし易いのは、このような広尾根である。常に尾根の中心を歩めるなら安 . . . 本文を読む
7ヶ月ぶりの万葉の森公園。この日は、園内の建物内で万葉食の食事会があった模様。駐車場に車が多かった。昨年は我々夫婦も参加して試食した。食後マコモの葉で、縁起物の亀を編む講習がセットされていたが、老生は巧く作れなかった。手芸好きの妻は何とか亀らしいモノを作った。園路の入り口はヒオウギが並び、黒いヌバタマを覗かせていた。ツリガネニンジンもう時期を過ぎている。オケラオケラの花の好い状態を撮ることができた . . . 本文を読む
定年または引退まで、恙無く無事に憂き世を渡ることができたということは、別の見方からすれば、自分の意思の多くを、抑えたり撓めたりして来たということの証である。人生における自分の意思の実行度合いは、0から10まであるとして、両極端は現実的でなく、大方の実行率は7分前後に落ち着くだろう。世の中は意に染まないことをしなければならないことが多々ある。自主自律の精神を尊ぶのが近代人だが、言うは易く行うは難しい . . . 本文を読む
昨日は、当記事を誤って白紙でアップしてしまい、ご閲覧いただいた方々に、ご迷惑をおかけ致しました。お詫び申し上げます。*************************************7月以来3ヶ月ぶりにフラワーパークを歩いた。夏の猛暑はこの園にも害を及ぼしたとみえ、いつもより草や木の花が少なく、好んで訪れるスマイルガーデンに花はなく、寂しい園路だった。コスモスはチラホラ、フジバカマは蕾段階 . . . 本文を読む
老生の植物愛好と栽培は、屋外での雑草観察から始まった。それまでは、とんと草花の名前に疎い無粋者だった。先ず身の廻りの目に触れる雑草から覚え始め、山野草→高山植物→蛇紋岩残存植物→竹・笹類と、10年単位で親しむ植物が増えた。老いるに従って観察の機会は減り、それと反対に栽培が増える。ここ数年は、植物の栽培にも断捨離が必要と気づき、鉢植えを減らしている。年齢のせいか、美しい花々を見ることに熱意が湧かず、 . . . 本文を読む