これは、1か月以上前に書いた1994年末のオーランドの話の続き
ニューヨークへ行ってからのことですが、写真が見つからなかったのと、早く書くべきことがあったので遅くなりました。とはいっても、やはり見せたい写真がごっそり見つからなかったので、見つかれば追加記載することも考えています。見つかった写真も色が変わって古ぼけていました。
記憶があいまいですが、ニューヨークへは1994年の12月30日に着いて、1995年1月3日に日本へと戻りの便に乗ったのではないかと思います。その間、30日と31日は市内観光をして、31日夜にミュージカルの「オペラ座の怪人」を見ました。そして1995年の1月1日と2日には、自然史博物館とメトロポリタン美術館を見ました。
これらについて印象に残っていることを、1994年大晦日分と 1995年正月分に分けて書きます。まずは30/31日分。
1.12月30日
この日はオーランドから着いた後、ツアーについている市内観光でバスに乗せられいろいろと回った後、夜に自由の女神を見るディナークルーズに参加した。
①バッテリーパーク
本来なら市内ツアーで自由の女神のあるエリス島にわたるはずだったが、年度末で休みのためにそこへと渡る船着き場のバッテリーパークに行っただけだった。そこからは自由の女神はほんの小さくしか見えない。
石造りの建物と樹々の間を、リスが走り回っていたのが印象的だった。
人の左に小さく立っているのが、自由の女神。エリス島はマンハッタンからかなり遠い。
②セントラルパーク/ダコタハウス
街のど真ん中に大きな緑の大きな公園 セントラルパークがある。ガイドが日本人が来たら必ず連れていく場所として、ダコタハウス前のジョンレノンが亡くなった場所に連れて行った。私のツアーメンバーの一人がそこで花束を捧げた。さすがの人気。見上げるとその時住んでいたダコタハウスがあった。オノヨーコはずっと今もそこに住んでいるらしい。
住居の前が夫の殺害現場なんて、どんな気持ちなのだろう。
左が殺害現場、imajinと刻まれている。右がダコタハウス。古いけれども格式は非常に高く、中は立派らしい。
⓷五番街/ウォール街
超高層ビルの派手な通りを通った。クラシックで立派だけれどもやや古ぼけているなという印象だった。途中ロックフェラーセンターのクリスマスツリーとスケート場も見た。 その後ウォール街によったが、単なるビル街で感動はなかった。
左がマンハッタンの街並み。右がロックフェラーセンターの前のクリスマスツリー。後ろのビルが高いから目立たないけれども、立派に大きな樹木です。
次は連邦ビルのワシントン像。
摩天楼があるかと思えば、ギリシア・ローマ様式の石造りの建物が並んでいる。
④ハーレム・アポロシアター
治安が問題というハーレムはバスで通っただけだった。そこでの目玉は、ブラックミュージアムで有名なアポロシアター。なぜ連れていったかというとオプショナルツアーのお誘いだった。地下鉄でも行けるけれども危ないからツアーでということ。何人かが応募した。
左がハーレムの街並み。やはり古ぼけている。右がアポロシアター。
⑤国際連合ビル
よくテレビに出てくる国際連合ビル。ここも本来だったら入場するはずがお休みなので、やはり外観のみ。
⑥ナイトクルーズ
暗くなってからハドソン川の桟橋で乗船。日本人が3/4。自由の女神の近くへ行ってからアメリカ流のバイキング。あいかわらず肉は固いけれども気分は高揚。そのあとはバンドがなりだしダンスということになるが、日本人は私達も含めて全然だめ。日本人以外がそれなりに広いデッキで踊りだした。
自由の女神は真っ暗な中で、ライトが灯っているところしか見えない。
次は乗船した船。
そして、バンドとライトだけ見える自由の女神。
2.12月31日
私たちのホテルはマディソンスクエアガーデンの近くで、エンパイアステートビルもタイムズスクエアも歩いてすぐ近くだった。だからこの日はまずエンパイアステートビルに行き、その後タイムズスクエアを歩きながらミュージカルが始まるのを待った。その後はニューヨーカーの新年の大騒ぎを見た。
①エンパイアステートビル
この時は当然ワールドトレードセンターが存在していて、このビルは2番目となっていた頃。2番目だからもう人気がないのかと思ったら、大勢の観光客が押し寄せてきていた。
下記の左がエンパイアステートビル外観で、右がエレベーターホール。
上でワールドトレードセンターも含め、だいぶ撮ったのだがそれが全部行方不明。
エンパイアの周りにはクライスラービルなどいくつかの摩天楼があったが、センターはマンハッタンの端っこにある2本の独立峰。寂しそうだなとその時は思っていたが、2001年に消滅するとは。
②タイムズスクエア/ミュージカル オペラ座の怪人など
ニューヨークマンハッタンで、アメリカのお上りさんが集まるというタイムズスクエアを歩いた。その頃の銀座よりも地味だと思ったが、商業街ではなく、基盤が劇場街だから対してもの。42番街や演劇のパンフや衣装などを売っている店の写真を撮ったが、それも釉九会不明。
チケットをネットで予約していた。2時間弱前にしか発券がされないので不安だったが、ぶじ入手出来てほっとした。それほど大きくない劇場だったがさすがに満員だった。
日本ではすでに劇団四季による公演も見ていたので、ストーリーや見せ場も頭の中に入っていて英語の意味のわからないことは気にならずに楽しめた。ここで見てやはり良かったというのは群舞の素晴らしさ、例えばマスカレード!と踊りだすところ。颯爽としていて、ダンスはやはり欧米人の体形に配慮した振付がなされているのだと思った。
カーテンコールで主役たちが新年を祝うおどけた格好で出てきた。
ここでは、暗くなって劇場に入る前の通りの雰囲気、および劇場前を下記に示す。
⓷大晦日のボールドロップ
劇場を出て行ったら街中に人があふれ、騎馬警官が闊歩していた。ビールサーバーを担ぐ人が歩き回っていた。ボールが落ちるという方向へは人がぎっしりで、遠くから眺められるという場所を探した。
下図左は、出たときの状況。警官が道路の流れを制御していた。右はボールドロップの方向。人がぎっしり。小雨で皆さん雨具。
隣の女性が「ハッピイニューイヤー」いきなり抱きついて来て、逃げたら周辺から大ひんしゅくを買ってしまった。その後ホテルへと歩いて帰ったが、大混雑の道と全然人のいない道があって、後者はなかなか怖かった。
なお着いた当日、部屋が非常に乾燥していて、静電気がひどく部屋に多量に水を撒いて寝た。この日は小雨のためか少しましだった。
ニューヨークへ行ってからのことですが、写真が見つからなかったのと、早く書くべきことがあったので遅くなりました。とはいっても、やはり見せたい写真がごっそり見つからなかったので、見つかれば追加記載することも考えています。見つかった写真も色が変わって古ぼけていました。
記憶があいまいですが、ニューヨークへは1994年の12月30日に着いて、1995年1月3日に日本へと戻りの便に乗ったのではないかと思います。その間、30日と31日は市内観光をして、31日夜にミュージカルの「オペラ座の怪人」を見ました。そして1995年の1月1日と2日には、自然史博物館とメトロポリタン美術館を見ました。
これらについて印象に残っていることを、1994年大晦日分と 1995年正月分に分けて書きます。まずは30/31日分。
1.12月30日
この日はオーランドから着いた後、ツアーについている市内観光でバスに乗せられいろいろと回った後、夜に自由の女神を見るディナークルーズに参加した。
①バッテリーパーク
本来なら市内ツアーで自由の女神のあるエリス島にわたるはずだったが、年度末で休みのためにそこへと渡る船着き場のバッテリーパークに行っただけだった。そこからは自由の女神はほんの小さくしか見えない。
石造りの建物と樹々の間を、リスが走り回っていたのが印象的だった。
人の左に小さく立っているのが、自由の女神。エリス島はマンハッタンからかなり遠い。
②セントラルパーク/ダコタハウス
街のど真ん中に大きな緑の大きな公園 セントラルパークがある。ガイドが日本人が来たら必ず連れていく場所として、ダコタハウス前のジョンレノンが亡くなった場所に連れて行った。私のツアーメンバーの一人がそこで花束を捧げた。さすがの人気。見上げるとその時住んでいたダコタハウスがあった。オノヨーコはずっと今もそこに住んでいるらしい。
住居の前が夫の殺害現場なんて、どんな気持ちなのだろう。
左が殺害現場、imajinと刻まれている。右がダコタハウス。古いけれども格式は非常に高く、中は立派らしい。
⓷五番街/ウォール街
超高層ビルの派手な通りを通った。クラシックで立派だけれどもやや古ぼけているなという印象だった。途中ロックフェラーセンターのクリスマスツリーとスケート場も見た。 その後ウォール街によったが、単なるビル街で感動はなかった。
左がマンハッタンの街並み。右がロックフェラーセンターの前のクリスマスツリー。後ろのビルが高いから目立たないけれども、立派に大きな樹木です。
次は連邦ビルのワシントン像。
摩天楼があるかと思えば、ギリシア・ローマ様式の石造りの建物が並んでいる。
④ハーレム・アポロシアター
治安が問題というハーレムはバスで通っただけだった。そこでの目玉は、ブラックミュージアムで有名なアポロシアター。なぜ連れていったかというとオプショナルツアーのお誘いだった。地下鉄でも行けるけれども危ないからツアーでということ。何人かが応募した。
左がハーレムの街並み。やはり古ぼけている。右がアポロシアター。
⑤国際連合ビル
よくテレビに出てくる国際連合ビル。ここも本来だったら入場するはずがお休みなので、やはり外観のみ。
⑥ナイトクルーズ
暗くなってからハドソン川の桟橋で乗船。日本人が3/4。自由の女神の近くへ行ってからアメリカ流のバイキング。あいかわらず肉は固いけれども気分は高揚。そのあとはバンドがなりだしダンスということになるが、日本人は私達も含めて全然だめ。日本人以外がそれなりに広いデッキで踊りだした。
自由の女神は真っ暗な中で、ライトが灯っているところしか見えない。
次は乗船した船。
そして、バンドとライトだけ見える自由の女神。
2.12月31日
私たちのホテルはマディソンスクエアガーデンの近くで、エンパイアステートビルもタイムズスクエアも歩いてすぐ近くだった。だからこの日はまずエンパイアステートビルに行き、その後タイムズスクエアを歩きながらミュージカルが始まるのを待った。その後はニューヨーカーの新年の大騒ぎを見た。
①エンパイアステートビル
この時は当然ワールドトレードセンターが存在していて、このビルは2番目となっていた頃。2番目だからもう人気がないのかと思ったら、大勢の観光客が押し寄せてきていた。
下記の左がエンパイアステートビル外観で、右がエレベーターホール。
上でワールドトレードセンターも含め、だいぶ撮ったのだがそれが全部行方不明。
エンパイアの周りにはクライスラービルなどいくつかの摩天楼があったが、センターはマンハッタンの端っこにある2本の独立峰。寂しそうだなとその時は思っていたが、2001年に消滅するとは。
②タイムズスクエア/ミュージカル オペラ座の怪人など
ニューヨークマンハッタンで、アメリカのお上りさんが集まるというタイムズスクエアを歩いた。その頃の銀座よりも地味だと思ったが、商業街ではなく、基盤が劇場街だから対してもの。42番街や演劇のパンフや衣装などを売っている店の写真を撮ったが、それも釉九会不明。
チケットをネットで予約していた。2時間弱前にしか発券がされないので不安だったが、ぶじ入手出来てほっとした。それほど大きくない劇場だったがさすがに満員だった。
日本ではすでに劇団四季による公演も見ていたので、ストーリーや見せ場も頭の中に入っていて英語の意味のわからないことは気にならずに楽しめた。ここで見てやはり良かったというのは群舞の素晴らしさ、例えばマスカレード!と踊りだすところ。颯爽としていて、ダンスはやはり欧米人の体形に配慮した振付がなされているのだと思った。
カーテンコールで主役たちが新年を祝うおどけた格好で出てきた。
ここでは、暗くなって劇場に入る前の通りの雰囲気、および劇場前を下記に示す。
⓷大晦日のボールドロップ
劇場を出て行ったら街中に人があふれ、騎馬警官が闊歩していた。ビールサーバーを担ぐ人が歩き回っていた。ボールが落ちるという方向へは人がぎっしりで、遠くから眺められるという場所を探した。
下図左は、出たときの状況。警官が道路の流れを制御していた。右はボールドロップの方向。人がぎっしり。小雨で皆さん雨具。
隣の女性が「ハッピイニューイヤー」いきなり抱きついて来て、逃げたら周辺から大ひんしゅくを買ってしまった。その後ホテルへと歩いて帰ったが、大混雑の道と全然人のいない道があって、後者はなかなか怖かった。
なお着いた当日、部屋が非常に乾燥していて、静電気がひどく部屋に多量に水を撒いて寝た。この日は小雨のためか少しましだった。