展示会名:特別展日中国交正常化50周年記念
兵馬俑と古代中国-秦漢文明の遺産-
場所:名古屋市博物館
開催期間:令和4年9月10日(土曜)~11月6日(日曜)
訪問日:10月5日
展示構成
第1章 統一前夜の秦~西戎(せいじゅう)から中華へ
第2章 統一王朝の誕生~始皇帝(しこうてい)の時代
第3章 漢王朝の繁栄~劉邦(りゅうほう)から武帝まで
このうち第1章は写真撮影不可。2章、3章はほとんどのものが写真撮影可能。特に2か所レプリカの遺産の前で記念写真を撮ることができる場所がある。この展覧会は巡回展で、京都→静岡→名古屋→東京(上野の森美術館)と回っていく。
1.初めに
現役の最後の頃、中国西安の近くに行く出張が打診された。場所に魅力は感じながらも、非常にタイトなスケジュールでありミッションの条件も悪かったので断った。しかし私の代わりに行った人が、向こうの準備不足で楽な出張であり兵馬俑の発掘場所へも案内されたと喜んでいたので、とても残念に想い、リタイア後の旅行候補のトップに挙げていた。でもコロナ禍で身動きできなくなっていた。その展示物が来るというので、期待して出かけた。
場内は私とほぼ同世代の老人でぎっしりで、一緒に行った配偶者は混んでるところが嫌だから、さっさと出ようとどんどん前に進んでいった。
2.展示概要
第1章 統一前夜の秦~西戎から中華へ
秦という国が成立する前の、青銅の武器、馬具、容器などが展示されている。秦は中国の西の端で中華の文化の中心から離れていた。ただしもうシルクロードが存在し、西方の情報を入手するのに相対的に容易なところだった。
古代中国の文化は金属の鋳造が得意で、特に青銅器に特徴があるが、統一前夜の秦にもその技術は根付いていた。下図左は精巧な青銅の鋳造品。現在でも高度な技術とされているロストワックスで製造されたそうで、精巧な形状に驚く。 この時代の秦の墓には大きさ50cmの下図右のような非常に小さな乗馬姿の俑(焼き物)が少し発掘されているが、かの兵馬俑のように大きなものはない。
(展示会のHPより。2章/3章は私が撮影したもの)
また短い棒状の玉を少し削って、頭のようにしたものも掘り出されている。その他青銅の各種武器が面白い。
第2章 統一王朝の誕生~始皇帝の時代
ここがメインの展示。
始皇帝の御陵の近くから掘り出された高級武将から各種兵の等身大像が数体、また馬が一体、そして文官が一体並んでいる。加えて背景写真用のレプリカが数体と馬車のレプリカが置かれている。 武器の展示もある。
これらの等身大の兵馬俑の形態は本当にリアルで、発掘現場では色彩が付いた状況で発掘されるそうだから、なかなか不気味と思う。この形態のリアルさは、ギリシアの彫刻の情報が伝わったからではないかと説明にあった。
また付随して発掘された武器も展示されているが、1章のものより進歩している。
馬及び武器
下記2枚は 写真撮影レプリカ
馬車編成の金属と兵馬俑の組み合わせによる馬車
第3章 漢王朝の繁栄~劉邦)から武帝まで
漢でも副葬品として兵馬俑はあった。しかし秦の様にリアルなものではなく、小さくまたデフォルメされていた。本来中国にはあまりにリアルな人形を作ると魂を吸ってしまうから良くないという考えがあり、始皇帝の兵馬俑が異常だったとのこと。
兵馬俑の他、いろいろな青銅器や俑が展示されているが、漢は戦国時代の楚の人々が成立させたため、秦とは文化の違いがあるとのこと。見た感じでは柔らかい線が特徴だと思った。
特にデフォルメされた人体の半分くらいの像。ムンクの叫びの絵画の隣に置いて、現代美術として紹介してみたい。
全体が背の高さ程度の騎馬軍団、そして家畜の俑がある。
それらを後ろから撮ったものが下記。
想像の産物の動物も俑として作られている。
3.おわりに
秦の時代は紀元前200年、それに対し日本の古墳時代は250~500年頃。第一章の7国時代の俑が日本の埴輪に近い大きさだった。でも複雑性はとても及ばない。
今回の展示で興味を持ったのは下記である。
1.始皇帝の兵馬俑の意味。
始皇帝の前にも、御陵に小さな人や馬の俑の副葬品はあったし、始皇帝後の漢の時代には行列した動物や兵馬俑が埋葬されていたがそれほど大きくなかった。そして漢の兵馬俑はそれなりに形態や表情の異なるものはあったがパターン化していた。
始皇帝の兵馬俑は、兵馬を写しとるように等身大で、表情も全部違い生きているように色彩を塗られていた。ギリシャ等の彫刻の影響を受けたと展示で説明されているが、生きているように作ったのは始皇帝だけであり、その思想(不老不死も含めて)が研究されている。
2.春秋戦国の頃の武具
春秋の頃に鉄が武器として導入されつつあったようだが、鉾などや人及び馬の防具などかなりのところに青銅器が使われている。そして矢を一斉に射る弩の引き金は青銅器である。
鎧は革製と青銅のようである。(マンが キングダムで主人公たちが振り回している武器はどんなものかということで興味があった。)
なお秦の兵馬俑では鎧を着ているが、漢の兵馬俑では鎧を着ずに盾だけ持っているものもあり、防具なしでの戦争参加もなされていたようだ。
3.女性の扱い
漢の兵馬俑の中に、乗馬する女性があった。つまり女性も戦力として戦争に参画していた。
兵馬俑と古代中国-秦漢文明の遺産-
場所:名古屋市博物館
開催期間:令和4年9月10日(土曜)~11月6日(日曜)
訪問日:10月5日
展示構成
第1章 統一前夜の秦~西戎(せいじゅう)から中華へ
第2章 統一王朝の誕生~始皇帝(しこうてい)の時代
第3章 漢王朝の繁栄~劉邦(りゅうほう)から武帝まで
このうち第1章は写真撮影不可。2章、3章はほとんどのものが写真撮影可能。特に2か所レプリカの遺産の前で記念写真を撮ることができる場所がある。この展覧会は巡回展で、京都→静岡→名古屋→東京(上野の森美術館)と回っていく。
1.初めに
現役の最後の頃、中国西安の近くに行く出張が打診された。場所に魅力は感じながらも、非常にタイトなスケジュールでありミッションの条件も悪かったので断った。しかし私の代わりに行った人が、向こうの準備不足で楽な出張であり兵馬俑の発掘場所へも案内されたと喜んでいたので、とても残念に想い、リタイア後の旅行候補のトップに挙げていた。でもコロナ禍で身動きできなくなっていた。その展示物が来るというので、期待して出かけた。
場内は私とほぼ同世代の老人でぎっしりで、一緒に行った配偶者は混んでるところが嫌だから、さっさと出ようとどんどん前に進んでいった。
2.展示概要
第1章 統一前夜の秦~西戎から中華へ
秦という国が成立する前の、青銅の武器、馬具、容器などが展示されている。秦は中国の西の端で中華の文化の中心から離れていた。ただしもうシルクロードが存在し、西方の情報を入手するのに相対的に容易なところだった。
古代中国の文化は金属の鋳造が得意で、特に青銅器に特徴があるが、統一前夜の秦にもその技術は根付いていた。下図左は精巧な青銅の鋳造品。現在でも高度な技術とされているロストワックスで製造されたそうで、精巧な形状に驚く。 この時代の秦の墓には大きさ50cmの下図右のような非常に小さな乗馬姿の俑(焼き物)が少し発掘されているが、かの兵馬俑のように大きなものはない。
(展示会のHPより。2章/3章は私が撮影したもの)
また短い棒状の玉を少し削って、頭のようにしたものも掘り出されている。その他青銅の各種武器が面白い。
第2章 統一王朝の誕生~始皇帝の時代
ここがメインの展示。
始皇帝の御陵の近くから掘り出された高級武将から各種兵の等身大像が数体、また馬が一体、そして文官が一体並んでいる。加えて背景写真用のレプリカが数体と馬車のレプリカが置かれている。 武器の展示もある。
これらの等身大の兵馬俑の形態は本当にリアルで、発掘現場では色彩が付いた状況で発掘されるそうだから、なかなか不気味と思う。この形態のリアルさは、ギリシアの彫刻の情報が伝わったからではないかと説明にあった。
また付随して発掘された武器も展示されているが、1章のものより進歩している。
兵馬俑の例
兵馬俑の例 色彩復元
馬及び武器
下記2枚は 写真撮影レプリカ
<我らは兵馬俑合唱団>
2400年
皇帝のもと
偉大さを
歌い続けた
大地の底で
2400年
皇帝のもと
偉大さを
歌い続けた
大地の底で
馬車編成の金属と兵馬俑の組み合わせによる馬車
第3章 漢王朝の繁栄~劉邦)から武帝まで
漢でも副葬品として兵馬俑はあった。しかし秦の様にリアルなものではなく、小さくまたデフォルメされていた。本来中国にはあまりにリアルな人形を作ると魂を吸ってしまうから良くないという考えがあり、始皇帝の兵馬俑が異常だったとのこと。
兵馬俑の他、いろいろな青銅器や俑が展示されているが、漢は戦国時代の楚の人々が成立させたため、秦とは文化の違いがあるとのこと。見た感じでは柔らかい線が特徴だと思った。
特にデフォルメされた人体の半分くらいの像。ムンクの叫びの絵画の隣に置いて、現代美術として紹介してみたい。
全体が背の高さ程度の騎馬軍団、そして家畜の俑がある。
それらを後ろから撮ったものが下記。
<御陵への進軍>
動物に
続いて我ら
御陵へ
そこにて永遠の
眠りの警護
動物に
続いて我ら
御陵へ
そこにて永遠の
眠りの警護
想像の産物の動物も俑として作られている。
3.おわりに
秦の時代は紀元前200年、それに対し日本の古墳時代は250~500年頃。第一章の7国時代の俑が日本の埴輪に近い大きさだった。でも複雑性はとても及ばない。
今回の展示で興味を持ったのは下記である。
1.始皇帝の兵馬俑の意味。
始皇帝の前にも、御陵に小さな人や馬の俑の副葬品はあったし、始皇帝後の漢の時代には行列した動物や兵馬俑が埋葬されていたがそれほど大きくなかった。そして漢の兵馬俑はそれなりに形態や表情の異なるものはあったがパターン化していた。
始皇帝の兵馬俑は、兵馬を写しとるように等身大で、表情も全部違い生きているように色彩を塗られていた。ギリシャ等の彫刻の影響を受けたと展示で説明されているが、生きているように作ったのは始皇帝だけであり、その思想(不老不死も含めて)が研究されている。
2.春秋戦国の頃の武具
春秋の頃に鉄が武器として導入されつつあったようだが、鉾などや人及び馬の防具などかなりのところに青銅器が使われている。そして矢を一斉に射る弩の引き金は青銅器である。
鎧は革製と青銅のようである。(マンが キングダムで主人公たちが振り回している武器はどんなものかということで興味があった。)
なお秦の兵馬俑では鎧を着ているが、漢の兵馬俑では鎧を着ずに盾だけ持っているものもあり、防具なしでの戦争参加もなされていたようだ。
3.女性の扱い
漢の兵馬俑の中に、乗馬する女性があった。つまり女性も戦力として戦争に参画していた。