てんちゃんのビックリ箱

~ 想いを沈め、それを掘り起こし、それを磨き、あらためて気づき驚く ブログってビックリ箱です ~ 

初めての海外出張(その3) マドリード周辺とリスボン

2021-02-27 10:33:17 | 昔話・思い出
40年前の初めての海外出張の3回目。 
まだまだ、調査団としてののんびり旅行は続きます。


3.旅行の過程 の続き
(4)スペイン
 ドイツからスペインに行くと、地表が一気に緑から赤茶けた世界に変わる。
実はスペインは記憶があいまいである。城を観光したと思うのだが、ポルトガルと混ざっている。リスボンのほうは写真が残っている。
 特にと思い出したことは工場見学、夜のフラメンコ、その他のいくつか。

①工場見学
 午後2時過ぎに、スペインで有力企業とされている企業の工場へ行った。そしたらシェスタということで、ほぼ空っぽだった。一部に人がいたが、安全靴ではない等服装が日本を基準とすれば怪しかった。そしてこれが驚いたのだがワインのいい匂いがした。
誰かが、アルコールの匂いというと、案内者が「ノー、ノー、ウォッシング(要するにアルコール洗浄)」 と案内の人が言った。 ピレネーを越えるとアフリカとか、人件費が1/3になると聞いていたが、先のドイツとはだいぶ違うと思った。
 最近はピレネー山脈の南北はどのようになっているのだろう。

②フラメンコショー
当日は旅行の疲れがたまっていたので、夕食の後本当はすぐ寝たかった。でもその後暫くして調査団全員でバスを仕立てて出かけた。シアターへ着いたのは多分午後9時前、そんなに遅いのに入口は人々が流れ込んでいくの。
 こんなに眠いのにと思ったが、始まると眼がぱっちりと開いた。歌、掛け声、カスタネット、ギター、踊りなどすべてがものすごい迫力。固唾をのんで身じろぎもせず見守った。現在でも静かな助走からいきなり盛り上がってキメのポーズ。 そして暫くの静寂。それが何度も繰り返されるシーンが今でも思い出される。日本のふわふわした踊りが繰り返される盆踊りとは違う。
 終ったあとは、開始前よりヒートアップした人の渦ができた。ホテルに帰ったのは深夜。
本当に熟睡できた。

③その他 
 2つあって一つは、軍に関わる話。
バスで市内を移動している時に、機関銃座のあるジープに遭遇した。私たちが行ったのは、スペインで軍事クーデター未遂が起こってから暫くたっての時期だったので、その影響かもしれない。でも迷彩色の軍用ジープが普通の街を走っているのには、とても緊張した。
その後も海外に行くと軍隊を見かけることがあり、それがほとんどない日本はほっとする。
 もう一つはレストランに関わる話
数人で添乗員に、有名なレストランに連れて行ってもらった。
ここで何を食べたか完全に忘れたけれども、はっきり覚えているのは、トイレの前で立派な服を着て立っていた人。時々持っている白い布をパタンとたたくなど、目立たせる動きをしていた。添乗員に聞くと、チップを受け取るトイレの番人。ウエイターよりもちゃんとしているから、違和感があった。
 添乗員にチップの相場を聞いてから、トイレに行きました。渡すと大仰に頭を下げました。

 レストランを出たら、汚れた服を着た子供が集まっていて手を出していた。添乗員から、お金をねだっているのだから無視して車に乗るようにいわれ、、そのようにした。レストランの駐車場を出る時、ドスンと音がして子供が一人、車のボンネットに乗って四つん這いになっていた。タクシーの運転手は一度車を止め車の中から、子供とにらみ合いつつ、ゆっくりと車を動かし始めた。子供はいやいやをしたのでまた車を止めると、降りて行った。


(5)リスボンにて
 飛行機で移動したが、上空からはリスボンはマドリッドよりも緑が多くほっとした。
ここはマドリッドから国際会議開催のオポルトへ行く途中で、観光のためだけに立ち寄った。
 城、馬車美術館、そして発見のモニュメントを見た。その後 夜に空港に行ったらトラブルが待っていた。
①観光 城、馬車美術館 発見のモニュメント
イ。サンジョルジェ城
 丘の上に立つ勇壮な石造りの城で、360°ぐるりが見渡せる。特に海かと思えるような大きな川側の眺望がすばらしい。そこから新大陸発見の船出がなされたと思うと、感慨深い。 
 日差しを避けるための吹き抜けの回廊が多く、そこを歩いていると歴史上の人物になったような感じになる。



<城から川側への風景、防衛用の大砲もある。>

   

<城内の風景>



ロ、馬車美術館
 ポルトガルが強国だったころの馬車、それこそキンキラキンの宮殿の一部が抜け出してきたかのような馬車がずらりと並んでいた。この馬車は雨の中はとても走らせられないし、また走らせるためにはちゃんとした道を作らなければならない。



<展示されている馬車>

ハ。発見のモニュメント
アメリカ大陸発見の頃の、ポルトガルの歴史上の人物が、川へ突き出したコンクリート作りのモニュメントの上に並んでいる。ポルトガルの人の誇りを象徴している。

②空港にて
 夕刻に空港までバスで行き、ガイドに別れを告げた。 
 夕焼けがきれいで、その後星空に変わり始めた。時間通り着いたら発表の練習をしようと考えていた。
 ところが、オポルトが現在夜霧で飛行機の出発が遅れるとのこと。でもきっと飛ぶはずとたかをくくっていると、2時間待ち20時過ぎになって欠航となった。あたふたしている間に、英語を話すことができる係員がいなくなり(これがびっくり)、閉港の準備を始めた。
 こちらにホテルが準備できるだろうか・・・ 明日が国際会議の初日なのに・・・・
 添乗員が大車輪で動きだした。電話をかけまくり、まず今日のガイドを呼び出した。そして2人で、夜行のバスをチャーターすることに成功した。我々にはわからないが、諸手続き等 かなり無理を押し通したらしい。最悪空港で野宿かもと思っていたので、ほっとした。
 再度ガイドに別れを告げた時には、それでも無事ついてくれるのかと不安だったが、疲れていたので、寝てしまった。


コメント (4)
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