てんちゃんのビックリ箱

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相国寺展 訪問および感想 

2024-11-21 09:48:15 | 美術館・博物館 等




展覧会名:相国寺昇天閣美術館開館40周年記念
     相国寺展—金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史
会期:2024年10月11日(木)〜11月27日(月)
訪問日:11月12日
会場:愛知県美術館
内容:第1章 創建相国寺 足利義満の祈願  (14世紀おわり)
   第2章 中世相国寺文化圏 雪舟が見た風景 (15世紀) 
   第3章 「隔めい記」の時代 復興の世の文化 
               (16世紀末(戦国末)~17世紀)
   第4章 新奇歓迎! 古画礼賛! 若冲の生きた時代 
                         (18世紀)
   第5章 未来と育む相国寺の文化 "永存せよ”

惹句:「金閣・銀閣 鳳凰が見つめた美の歴史」
   「雪舟から応挙、若冲 受け継がれる名品 そこには物語が
   あった」
   「国宝・重要文化財 合わせて45件以上を含む相国寺派の名
   品を紹介し、相国寺派の美の世界をみつめ、未来へ託します。」

1.全般
 相国寺は足利義満が大寺院を創建し、その派の中に金閣寺と銀閣寺を擁する京都禅宗五山の最大門派である。そこでは周文、雪舟、狩野探幽、若冲など多くの芸術家のスポンサーであり、作品や資料が存在している。昇天閣美術館が膨大な資料の整理を実施してきたが、それがほぼ区切りがついたのを機に、その展示を行うこととなった。

<以下、全般的な私の感想を書く。>
 わかりやすく素晴らしい美術品はもちろんあったが、相国寺のものがたりを語りたいという意欲が強すぎて、鑑賞には状態のよくない資料、過剰に説明のために字がちいさくなった解説資料が多く、また資料保護のためにやや暗くした?照明と合わせてみるのにつかれた。
 そしてたくさん展示しようとしたためか、重要な美術品もピッチが小さくなり見づらくなっていて、屏風の折り方のピッチさえ小さかった。
 いろいろ見せたいと思いすぎて、逆に展示品の魅力を減じた典型的な例と考える。例えば絵をちゃんと見たい人は、歴史資料などはどんどんすっ飛ばして観たいものだけを見たほうがいい。


2.各章の内容について
 (今回の引用に用いた図は、チラシ、HP、文化財オンライン等を使用)  
(1)第1章 創建相国寺 足利義満の祈願
 ぞろぞろとお坊さんの掛け軸が並んでいる中に、足利義満像があった。これで言われている特徴は、僧形だが武士なので姿がいかついこと、身分が高いため袈裟および疊が立派であること。 前者はそうかも?だったが、後者ははっきりとわかった。金襴の袈裟の紋様は国内にない輸入品とのこと。
 また彩色の16羅漢図掛け軸が迫力があった。
 その他は創建初代から三代目までの歴史文書が多い。



足利義満像 


十六羅漢図のうち1枚

(2)第2章 中世相国寺文化圏 雪舟が見た風景
 室町時代で宋から文化がどんどん入って来た時代で、風景画や肖像画などの渡来美術品が展示されていたが、あまり保存がよくなく見づらかった。雪舟の先生に相当する周文(伝)の作品があった。柔らかい線および柔らかい濃淡の子供を乗せた具象的な牛の絵で、私は好き。<伝>が外れたら国宝になるのでは?
 雪舟の絵は2点あったが、ともに相国寺のものではなかった。ともになかなか魅力的。特に以下の肖像、ちょっと見には幽霊っぽいかもしれないが、輪郭線の太さや濃淡の大きな変化、また繊細な頭髪の描き方にドキッとした。



十牛図巻 伝周文筆


出山釈迦図  雪舟筆

(3)第3章 「隔めい記」の時代 復興の世の文化
  戦国の混乱期から抜け出す頃で、無学祖元の墨跡などが並んでいる。書籍や資料が多いが、その中で異国通船朱印状の実物があるのが面白かった。ただしネットに引用可能なものはなかった。
 この頃狩野派が動き出していてそれらの作品もあった。狩野探幽が他派の作者も集めて描いた三十祖像が、それぞれの作者の個性を比較しているようで、面白かった。以下は狩野探幽の達磨像と、海北友雪の夢窓疎石。探幽が作者の中で最も太い線を使い力強さを感じさせるのに対し、友雪の絵は知的繊細さで好対照。


達磨像   狩野探幽筆


夢窓疎石  海北友雪筆


(4)第4章 新奇歓迎! 古画礼賛! 若冲の生きた時代
 ここが最も素晴らしい作品群が揃っているが、私の周辺の人たちは、見づらい展示のために疲労困憊していた。
 ここはカラフルではないほうの伊藤若冲の作品の天国、それに同時代の日本国内の絵、中国からの絵がたくさん並んでいて、いろんな様式の作品が開花したと主張したいようだ。でもそんなことは考えずに、若冲の鹿苑寺の大障壁画群、それに加えて数点の作品の大爆発を楽しめばいい。やっぱり鹿苑寺襖絵は見るだけでため息がでる。
 また描いた虎はあいかわらず可愛い。彼が参考とした渡来の虎図と並べてあり、彼の工夫がそれなりにわかった。


鹿苑寺大書院障壁画のうち 一壁  伊藤若冲筆
 

竹虎図  伊藤若冲筆 


(5)第5章 未来と育む相国寺の文化 "永存せよ”
 ここには創立から19世紀までの、代表的な芸術家の墨跡や絵画が並んでいる。相国寺が各時代の歴史的作品群を保存してきたことを示し、今後もそれを永存しなければならないとの決意表明をしているらしい。
 それはピントはずれで、相国寺の文化は少なくとも江戸時代末までは作り続けていたのであり、寧ろ文化の創出を継続せよというべきだろう。そしてここには過去の作品ではなく、現代美術が存在するほうが、相国寺文化圏と言っているのに合致する。
 そんな繰り言はおいておいて、ここの作品は素晴らしかった。特に丸山応挙、池大雅、長谷川等伯といったビッグネームは素晴らしいし、これまで名前をあげていた探幽、若冲などもここに作品を並べている。


牡丹孔雀図   円山応挙筆


萩芒図屏風  長谷川等伯筆






3.おわりに
 今回の「相国寺展」は「相国寺資料展」であり、初めて相国寺の美に出会いたいとおもっていた人には、期待を裏切ったのではないかとおもう。
 それは前述したように「名品」だけでなくその背景の物語を過剰に詰め込みすぎた結果、それに惑わされて、名品を探して味わう前に疲れ切ってしまうためである。第4章と第5章が名品揃いなのに、鑑賞者が疲れて淡白すぎているのがわかったし、またそこでは屏風を幅狭く織り込むほど、作品の値打ちを下げる展示をしていた。
 あの会場ならば、物語の分を思いっきり削って作品を絞って2/3程度にしたほうがいい。そうでなければ、「まず「名品」だけを楽しみたい人はマーク付きのみを見て行って、興味があったところに戻って見てください。」とやったほうがいいのではないか。
 その他、ポスターに前期もしくは後期の限定展示のものを用いているが、それは展示期間外に行かざるをえない鑑賞者にとって失礼ではないかと思う。やはり通期で展示しているものをポスターのメインとし、サブで限定期間展示のものは添えたらいいのではないか。

 私自身は、自分の基準として観るべきものは観て満足した。そして京都へ行き、また昇天閣美術館で若冲の絵などをのんびり鑑賞したいと思った。

 そして2(5)に書いたように、相国寺文化圏は過去を永存するだけなのか、今後も文化を生み出そうとしているのかも見守りたい。


コメント
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