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うーむ、ジョン・ロードが死んでしまった。
先月ジョニー・吉長が死んで悲しんでたのに
またまた好きなアーティストが一人逝ってしまった。
何とも残念な事だね。
誰?って人もいるだろうけど
伝説のバンド『ディープ・パープル』のキーボードです。
まあオルガン奏者と言った方がいいくらいだけどね。
彼はハモンド・オルガンをメインに使用してたから。
あのハモンドの音がパープルのカラーを作り出していた。
ハードロックにして、どこか優しい音色だったな。
僕はあの音が大好きだったね。
演奏方法はかなり過激だったけどね。
パープルって、リッチーがかなり気難しくて
ジョンがそれを宥めながらやってた様な印象だけど
案外リッチーの方が折れた部分とかも多くて
多分世間的な印象とはちょっと違うと思う。
特にパープル創世記には、メンバー選考やマネージメントに関して
リッチーの人脈に助けられた部分も多くて
ただの気難しい我が儘なギタリストじゃないんだね。
音楽性にしても、リッチーの果たした役割は大きい。
ジョンはかなりクラシックに傾倒していて
パープルも当初はクラシックの要素を強く取り入れたものだった。
それをハードロック・バンドに変えたのは、リッチーで
その時も渋るジョンをリッチーが説得してるんだね。
「じゃあ一枚だけ試験的にやらせてくれよ」てな感じで。
「そこまで言うなら、やってみなよ」とでも言ったのかな?
多分ジョンは上手くいかないと思ってたんだろうね。
だけど結果はその後の方向性を示すものだった。
当初のままクラシック・ロック(古いロックではない)路線なら
パープルはイエスやELP、ピンクフロイド的なバンドになったかも。
ただそうなると成功を手に出来たかどうかは怪しいけどね。
リッチーは早々に脱退してただろうな。
2002年に体調不良で脱退するまでメンバーで居続けたジョンに対し
リッチーってメンバーとケンカ別れしてパープルを早くに脱退したから
世間的にはジョンはリーダー的人格者で、リッチーは気難しい
みたいな評価になってるけど、必ずしもそうじゃないね。
後に成功してたレインボーを抜けてまで再結成後の
パープルに再参加を果たしたのを考えても
リッチーのパープルに対する想いと、ジョンへのリスペクトは大きかった
と考えるのが正しいんだろうな。
僕は10年以上前に何度目かの日本公演に行ったんだけど
その時はリッチーはいなかったし、ジョンのクラシック路線満載で
事実オーケストラとのコラボレーションだったし
黄金期のパープルを期待した身としては、がっかりだったな。
最後にやった『スモーク・オン・ザ・ウォーター』が救いだった。
ただそれでも伝説のメンバーに実際会えたのは嬉しかったね。
実際目の前にあのメンバーが居るだけで、感激してた。
それだけ僕の中では大きな存在なんだな。
残念だけど、こればかりは仕方がない。
せいぜい往年の名曲を聴きながら、ご冥福を祈ります。
酒でも飲みたいところだけど、僕は下戸なんだよね。
合掌・・・・・。
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