てんちゃんのビックリ箱

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高校3年の夏季旅行

2024-10-22 20:34:44 | 昔話・思い出
 これは50年以上も前の話、高校時代の思い出である。
 私たちの学校は私立の受験校で、ほとんどの生徒が進学する。そのため3年の夏休みは推薦で進学する人たち以外はとても重要な時期であった。その時期に私たちの学校は骨休めのためか、九州での4泊5日の夏季休暇を実施していた。
 なお、今回の写真はネットから引用(多分引用OKのもの)
 
 スケジュールは確か下記のようなもの。ただし往路はまるっきり記憶がない。
  1日目 京都からの移動と久住高原のホテル周辺散策
     (確か国鉄による移動、山陽新幹線は存在していない。)
  2日目 阿蘇山周遊
  3日目 久住山 山登り
  4日目 移動 別府地獄めぐり
  5日目 京都への移動 (瀬戸内海の旅客船で神戸まで)


 ところで私の学校は高校2年で北海道の修学旅行をやっているので、家族の手前とても贅沢だなと思った。参加は自由ということだったので、やはり受験勉強したいし親に負担はかけたくないなとは思ったが、ほとんどの生徒が参加するようなので、参加することにした。


第1日目
 出発の朝、参加者が集まった。一学年は180人程度だがほとんど参加していた。私のクラスで欠けていたのは確か2人、一人はその1年前にどこかの高原ホテルを予約していた人、もう一人の動向は不明だった。集まったメンバーからそれについていろいろ勝手な臆測が飛び交った。それを聞きながら、参加してよかったと思った。
 移動についてはまったく記憶がないので省略。もしかしたら夜行だったかもしれない。九州について、やまなみハイウェイを走ってホテルへ行くまでの景色のよさ、空気のさわやかさは、今でも記憶に焼き付いている。(具体的な景色は消えてしまったが、ものすごく気持ちがよかったという印象だけ)
 そして久住高原のホテルもとても居心地がよく、夜は寒いほどで、九州といってもこんなに涼しい所があるのだと認識した。部屋は数人ごとで受験勉強はなしだったが、英会話で室内では通そうと決めた部屋もあったようだ。


気持ちよかったやまなみハイウエイ 

第2日目
 この日は、ホテルから阿蘇山までバスで行って観光。草千里を歩いたり、噴火口まで上って、中を覗いたり・・・・  その前年に、北海道で昭和新山とか摩周湖とかの自然の造形を観てきたが、これもその同類と感慨深かった。
 修学旅行ではなく、リラックスして楽しむことを目的にした旅行であるため、バスを降りた場所でたっぷりと時間をとっており、高原のさわやかな風を満喫した。



阿蘇山火口 
いった時は大人しい時期

第3日目
 この日が旅行の目玉、久住山頂までの登山。私たちに2つのルートが提示された。一方は非常に登りは急だが、下りはゆっくりした傾斜でのんびりと眺望を楽しむことができるもの。もう一方はその逆のルートで、のんびりと登ることができるが、帰りが急峻に下るといいうもの。前半厳しいほうは、運動靴でも登れるが手を使って這い上がるような所もあり、自信のない人はやめよと担当の先生が脅した。
 私は田舎育ちでよく山歩きに慣れていたので前半厳しいほうを選んだ。その日に集まってみると、そのメンバーはなんと20人程度だった。それもほとんどが私の所属する理科系受験クラス。そのクラスの中でスポーツに強いメンバーが参加していたが、彼らは私の参加に意外という顔を見せていた。
 その理由を紹介する。この学校は中高一貫教育が基本で、高校で1クラス分を編入させて高校では学年4クラスとなる(現在とは違うようだ)。私は編入生で、入った時に内部昇格生が通常の高校1年分までカリキュラムが進んでいたことから、それを追いかけるためにクラブに入らずに一生懸命勉強した。学校側も休み期間などに編入性に補修の授業をおこなった。それで編入生以外へなかなか知人が広がらなかった。そして3年の理系クラス、ここには編入生は確か2人、周辺とは日常の挨拶と授業の話以外はほとんど没交渉だった。このクラスはクラブのリーダーやスポーツ選手、生徒会の役員経験者も多く、休み時間も賑やかに話しているのを茫然と見守っていた。そのクラスで体育の時間でもまともな運動能力を発揮していなかった私が、そのきついコースに参加したことに、なんでと思ったのだろう。


久住山(九重山の登山ルート)
どのルートを登ったのか、検討中。


 歩きはじめると、確かにきつかった。前に進むときはほとんど風景は見ることが出来ず、ただ足元や手の置き場所等に注意を払うだけで、黙々と歩いた。でも山歩きに慣れた私にとっては、それほど苦にならなかった。
 他のメンバーは、賑やかに逞しく歩きだしたのだけれども、見ていると黙々と歩くのが案外苦手なのだなと思った。所々眺望の開ける所で休憩をとったが、登りの後半でも乱れない私を見て、ふうふう言っている彼らはへえーっという顔で見ていた。

 最後の壁を越えると、ごつごつした岩と草原が広がるやや平坦な所へ出て、楽なほうを登ってきた生徒が賑やかにうろつき廻っていた。彼らは先に昼食の弁当を食べていた。私たちも昼食をとったが、楽なほうを登ってきたひとたちのようには動き廻らず、頑張って登ってきた経過を味わうように、ゆっくりと周りを見渡す程度だった。


久住山の頂上

 その後、楽な人たちが登ってきたという緩やかな下りの道をだらだらと降りていった。確かにこれだったら散歩を強めにしたようなもので、150人の集団でも動いていける。むしろ私たちが登った道を集団が降りれるか心配したが、他の集団が動きやすい道を通ったらしい。
 学校に帰ったその後のことだが、この急な道を登った20名強とは従来と違う付き合いができた。

第4日目
 朝起きて、名残惜しく爽やかな空気を味わった。そして蚊も全然いなかったことに気が付いた。ここでは本当にリラックスできた。やまなみハイウエイを走るバスの中でもう少しいたかったねと言いながら、降りてきた別府の町は煉獄のような暑さだった。
 地獄めぐりを集団で通り過ぎたのだが、前年の北海道そして阿蘇山を見てきたせいか、何か冗談ぽかった。坊主地獄だけが可愛いというか何か印象に残っている。


別府の坊主地獄
 
第5日目
 旅客船に乗って神戸を目指した。はじめの頃はデッキで島々など風景を見て、大昔瀬戸内海を大きな川といった中国の人の言葉をさもありなんとおもったが、やがて飽きて船内に寝転んでいた。その後どうやって家に帰ったのかという記憶がない。

おわりに
 この旅行は受験勉強をとめたが、確かに非常にリフレッシュした。むしろグズグズ受験勉強をあてどもなく続けていたら、どっかで躓いてしまっただろう。

 次の3月、入学試験結果が出そろったのを見ると、厳しいルートを選んだメンバーはほぼ第一志望に合格していた。やっぱり何事においても楽をせずチャレンジしようとする人が結果が出るのだと思った。
 久住高原の良い思い出はとても強く、いつかはもう一度訪れようと思っていたが、残念ながらまだ果たせていない。 


 


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