展覧会名:開館120周年記念 特別展覧会 国宝
会期:2017(平成29)年10月3日(火)~ 11月26日(日)
会場:京都国立博物館 平成知新館
訪問日:11月24日
構成 :3階:書跡 考古
2階:仏画 肖像画 中世絵画 近世絵画 中国絵画
1階:彫刻 陶磁 絵巻物と装飾経 染織 金工 漆工
配偶者と一緒に、国宝展にやっと行ってきました。本当は1人でさっさと行ってきたいと思っていたけれども、配偶者が絶対に一緒にといっていて、予定を合わせる日がなかなかなく、閉会3日前ということになってしまいました。
切符は「ぷらっとこだま」とのセットでかなり割引されて、お得でした。
午後行ったので、入場に約30分。ここ最近ではこれでも短いとのこと。
3階からはいったのですが、ちょうどその時 タンカでおばあさんが搬送されてきました。会場の中をのぞくと人がぎっしり。展示ケースに張り付いている人はほとんど動かず、またそこまでに数層の人垣がある。
強引に押し入って書籍の巻物と確認し、藤原行成は美しいけれどもわからないので、もっとも興味があったかな交じり文の書かれた「芦手絵和漢朗詠抄:藤原伊行」の書、そしてすいていたので、後鳥羽天皇の書を見て、この部屋は通り過ぎた。
芦手絵和漢朗詠
抄かなの書というのは、先日「とめはね」という漫画を読んだのと、日本独自の字の形ということで、最近とても興味があるが、この作品の文字も線の流麗さが際立っていた。また後鳥羽天皇の書も両掌の印の上に書かれたもので、とても迫力があった。
後鳥羽天皇の書
続いて、考古。
ここでは、火焔型土器、縄文のビーナス、仮面の女神の3点が、壁際ではなく独立して展示され、ぐるりと回ってみることができたので、配偶者も大満足。
やはり 360度見ることに意味がある。
壁の方は、銅鐸や鏡、そして鞍の出土品。チラチラみてほぼパス。
火焔型土器 縄文のビーナスと仮面の女神
2階へ。階段の途中で、伝源頼朝像等の3枚セットの全体がはっきりと見えた。それとともに近づくことのとんでもない難しさがわかった。そこでじっと立って観察。やはり素晴らしい。パターンは似ているが首の持ち上げ方や肩のいからせ方、顔の丸さ加減などで個性を際立たせている。
仏画については、東寺の曼荼羅が素晴らしい。チャンスがあればまた観にいこう。
伝源頼朝像 伝平重盛像 伝藤原光能像
中世絵画、近世絵画と来て、配偶者が人の多さに根を上げ、私が群衆に突っ込んでめぼしいと判断した場合に連れ込むことにした。
この時期には、瓢鮎図(如拙)、燕子花図屏風(尾形光琳)、雪松図屏風(丸山応挙)、夜色楼台図((与謝蕪村)と素晴らしい作品がそろっていた。しかし残念ながら絵画を味わう距離が取れない。それぞれの保管場所を確認し、改めてそこへ拝見に行こうと思ったが、蕪村の所有者がリストされていないので、個人所有の模様。
瓢鮎図
燕子花図屏風
雪松図屏風
夜色楼台図
一階は配偶者が疲れてしまったので、彫刻以外のものはさっとしか見ることができなかった。
大きな彫刻は人がたくさんいても、距離を取って見ることができるので素晴らしさがわかる。大阪金剛寺の大日如来、不動様は素敵だった。法隆寺の四天王の一体が出てきたが、揃っていないのでなんか寂しい気がした。やはり実際の場所に行かなければ。
金剛寺から 右の2体が登場
陶磁の部屋は最前列が全然動かないのでパス。その他の所も人がぎっしりだった。その中で時々強引に割り込み、源氏物語の竹河、徳川家の姫や琉球王家の漆器、そしてポルトガルから秀吉への親書を拝見した。
琉球王家の漆器 ポルトガルインド国王の親書
今回の感想としては、「ワッハハ。」という感じ、これは呆れたということ。
私の理解できる範疇では、素晴らしい作品がそろっている。各種展覧会の目玉になりそうなものばかりだから、数点程度をちゃんと見ることができれば、入場料の元が取れると言っていい。しかしちゃんと見るという状態にならないので、素晴らしいという表現しかできないのが残念であった。
今回は京都国立博物館としてのお祭りであり、そして京都市内でのポスターの張り具合からいって、町のお祭りにもなっているようである。それはわかる。
でも京博は素晴らしい作品を集めたのならば、お客にその素晴らしさがわかるような展示をもっと考えるべきだったっと思う。
東博の「運慶展」の展示は、大勢の人が来ているが、非常に斬新な展示で混んでいても運慶の素晴らしさを客は感じることができただろう。
今回の展示は、どうお客の人数を想定したか、またどんなタイプの人が来るのかを考えていたのだろうか。そしてあまりにもバラエティの多い展示に対して見る姿勢が異なることを客が理解していると思ったのだろうか。
これだけの展示を集めるのならば、やはり旧館の修復完成を待ちもっと広い空間で展示すべきだったと思う。やはり鑑賞には空間と時間が必要である。
そして知っている人だけが凄い凄いというのではなく、これを機会に国宝の意味をせっかく来た人へ理解させ、そしてそれが最も美しい状態で見せることで、愛好者を広げることこそが、博物館の役割ではないだろうか。
今回は動員だけしか考えていなかったのではないかと疑ってしまった。来て悪い印象を持ってしまった人が少なからずいるのではないかと不安である。
フェルメールとかダビンチの絵を持ってきて、大量動員をかけるのなら気にしない。しかし国宝ならば、もっと大事にそれと国民の関係を扱ってほしい。