てんちゃんのビックリ箱

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豊田市美術館 モンドリアン展 感想

2021-08-02 00:30:45 | 美術館・博物館 等

<コンポジションを透かし見る>



四角達の
コンポジションを
透かし見る
そこには人の
営みがある


 モンドリアン展入口の透明な仕切り。


展覧会名:生誕150年記念モンドリアン展  純粋な絵画を目指して
場所:豊田市美術館
訪問日:7月20日
期間:2021年7月10日(金)~ 2021年9月20日(日)

1.初めに
 モンドリアンはご存じのように、黒い縦と横の線でキャンバスを区切り、そこのいくつかのマスをきれいな3原色で埋める抽象画で有名である。その絵に影響を受けたモンドリアンファッション、モンドリアンカラーや家具などがあり、デザインの分野に大きな影響を与えている。
 そのモンドリアンが、最初は具象画であったのが抽象画へ変わった過程を示す展示会が来たので訪問した。

 彼は1872年生まれだが、若くして美術に志し、18歳で美術を教える講師の資格を得た。
 彼の変遷過程はWikiによると下記のようである。
 ・自然主義時代 1890 – 1907 (具象画の時代)
 ・表現主義時代 1907 - 1911
 ・キュビスム時代 1911-1917  <1911年からパリに行く>
 ・抽象期間 1917-1944    
<1938年からロンドン、1940年からニューヨーク>

 出身国のオランダのデン・ハーグ美術館が、これらの時代をほぼ網羅するコレクションを持っており、今回の作品群はほとんどがその美術館の所有になるものである。なお大家として迎えられたニューヨークで製作の作品の展示はない。
 今回の美術展では、自然主義時代と表現主義時代の作品は撮影不可だったがそれ以降は撮影可能だった。ただしここで掲載の写真は、ほぼ展示会発行のパンフとデン・ハーグ美術館のHP等のものを用いている。


2.作品群
(1)自然主義時代 (18歳→35歳)
 アカデミーで画家への教育を受けたのだが、ネーデルランドによくあるやや暗めの普通の具象の風景画が並んでいる。
 その中で、もしかすると思ったのがオランダの平面の風景。彼の水平という基準線がここにあるのではと思った。そして縦の線は、風景画中で彼が描いていた樹々や塔などの建物ということになる。



<乳牛のいる牧草地  (1902-05)>

  雲、地平線、池?の3本の水平線がある。


(2)表現主義時代 (35歳→39歳)
 絵の描き方を模索している時代で、印象派やその対立概念である表現主義を意識した絵を描いている。面白いのは点描による絵は光を科学する印象派の流れであるのに、そのドットを大きくしたようなタッチで表現主義的に非自然的な歪を生じさせ自分のイメージを重視して描いていることである。色彩は柔らかな中間色だが、微妙な色を扱いこなすという中で、すっきりとした色の配分という基盤ができたのかもしれない。



 <砂丘 Ⅲ  (1909)>

  大きな単位の点描状タッチの使い方で、幻惑させる光景を描いている。



<ドンブルグの教会塔  (1911)>

 カラーがおどろおどろしく 表現主義的。


(3)キュビスム時代 (39歳→45歳)
 フランスに集まるいろいろな作家と交流し、種々の手法を試して、その中でキュビスムに惹かれていった時代。ゴッホやマグリットのような絵、表現主義の発展形、マティスのような絵、それからキュビスムに取り組み始めた。
キュビスムは具象を抽象化させたものだが、対象をブロック分けしつつ色をベタッと塗っていくと、かなり最終的なモンドリアンの世界に近づく。



<女性の肖像 (1912)>

 モンドリアン流のキュビスム。



<色面の楕円コンポジション  (1914)>
 コンポジションと名付けているが、絵の雰囲気はキュビスム、またサインも自身が抽象と意識してからのものでない。

(4)抽象期間 (45歳→72歳(逝去))
 フランスに行った頃から神智主義(スピリチュアルなもの)に関わりその観点からの絵画を考えるとともに、画家で建築家のドウースブルフとともに、デ・ステイルという芸術雑誌を中心とする新造形主義を主張した。それは垂直と水平の直線、三原色と無彩色の組み合わせから(「純粋な線と色彩の純粋な関係」)すべての形態を造形し、幾何学的に純粋抽象造形にいたるというものであり、キュビスムが展開する抽象化は、その究極の目標である、純粋なリアリティの表現へと向かっていないとした。
 その新造形の絵を最初は実験的というのを強調するためにコンポジションと名を付けた。
段階的に変化し最初はキュビスムの隣みたいなもので色も中間色だったのが、はっきりした線が描かれるようになり、色も単純化し赤、黄、青の三原色となった。
抽象画の世界に入ってからも、どんどん変化していっているのが面白い。



<色面のコンポジション No.3 (1917)>

 初期のコンポジション。中間色の大きさの少し違う矩形を並べた。




<格子のコンポジション8 ― 暗色のチェッカー盤 (1919) >

 格子を作ったが、黒い区切り線はない。色も異なる。



<大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション (1921)>

 一目でモンドリアンとわかるパターンと色。



<コンポジション No.1 1929)>

 パターンがシンプルになってくる。

 画面の中での完全性を重視し、その中で描かれた要素が欠けたり揺らいだりするとバランスが崩れると細心の注意を払って描いたとされている。また額が絵画に影響を与えないように、額なしかキャンバスより低い特注の額を使用させた。
 こういった抽象画を描き出した時、お金を稼ぐために別途具象画を描いていたとのことだったが、その絵はなかった。でもどんなものを書いていたかとても興味はある。

 また彼は絵画出身であるため縦と横の線要素としたが、建築家出身の新構造主義の参加者が構造的に斜めの線要素も必要と主張したため、袂を分かった。この話は、私自身がまず平面を対象とする仕事をしていてその後に立体構造に関わることになったことから、理解できる。構造やっているとやっぱり対角線が縁の下の力持ちとして必要と感じてしまうが、平面の世界では見えないものである。

<参考> 仲間たちの作品
 似た絵を描いている。



<テオ・ファン・ドゥースブルフ作 コンポジション Ⅷ>



<バート・ファン・デル・レック作  コンポジション>


おわりに
 今度の美術展は、抽象画のパイオニアが、若い頃の具象画からいかにして抽象画に辿りついたかを示すもので、とても興味がわいた。
 20歳の頃の真面目な写生画、あまり収入がなかったのかキャンバスではなく厚紙に書いているものが多い。
 30歳代後半から40歳代、多くの人と出会って刺激を受けるとともに印象派以降の各種の人気の技法も取り組む。ここで展示はなかったがルネサンスの頃のクラシックな手法も試している。そしてスピリチュアルな研究の中での「絵画の意味」を考えるとともに、同志を見つけ、完全な抽象画の世界を切り開き、そしてその後も洗練させていった。
 今の画家は最初から抽象画というジャンルがあって幸せだ。

以下に感想を示す。
(1)高齢になっても革命を起こすことができる。
 45歳にもなって、抽象画という革命を行った。その基盤は下記と考える。
 ・その時期までの絵画表現を実際に描いて確認した。
 ・絵画とは何かと真剣に考えた。(スピリチュアルをそのきっかけに用いた。)
 ・革命の同志を見つけることができた。

(2)モンドリアンのデザインへの影響
 モンドリアンのグループは、現代のモダンデザインの基盤を作ったバウハウスに影響を及ぼした。またモンドリアンの絵画そのものがイブサンローランファッションとなった。そして絵本のミッフィーにまでそのカラーが影響を及ぼしているそうである。パターンが色が現代人を引き付ける本質的なものを持っているからと思う。

その他
(1)絵の気づき事項
 モンドリアンの抽象画はバランスをとった完全体であるということだが、それを確認する方法としては、絵の例えば赤の部分を手で隠してみると、絵が動きだすように見えるとのことである。そこでそれを実施してみると確かにバランスが崩れ動きだすように見える。その効果はカタログの図版ではかなり小さくなる。
 彼は抽象画を描く前はMondrianとサインしているが、抽象画を書きだしてからPMとナンバーをサインにしている。多分抽象画を書きだす前と後を区分するためだろう。

 

 抽象画以前:MONDRIAN    抽象画以降  PM
<モンドリアンのサイン>
PMは ピエト・モンドリアンの頭文字

,

 黒い線やエッジがきれいな線になるように描いているし、カラーもきちんと塗られている。ところが白い面の部分は所々に線状の塗り残しがある。ほぼ同じ色だが光沢が違うので角度によっては目立つ。これは作者の意図することだろうか。



 うまく写真が撮れていなかったので、美術館配布の絵画資料を局部コピー。皺が写っているが無視してください。白い地に線状の塗り残しがある)

(2)デン・ハーグ美術館について
 今回の絵のほとんどがオランダのデン・ハーグ美術館に所属するものである。調べてみるとモダンアートからファッション、音楽までを蒐集しており、その中でモダンアートの中のモンドリアンは約300点の世界最大のコレクションを持っている。そして最近彼らが主催で、ヨーロッパでモンドリアンの大巡回展を行っている。多分それが日本に来たものの原型になっているのだろう。
 そのコレクションがかなり彼等のホームページで公開されている。日本の美術館もこれくらい公開してほしい。今回の展覧会では、モンドリアンがニューヨークへ大家として行ってからの人生の決算に相当する作品がないので、同美術館所有の未完の作品を最後に示す。



<ヴィクトリー ブギウギ (1942-44)>

 ずっと抽象画を引っ張るという意識で描いてきたのだろうが、死の直前には吹っ切れて、絵をかくのが楽しくて仕方がないという感じになっているのではと思う。

 最後に、モンドリアンの仲間 ヘリット・トーマス・リートフェルトが製作した椅子の展示があった。その影の重なりがおもしろかった。



<影のコンポジション>



ヘリットの椅子が
生み出す影の
コンポジション
意味はそこにも
宿るのだろうか


コメント (4)
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