
<会場入口>
展覧会名 パウル クレー展 創造をめぐる星座 Solitary and Solidaly
場所 愛知県美術館
期間 2025年1月18日(土)- 3月16日(日)
訪問日 :2025年2月26日
内容
1.詩と絵画
2.色彩の発見
3.破壊と希望
4.シュルレアリスム
5.バウハウス
6.新たな始まり
0.全般的な概要
パウル・クレーの過ごしてきた時代、そしてその時々に付き合った画家たちからの影響をたどった展示会。彼は画廊の販売戦略で下記の言葉で孤独の画家として売り込まれた。
「この世では、私を理解することなど決してできない。なぜなら私は、死者たちだけでなく、未だ生まれざる者たちとも一緒に住んでいるのだから。」
しかし実際は、周辺の画家たちと密接に交流し、影響を与え合っていたことを表したいとするのが目的。表題はクレーの絵画の創造へ、影響を与えた画家たちを星座とみなしている。題目にこそッと書き込まれている英語 Solitary and Solidaly (孤独と連帯)のほうが、星座などとするよりも、今回の展示に会っている。

<星座のイメージ>
今回の主催者が描いた、著名作家同士の関係性。
そのため、展示の半分はクレー以外の画家の作品である。そしてそれらの関連性を丁寧に説明しようとするためか、絵画のキャプションが過剰に長い。絵を味わうというよりも、クレーの絵画史の位置づけに関わる学術研究論文を読んでいるようでしんどいと、配偶者は言っているが私もそう思う。
兵庫県美術館は、この展示会の惹句として「パウル・クレー 20世紀美術に燦然と輝くスターたちとの共演!」としているが、こう書いてくれた方が、この展示会の性格を事前にい知るうえで良かっただろう。
一応章立てに従って書いていくが、3の時が第一次世界大戦、5と6の間に第2次世界大戦が起こってクレーに多大な影響を与えている。
1.詩と絵画
音楽家の家に生まれて種々の芸術センスを持ったクレーは、文学、音楽、絵画のどの道を選ぶか迷い、最終的に美術を選んだ。その頃に影響を受けたゴヤのエッチングとクレーのエッチングなどが並べられ、線で描く画家であったことが述べられている。そしてドイツ表現主義・青騎士のリーダーであるカンディンスキーに出会い交流したが、その作品が並べられている。
2.色彩の発見
クレーが一気に色彩の魅力を知ったのは33歳になってから。パリへ行ってピカソやブラックの絵を見て、そしてドローネーの知遇を得た。そして青騎士のマッケ、マルクとともにチュニジアに行き、特にマッケの色の勢いに影響を受け、色彩の面で構成する絵画を描きだした。青騎士の展示会にも参加するようになった。

<チュニスの赤い家と黄色い家>
1章の絵が線を主体とするものだったのに対し、チュニスの旅行中に一気にカラフルな面を主体とした絵になっている。これはこの1品。しかし線も温存されていて、独特のぐにゃりと曲がった線が、この後時々出てくる。
3.破壊と希望
第一次世界大戦で従軍し、画業を中断。その中でマッケおよびマルクが戦死した。クレーは戦争を批判した絵を書くようになった。それがダダイズム(既成権力への抵抗、反美学的姿勢や既成の価値観の否定)の作家たちに非常に評価され、仲間扱いされた。

<破壊された村>
戦争の惨禍を主題とした絵。

<淑女の私室でのひとこま>
戦争の絵とともに描いた、性的なニュアンスの絵。こんなのがダダの人たちに受けた。この人は愛妻家とされているのに、こういったタイプの絵を描く経緯が不思議。
4.シュルレアリスム
パウル・クレーの「芸術は目に見えるものを描くことではなく、見えるようにするものである」という思想がシュルレアリスム(超現実主義)と結びつき、先駆者のひとりとされるようになった。
ダダは現状の破壊を目標としているが、シュールは現状からの創造を目標としている。変革の方向は違うが、その双方から仲間扱いされるのは、彼の変革性がメッセージとして明確だからだろう。
クレーは自分から仲間を作ろうと動かない。そして孤高を保っているように見える。しかし周りがほおっておかない人である。

<上昇>
フォロンにも矢印があったが、ここにもある。

<熱帯の花>
体内をめぐる血液や精子を描きこんでいるとのこと。
5.バウハウス
ドイツワイマール体制の中で、新しい芸術とデザインの融合した運動であるバウハウスに、マイスターとして招へいされた。そこに参加した他の芸術家たちと交流するとともに、講義のための新技術の取得や、理論の体系化を進めた。バウハウスはデザインの概念を変える歴史的な運動の拠点で、カンディンスキーとの再会とか、他の特色ある美術家との協業はきっと楽しかったに違いない。いろいろな新しい技法も開発している。
ここでは、クレーもかなり濃密に先生たちと付き合い、いろんなことを吸収したようだ。学生に対する教え方は、自分の意見を言うが、それを押し付けず一つの見解というようにしていたようで、人柄が感じられる。バウハウス時代は幸せだったのだろうと思う。

<女の館>
性的なニュアンスもあるだろうが、表現がおしゃれになっている感じがする。
6.新たな始まり
ナチスの台頭によって、クレーは退廃的なユダヤ人とみなされ、本人自身そして作品が弾圧された。クレーはスイスに亡命したが、暫くは体調が悪くなったことやまた財産の凍結等で暫くは厳しかったが、バウハウスを経由して得た新しい作風が米国で注目され一気に人気芸術家としてよみがえった。1939年には制作意欲がよみがえり1000点以上を制作している。

<山への衝動>
ここで線が生きている。そして登山鉄道の描き方が楽しい。

<最後の静物画>
クレーは病院で亡くなったが、アトリエでの最後の作品。なにか自分の楽しいものを描き並べたよう
おわりに
最初に述べたように、この美術展はクレーの作品と、彼と交流しまた影響を与えた芸術家の作品をならべ、関係が複雑ゆえに丁寧すぎるほどの説明を行おうとしたため、とても疲れる展示会になっている。またクレーの作品が浮かび上がってこない。
むしろクレーの作品のみに絞り、周辺状況は簡単な説明のみで、作品のすばらしさをじっくりと味わうようにしたほうがよかったのではないか。
でもこの展示会のいいところは、展示された絵のかなりの部分が国内の美術館所有で、それにパウル・クレーセンターからの貸出品をすこし追加するだけで、立派なものになっていることである。これを企画したキュレーターは立派なものだし、また日本人はクレー好きでこんなにも国内にクレーを集めていたのかとおもった。
私自身パウル・クレーは好きな画家で、そのカラーや線、変わった描き方の由来に興味をもっていたが、今回すこし状況が理解できた。