てんちゃんのビックリ箱

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コートールド美術館展 in 名古屋 感想

2020-01-24 11:51:12 | 美術館・博物館 等

開催名:コートールド美術館展 魅惑の印象派
場所:愛知県立美術館
期間:2020年1月3日~3月15日
訪問日:2020年1月16日
惹句:マネ、ルノアール、セザンヌ、ゴーガン 印象派の代表作が愛知へ集結
構成:
 1.画家の言葉から読み解く
 2.時代背景から読み解く
 3.素材・技法から読み解く

 2019年の9月にまず東京で開催されて以来待ちかねたコートールド美術館展が、やっとこさ名古屋にやってきた。そこで夫婦で仕事を休み出かけてきて、開催方法に引っかかるところはあるが、展示作品には満足した。

 ともかくこの美術館を設立したコートールドさんはスケールの大きな実業家で、単に美術品をコレクションしたのではなく、美術品研究および修理等を対象とする研究所(ロンドン大学のカレッジで学部相当)を設立し、その付属施設としてコートールド美術館を作ったとのこと。カレッジの卒業生は多数の美術館長などを輩出し、コートールドマフィアと呼ばれ美術業界を牛耳っているとのこと。単なるコレクターでないことがすごい。

 そういった背景があるせいかやや説明過剰、ここが私の引っかかる点。重要な絵画の前に、その絵の見どころを示す大きな展示がある。いくつかの細かいところを拡大しそこの塗り方はどうの、X線写真を出し輪郭の変遷などが説明されている。
 実にその説明のエリアに人がたくさんたまり、実際の絵のところはそんなに集まっていない。見ていると説明で強調されている所を実際の絵でなるほどと確認し、自分自身で全体をどう見るかをせずに通り過ぎている。

 日本人はうんちく好きで、対象が印象派だから確かにそういった知識を得たいとおもってもしょうがないが、この展示方法はあまりにもそっち側に引っ張りすぎで、その人自身の眼での絵の良さを感じさせようとさせない展示だと思った。

 構成も、その絵の成立を研究する立場、まずは画家の言葉で語らせる第1章、印象派という新しい絵が扱うテーマと時代変化を結びつけようとする第2章、写生という新しい描き方や色チューブそして筆でなくナイフなどの新技法で絵の成立を解釈する第3章となっており、やっぱり頭でっかちと思う。
 展示数はリストでは66点。風景画が多いがここでは人物画を数点、私個人の感想を述べる。


1.J.A.M.ホイッスラー 「少女と桜」



 この展示会は、このジャポニズム満載の絵に始まる。桜や身体の線、肌色など浮世絵が描き出していた世界にあこがれていたのだなと思うと、うれしくなった。特に薄物を着せたことで、身体の線、肌色の特徴が表れている。
 ホイッスラーは米国人であるが、ほとんどイギリスに住み英画壇の人として扱われている。その人のジャポニズムの絵がトップを飾ったのは、日本とイギリスの連帯ということをアピールしようとしているのかもしれない。



2.P..セザンヌ 「パイプをくわえた男」

 


 有名なトランプをする2人の絵のうちの、一人の肖像画。(小さな絵 参照。この展覧会で展示)
 人物を、風景もしくは静物のように、あまり美しくない茶系の色でクールに描いている。ごつごつした立体が浮き出て、その人自体の感情は感じさせない。そこにブロンズの像があるかのようなリアル感がある。見る人の感情を受け止める入れ物となり渋く光るのだろう。

 

3.P.A.ルノアール 「桟敷席」


 この展示会の目玉作品の2番手? 描かれた頃のパリの劇場の桟敷席は、着飾った女性の競う場所でもあった。そして美しい女性は男たちの眼、そして嫉妬する女性たちの眼を集めて一層光輝いた。
 この絵の女性は、視線を浴びていることで満足し、一層つやつやと光り輝いている。ゆったりとした衣服が活動的で、自信のある人は寄ってらっしゃいと言っている。後ろの男性は、周辺がこんな様子で貴方を見ているのですよという説明のために、どっかの桟敷から抜き出して、ここに描いたかのように見える。(すなわち地球を一周して彼女を見ているという感じ)



4.H.T.ロートレック 「ジャヌ・アブリル ムーラン・ルージュの入口にて」

  

 写真ではみていたけど、実際の作品を見て「うひゃー」と思った。このモデルの人は、この絵の存在を許したのだろうか。
 ロートレックは身体的には足が悪く、またアルコール中毒でもあり、存在自体が異常な人だった。しかしだからこそ彼独特の視点を持ち素晴らしいテクニックと相まって、ポスター等の人気から歓楽街の寵児となった。
この20歳代であるにも関わらず老婆のように描かれた人は、ムーラン・ルージュの人気ダンサーで、彼自身小さな絵のようなポスターを描いている。(このポスターは展示されていない。)
 ロートレックが何を書いても許されるとこんな感じで描いのか、彼女自体が舞台に絶対の自信を持つ人で、それ以外では孤高であってもいいと思ったのか・・・・ 彼女についてもっと知りたい。
 


5.A.モディリアーニ 「裸婦」



 非常に官能的な絵。この官能的な絵を書くために、顔と胴体の描き方を全然変えていて、胴体側は筆を押し付けて鱗状の筆跡で描き、顔は細い筆で滑らかに薄く塗って仕上げてられていると、説明されている。
 私は、モディリアーニの絵の前に立つときは、いつもその眼と闘っていた。半眼で描かれたり、キョロっとした眼で描かれたり・・・ この世のものと感じることができず、その意味はって考えていた。 この絵の場合、これが完全に閉じられている。そのためすべてを許容してくれそうな優しさを感じる。



6.P.ゴーガン 「ネバーモア」



 なかなかエロチックな絵。後ろに象徴的な鳥が止まっている。
 手前の画家を肉体で挑発しつつ、後ろの2人の話に耳をそばだてていて、こちらの画家への関心はそれほどでもない。
 ゴーガンは大都市パリから逃げ出して、南太平洋の素朴で原始的な生活をはじめ、くすんだ色で描くことで未開人のある種の豪華さを表現しようとしたとのことである。しかしこの絵では、大都市に住む人の付き合いの薄さや、気持ちのすれ違いが投影されているように感じる。


7.E.マネ 「フォリー=ベルジェールのバー」



 今回の大目玉。確かにバーメイドがドンと押し寄せてくる。彼女のウエストの細さと肩幅の広さが効果的。後ろの鏡に映った情景が手前の情景とちぐはぐであること、女性のぼんやりとした不思議な表情が、いろいろな解釈がなされているようである。
 この絵が作者の死の一年前に書かれたこと、またわざわざアトリエにこのバーにこのバーの構造を組み立て、女性も呼んできて立たせたそうだ。
 私の解釈は、マネが自分自身の死後もこの世界を見続けたいと思ったのではないかということ。鏡に映った情景は手前の情景とずれているが、それは鏡の中の世界があの世だからで、ねじれた時空を経だている。そしてバーメイドは空虚な存在で、その眼の中にあの世からの覗き孔を作り、そこからこの絵を見に集まる人をずっと見ていようと思ったのではないか・・・・・・・  そんなイメージがわくほど不思議な絵である。

 いろいろ書きましたが、絵はともかく素晴らしいものが揃っています。
 主催者側のせっかくの説明を大事にして印象派、そして有名な絵の絵画技法について勉強するもよし、私のように勝手にイメージを飛ばしていくのもよし・・ 行けばきっと楽しめると思います。 
コメント (4)
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