てんちゃんのビックリ箱

~ 想いを沈め、それを掘り起こし、それを磨き、あらためて気づき驚く ブログってビックリ箱です ~ 

集落は今?

2018-02-04 20:45:01 | 昔話・思い出

 
 私の田舎から、1時間半ほど自転車で行くと、日本海の有名な海水浴場にでる。
 バスが1時間に1本より少なかったこともあり、小学校高学年から中学生の間、よく友達と連れ立って自転車に乗って泳ぎに行った。

バス通りよりも手前に、山間を行く近道があった。こちらの方が20分程度早くつくので、私達はこの近道をいつも使っていた。

 しかし、うちのおばあさんは、この道は絶対に使うなといっていた。
 それはその道の途中に、屑鉄などの集積所と、そこから少し離れて集落があったからである。その頃は知識がなかったが、この集落にはいわゆる差別された人たちが住んでいた。
 私達が自転車で泳ぎに行ったと聞くたびに、おばあさんが様子を探りにくるので、うっとうしかった。


 その日は、クラスで最も気がやさしい友達と、2人で連れ立って泳ぎに行った。

 2km泳いだ帰り道、山道に入ったとき2人連れの少年が手を広げて、私達を制止した。
 その時友達のほうが少し前に先行していたが、彼が止まるとすぐ、一人がその自転車のハンドルを押さえ込んだ。
 彼は助けを求めるように、振り返って私を見た。私は後戻りすることも出来たけど、彼の途方にくれた眼に捕らえられて、そのまま前へと進み、彼らのところで止まった。

 相手の2人連れは、背は私達より少し低かったが、真っ黒に日焼けしていて喧嘩が強そうだった。そして特に、私に近づいてきた奴は80cm位の木の棒を持っていた。

そして僕に言った。
 「俺たちを、途中の家まで乗せていってくれ。」 なかなかドスの効いた声だった。
 友達は、困った顔で僕を見ている。


「いいよ。」
「悪いな。お袋が心配しているはずだから、早く帰らなければいけないんだ。」


 彼が私の自転車の荷台に乗り、もう一人が友達の方に乗った。
 少し上り坂の道を、一生懸命に自転車を漕いだ。
 最初は、「おう、もっとがんばれや。」なんて、勝手なことを言ってくる。理不尽な要求を聞かざるを得なかった自分が悔しくって、涙がでた。


 しかしその後なぜか、悪いなあとか言いながら、経緯を話し出した。
 もう一人のほうが集落の外でいじめられたので、彼がその相手のところへ一緒に行って、話をつけに行ったとの事。


 彼は、言った。
「言いがかりに対しては、返さないといかん。俺ら少数派だから返さんと潰される。皆で助け合って返すんや。」
 すごく大人っぽい口調だった。特にいいがかりという言葉に対しては、こういう風に使うのかとおもうほど、かっこよかった。


 15分ほど走って、鉄屑の集積場に近づいた。そこには、日に焼けたおばさん2人が立って、こっちを見ていた。
 後ろに座っていた彼は、「ありがとうな。」と言って飛び降り、「お母さん!」と言って走っていった。友達の自転車に乗っていた子も、その後を追いかけた。


一気に私達よりも年下になり、可愛らしく感じた。

「馬鹿だねえ。何しに行ったの。ちゃんと私に話しなさい。」
「大丈夫だった?」
「話してわかってもらったんだ。本当だよ。」
「そう。ともかく相手のことを話しなさい。」
 大声で、言葉を交わしていた。子供がどんどん子供っぽくなる。


 私達は開放されたので、また自転車に乗り、彼らの横をすり抜けようとした。そうすると、おばさんの一人が、「ちょっと待って」と言ってさえぎったので、またそこで止まった。


「お願いして乗せてもらったんだ。」 可愛くなった子供は言い張った。
「本当だね。」と子供たちに言って、こちらを向き「すみませんでしたね。」と、おばさんは、頭を下げた。


 もう一人のおばさんは、ばたばたと集積場の横に作られた畑に行って、ぽんぽんと叩きながら、2つ瓜をもいで、持ってきた。
「これを持って帰ってくださいね。」と言って、私達の自転車の、それぞれの籠に押し込んだ。
 顔をしわくちゃに微笑んで言った。「これは、とてもおいしいんだよ。」 


「ありがとう。さようなら。」
 私達は、後ろを振り返らず、家への道を急いだ。



 かなり離れてから、友達が言った。
「これどうしよう。うちではあそこの人と付き合っちゃいけないと言われているんだよ。これがあると、どうしたんだって聞かれちゃう。」
「僕は、ともかく持って帰ることにするよ。」 

 その後、黙々とと自転車を漕いで、2人が別れる辻まで来た。

「さようなら。」
「さようなら。」 今日は、次はいつ行こうという言葉がでなかった。


 そして家へ急ぎながら、きっと友達は、小川を渡るとき捨てるんだろうなとおもった。


 私は結局持って帰って、母に状況も話した。
「しがらみがあると、いろいろあるのよ。でもこれはきっとおいしいから、ちゃんと冷やそうね。」 遠くからここに嫁いだため土地にしがらみのない母は、おばあさん、そして父にはその話をしないようにと言った。


 その瓜は、本当においしかった。
 そして、厳しくたしなめているお母さんに、甘えるように抗弁しているあの子を思い出した。

 その後暫くしてから、またポツポツとあの道を使い出した。その時には屑鉄をいろいろ動かしている男や女たち、また畑で作業しているおばさんを見かけたが、あの子供たちを見ることはなかった。


 その後、私は高校からその土地を離れたため、暫くそこに行くことはなかった。



 そして大学に入った夏休み、久しぶりにそこを訪れて、様変わりに驚いた。
 以前の鉄屑の集積場には、ドスンと太い橋脚が立っている。そして山間の道にのしかかるように広い道路が建設されている。
 集積場から集落へつながる細い道のあたりは、資材置き場となっていて、金網が張られ向こうの様子を伺うことが出来ない。
 
 きっと彼等はもうここにはいないなと思った。
 ある程度の移転費をもらったのだろうけど、みんな一緒に、まとまって動くことが出来たのかが気がかりだった。


 それから暫くして、今度は車でその道を通った。


 きれいな山並みを突っ切ると、開放感にあふれた青い海が見えてくる。しかし注意して見下ろすと、チラッと廃屋が見え隠れする。
 この道を走る人は、鉄屑集積場や古ぼけた集落、そこで黙々と働き生活していた人たちの記憶が横たわっていることなんか、思いもしないだろうな。ちょっぴり悲しかった。


 その後、友人を訪ねたとき、状況を教えてもらった。
 やはりばらばらに移り住んだそうだが、なじめずに二、三家族いつのまにか戻ってきて住み始めたとのこと。

 道路の影、そしてあの騒音の中に、あの日会った人たちがいないことを願った。



<上記の願った日は、30年以上前です。現状は知りません。>

消滅したSNSの掲載話を 再投稿

コメント
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