2020年、オリンピックは、日本には来ない!!
猪瀬知事の発言がオリンンピックの世界を騒がしている。猪瀬を知事に第一番に推薦したのは、このコラムかも知れない。石原後の都政を担える人物は、この人物しかいないと啖呵をきった手前、やりきれない思いもある。金権に関係ないまっすぐな男と見込んで都知事に推したのだ。公明党は、すぐさま、反応し、次期は、猪瀬で行きましょうと、都知事選に自信を深めた。
短気のところも欠点であり、もちろん、最大のマイナス点は、世界を知らない文章屋であり、政治が務まるかという不安は、誰しももった知事選前の評価である。それでも、都の安全と改造をしがらみなく出来る男は、猪瀬と判断し、決断に入ったのだ。心配したのは、人の意見を吟味せず、すぐに、責任をとれるのか、と高飛車な発言が誤解されることだ。右翼や稼業一家の公演に出かけ、一点、強いところも見せた。そのようなパーフォーマンスも意外と受けていたのだ。
残念なのは、自分の周りに、情報収集と分析出来る才覚の右腕左腕をおかず、なんでも自分がやらないと安心できない小心者である傾向に走ることだ。こともあろうに、ニューヨークで、オリンピックの話を頂点に置いたことだ。危機管理を十分せずに、胸の内を吐露してしまった。禁断の実に触れてしまったのだ。スパイは、周りに、腐るほど、いたと考えたほうがいい。ニューヨークタイムズに、宗教的、国家的発言をしたことで、失言で済まされないミスを犯してしまった。さらに、悪いことは、謝った事実だ。頭を下げて済むような問題ではない。毅然として、謝ってはならないのだ。謝った事実は、失言が本物と受け止められるのだ。情報局から、もしあれば、この事実について、論じ避けねばならない言質であったと記者は考える。周りの、取り巻きのいい加減さと能力不足に、腹がたつのとあきれ返る外交戦力だ。
謝ったことで、事件を大きくしてしまった。ニューヨークタイムス紙への応答は、朝日か毎日かジャパンタイムスに、させるべき事案であったと記者は、外国特派員クラブで記者連と結論に達していた。猪瀬の一人相撲は、日本外交戦略が、いかに、幼稚で単純なものか、世界の笑い物になってしまった。都知事の勇み足で、活路がふさがれた。
欧米式では、謝ることは、行為を悪いと認めたことになる。確信犯とはんこを押される。謝罪する野と、申し開きをするのは、雲泥の差があるのだ。謝っても、ペナルテイは逃れられないのだ。
東京オリンピックは、20年、残念だが、開催されないほうへ羅針盤は動いた。おそらく、トルコで開催されるだろう。イスラム国家として、最初のオリンピックである。世界を席巻し風靡したオスマントルコの威勢は、まだ、トルコに脈々と残っていたのだ。
わなにはまる猪瀬も、全く、世界音痴で世界に目が届かず、善人すぎるきらいがある。まんまと、わなにはまった猪瀬、都知事の運命が危ない。もう少し、大人になれなかったか。一歩下がって、世のなかを観察できなかったのか。
身から出た錆は、そう簡単に、錆落としを使っても、消えない。謙虚な人間になれるか、どうか。いままでが、ラッキーだったのだ。
全国消費者国民運動連絡協議会
全国オンブズマン連絡会議(行政監査)
全国メデイア報道384社連絡会議
全国ゴルフ会員の権利を守る弁護士団シンポジューム
日本時事新聞社
太平洋クラブ被害者の会