てんちゃんのビックリ箱

~ 想いを沈め、それを掘り起こし、それを磨き、あらためて気づき驚く ブログってビックリ箱です ~ 

スターウォーズと私

2020-01-07 14:45:20 | 日記

 明けましておめでとうございます。先日スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け を見てきました。 そして無事 ほぼ期待通りの終わりでほっとしました。



 スターウォーズの最初は1977年でした。その時ちょうど配偶者と付き合い初めていて、一緒に見た映画でした。一度先に一人で見ていて音楽、そして広大な空間に憧れを感じた。そこで繰り広げられる大げさだけれども圧倒的存在感を持つ悪役(ダースベイダー)に対するわかりやすい活劇、コミカルなロボット、そしてガキっぽくあか抜けない3人の主人公を取り囲む重厚な脇役。とても楽しめた。



一作目のポスター


 なにより彼女を連れて行ってもいいと思ったのはアンパン顔のヒロイン、少し可愛いけどなぜ男二人で取り合っているのだろうというレベルだったから、彼女を話に取り上げても全然危なくないと思った。
 彼女も、スターウォーズという空間を気に入り、そして結婚するとともに、2回目、3回目(全体の話から5話、6話)も見に行き、だんだん仕掛けが子供っぽくなるなと思いつつ、3回目でダースベイダーが成仏し、3人の主人公の組み合わせもすっきりして安心した。この3部作はダースベイダーという父を、子供が克服する話。



 ここから20年後、次の3部作が始まった。この時期は仕事と子育てが忙しく、映画館に行かずに、子供とビデオで見ることとなった。
最初の3部作の前に位置し、ダースベイダーという存在がなぜ生み出されたかという話。振り返ってみると、スマホゲームが異常にうまくなった子供が、色気づくとともに、周辺以外の自分に都合のいい声(今ならインターネットの中に飛び交っている)に惑わされて、シリアルキラーになったようなもの。
 それを今度は主役が美男、美女のプリンス、プリンセスの組み合わせで描いている。



5作目のポスター



 前3部作に比べて画像や特殊撮影はスケールアップし、ごちゃごちゃの集団戦も迫力があり一応は楽しめた。でも前3部作のダースベイダーに匹敵する圧倒的な物理的存在の悪役は存在しないし、ライトセーバーのチャンバラも見慣れてワンパターンだなと思った。
 前3部作は20~30歳代で、主人公3人組とはまあまあ合致して感情移入できたが、このシリーズは、主人公は若すぎてそのマスタークラスに感情移入しようと思ってもずれていた。





 そして、最近の3部作。ダースベイダーの孫でかつハリソンフォードとレイア姫の子供である青年が暗黒面に落ち父世代へ反抗したのに対し、履歴が謎の美女がジェダイ側として対抗する話。2人は前シリーズのプリンス・プリンセスの組み合わせではなく、男はぐずぐず悩める人、女性はトゥームレイダーやナウシカのように恋愛に関係なく身体が動く人と、現代的な組み合わせ。
最初から40年以上経過した状態で、最初の3人トリオが登場するのが魅力だった。このシリーズはこれまでの2作とも家族で映画館に出かけた。



9作目のポスター


 3人は見事に老けていた。特にキャリー・フィッシャー演じるレイア姫、少女の頃よりはるかに魅力的だった。
 それに対して男2人は、子育てに失敗しそれを引きずる悩めるしかめっ面の人として登場。そしてこのシリーズの2作目までに青年が、銀河を支配するシスの後継者を殺して自分がその位置につく過程で、殺されてしまう。すなわち青年は親殺し、叔父殺しとなってしまう。そして本来はその次の回に生き残って出るはずのレイア姫演じるキャリー・フィッシャー自身が2作目完成時点でお亡くなりになってしまうという状況になった。
 そういった状況での3作目、どういった形で納めるかにとても興味があった。
 
最初に、3作目でダースベイダーに殺されたはずのダースシディアスが、意識は生きていて青年を踊らせていて、そして隠された巨大軍事力を青年が後を継げば与えるということが分かった時点で、だいたいのストーリーはわかり、活劇にはハラハラしながらも、安心して進行を見守った。ジェダイだって肉体は滅んでも意識は生きて像が浮かび上がったのだから、暗黒側だってあるに決まっている。

 感心させられたのは、キャリー・フィッシャーの扱い。それまで撮りためていたデータをうまく使い、違和感なしに映画に組み込んでいる。そして残りの2人もカメオ的に出てくる。
先祖がえりした活劇を挟みながら、ダースシディアスと主役2人男女の対決へ進む。その過程で、女性の出自がダースシディアスの孫にあたることが判明する。シディアスはその親、自分にとっては子を殺している。また男女の戦いの結果、レイア姫の犠牲のもとに青年が改心する。 その時上空で大型戦艦大船団と特攻した少数パルチザンの対決ということになり、最初のシリーズの頃の先祖返りした肉弾戦が行われる。

 最終的にはシディアスは女性に打ち破られるが、その時致命傷を負った女性を青年が復活させ、そこで愛を確認しあった後、青年は滅んでいく。踊らされて大きな悪を行った青年が生き残れないのは仕方がない。上空も抑圧されていた銀河中から応援が駆けつけることで、決着がつく。
ただ一人のジェダイとなった女性は、レイ・スカイウォーカー すなわちシディアス(パルパティーン)側でなく、スカイウォーカー家の一員として生きていくことを宣言する。

 彼女しか残らないことは映画の最初でわかっていたが、スカイウォーカー家の人としてはっきり宣言させるとは思わなかった。
 女性が自立して生きていくというだけでなく、いい状態を選択して生きていくというほど女性が強くなったのだなと思った。ともかく、最初のシリーズのチヤホヤされている軽いお姫様から、第2シリーズの元老院議員という政治家で活躍する王女、このシリーズのパルチザン総司令官、そして肉体的闘争者としての女性と、時代によって女性がどんどん強くなっている。
 外観は大きな話を扱っているにも関わらず、狭い血縁の家族の相克の話である意味わかりやすい。ただし最後の宣言は、血族としての伝達でなく意識の伝達が重要ということも意味していると思う。

 男性のルーク・スカイウォーカーが物語を始めて、女性のレイ・スカイウォーカーが物語から出てゆく・・・・
 もう少し仕事を続ける配偶者の横顔を見ながら、頑張ってねと思った。
  

 夫婦のことを最初に書いたが、その他にも最初が仕事の専門化が始まった時期で、今が仕事を終えようとしている時期と、とても感慨深くしんみりとしてしまった。
 第一シリーズの時は観客席はすごく熱気があったが、この9作目はそれほど混んでいずに、若い人よりも私たちの年代が目立った。あまりあたっていないようだけれども、私たちの世代にとっては、時代の終わりということで見る価値はあると思います。
コメント (2)
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