昨日、お墓参りに故郷へとんぼ返りしてきました。
私の故郷は京都の日本海側にある町なのですが、もうそこには親族は誰も残っていず、本家の家が一軒残っているだけです。電気も水道も止められ、近くの人に時々開けてもらうようにお願いしてあるそうです。
なお私はその町を出て約50年(うゎ 半世紀)、太平洋側で暮らしていることになります。
この町を出て以来、私が帰るのはほぼお盆と正月だった。父母の命日もそれに近いので、こんなウィークデイのど真ん中に帰ることはなかった。
今回帰って感じたこと。
(1)道で動いてるものが非常に少ない。
道で歩いてる人を見かけない。車もポツリポツリ。そして夏休みというのに、子供がいない。
(2)道そして川の堤防は、非常に立派になっている。
かつて幅1mくらいの細いあぜ道だったものが、片っ端から小型車が入る道幅になって舗装されている。川もかなりの所までコンクリート護岸化され、これでは川遊びは出来そうもない。
(3)織機の音が聞こえない。
私のいた頃は丹後ちりめんが非常に盛んで、ほとんどの家で織機が動いていた。
(4)シラサギの舞う里になった。
駅から家までの間、田圃の中で歩くシラサギ、また空を舞うシラサギをかなり見ることができた。私のいた頃はこんなにいなかった。
(5)秘密の森がゴミ捨て場になっている
墓場から見渡したとき、山へ向かって舗装された道が一本。昔遊んだ山へと向かっていた。変に思ってちょっと行ってみると、山間の奥が削られて廃棄物処理場になっていた。
かつてはじめてアケビを見つけた、私たちの秘密の森だったのに。とってもがっかり。
(1)に関する人口の件
wikiで故郷の町の人口状況を調べてみたのが、図1.50年前に比べると3/4になっている。私の友人で町に関わっていた人と数年前に話したとき、私たちの町は周辺の町の減少の受け皿になっているから大丈夫といっていた。
その際彼がいっていた減っている対象の市と町を見ると、半減している。結局 目くそ鼻くそを笑うといったところか。それとも彼の言った町はもっと小さな、私たちの地区ということかもしれない。(確かに私たちの地区は盆地の人の集まりやすいところで、しばらく前までは町営住宅を盛んに作っていた。)しかし山際の場所は、人口はどんどん減っていたということだろう。
そしてびっくりするのは、人口構成。図2に示すが、20歳~30歳がごっそりといない。(3)で述べるが、私が町を離れる頃は、この世代はかなりいた。
子供はそれなりにいるのに、外で見かけなかったのは、外に出て付き合うほどの量がいないということか、都会のように屋内でゲームをやっているのか。
図1
図2
(2)道路、堤防の件
町のHPから予算状況を見てみた。収入のうち地方税が20%を切っている。そしてほとんどが地方交付税と府等からの補助金。大きな産業が消えてしまった今、しょうがないとは言え、外からのお金で使う対象になるのは土建業ということで、人は経るにも関わらず道は立派になっていったのかもしれない。
(3)織機の音
かつては、ここは丹後ちりめんの一大産地であった。私が町を出た頃はあらゆる場所から、織機の音がしていた。しかし図3に見られるように、もっとも生産していた頃に比べて、5%以下の生産高しかない。
盆と正月に帰ってきていたために織機の音がないのは当たり前と思っていたので、このドラスチックな変化に気がつかなかった。 他のデータを見るとちりめん関係者は1/5に減っているようであり、産業やそれに関わる人が消滅するのもしょうがない。
なお、20歳近傍が少ないと言いつつもその年齢で女性が男性の倍いるのは、女性には機織りの仕事があり、男には仕事がないせいだろう。
図3
(4)白鷺について
たぶん人口減少と農薬、そして減反などがあり、白鷺自体がすみやすくなったのだろう。これならもっと思い切って、これの数倍のコロニーが出来れば、観光の対象になるかも。
(5)ごみ処理場の件
思うにあの頃のあの場所は、整備された里山だった。しかし10数年前山に人が入らなくなったため、山があれサルやイノシシがあの近辺の畑に跋扈し、もう近寄れなくなったと聞いた。それならばと、ごみ処理場にしたのだろうか。
こんな感じに、思い出の場所はつぶされていくのか。
Wikiには、すべての市町村について人口動態が示されています。長く故郷を離れていて、正月やお盆にしか返っていない人は、その人口動態を見てみましょう。
日本全体の人口動態よりもとんでもないことになっているかもしれません。
図1、図2はWikiより。
図3は 京都新聞のHPより。