何回か続いているサイコパスの話題ですが、もうしばらくお付き合いを願います。
事が非常に重大だと考えたので、現在個人誌を作っているのですが、その時間を割いてこ
ちらに充てています。
● 作家間での危険性
私は以前からクリエーター間の争いは避けるべきだと考えていました。性善説などとい
うつもりなど毛頭なく、兵法的な考え方で仲間内で争っていたら外部からの干渉を招くだ
けだから無用な争いは見た目以上に危険だと考えていたのです。
そこで傍目から見れば必要以上に自己を主張することに消極的でした。クリエーターな
ら自己主張は作品内で充分です。作家の存在意義はその表現にあるのです。私生活で他の
作家諸君と不毛な争いなどすべきではなく、何か一定のルールに則って競い合うべきでは
ないかと思っていたのです。
しかし、サイコパスという存在を知った時にその考えは根底から揺らいでしまいました。
日本人の1000人中に数人存在するとなると、その確率はクリエーターにも当てはまるはず
です。良心の呵責のない人間が少数でも混ざっていれば、作家間の争いを避けると言う考
え方は通用しなくなります。
人間同士の共感や感情に疎いサイコパスにクリエーターとしての活動が可能なのかとい
う疑問もありますが、優れた文学作品を残す死刑囚や自己の表現として傷害を繰り返す者
の話を読むと、それは技術の問題に還元できるように思えます。つまりそれはそれで個性
なのです。それどころか罪悪感がなく長期的な計画ができないと言うことは、作家として
不要なストレスのない解放された世界を展開する可能性があります。
そうしたサイコパスが作家間に入り込むことに成功すると、サイコパスは犯罪的な手法
をものともせず、欲しいと思った他の作家の情報を盗み自分の物と主張し、なおかつ罪悪
感を覚えないという厄介な行動をとるでしょう。これでは正常な作家間の競争など望むべ
くもなく、盗んだ者勝ち、やった者勝ちとなってしまいます。
この構造の根底にあるのは、作家間の仲間意識の欠如、お互いを尊重する気持ちの欠如
であってルールの崩壊とは異なると思います。つまり当事者間の合意や了解を抜きに、一
方的な搾取や依存があるのです。そしてなおかつ堂々としているので傍目からはルールは
破っていないかに見えるという危険な状態となります。正常なクリエーターのコミュニテ
ィーにサイコパスが混入することによって引き起こされた混乱です。
つまり普通の作家間では高度なギブ・アンド・テイクが成立して秩序を保っているのに、
そこにサイコパスが入り込んで所かまわず搾取を始めた状態なのです。
さらにサイコパスは他人に依存的な関係を強要しコントロールしようとすると言います。
搾取できるだけ搾取して取れるものがなくなると捨てて他を探すのだそうです。そして、
その行為に対してなんら罪悪感を覚えないのですから、もう捕らえて隔離するかコミュニ
ティーから締め出す以外ないように思います。
しかしながら日本の法律では個人をそういう形で拘束する事はできません。何か直接的
な犯罪を犯さなければ捕らえる事は出来ず、有害だと分かっていても手を出せないという
のが実情です。
そして、もし資本と実力を持ったサイコパスがクリエーターの上に支配的な関係を構築
してしまったら、多くのクリエーターが搾取の対象となってしまいます。これは某業界の
労働条件の悪さを見ると既に現実になっていたのだなと実感出来ると思います。
● 作家を取り巻く人々の間での危険性
昨今、各所で見られる著作権の侵害とかアイディアの盗用とかいった事件は、凡ミスの
様な部分もありますが、大っぴらにネット内等で複製・配布等の行為をしている人間に関
しては、罪悪感を持たない人間・サイコパスの仕業ではないかと疑いを持った方が良いの
ではないかと私は思い始めました。
ネットが普及して暫くの間は誰もが情報を共有できるという喜びを享受したものです。
ネット共産主義は情報を持てる者から収奪して待たざる者に均等に配分するのだと。が、
その裏で情報を不正に取得する方法の発達も長足の進歩を遂げたことは見逃せません。
これらは捕食者としてのサイコパスの活動を裏付けるものではないかと私は考えています。
勿論、それ以前にも情報を不正に取得しようと言う動きはありました。いわゆるスパイ・
諜報活動は太古の昔からあり、個人レベルの探偵業もそう新しいものではないと思います。
また、80年代ではバブル経済の恩得もあってタガの外れた人たちが、感じの悪い者を
吊るし上げる形で情報の搾取の対象とし、周囲もなんとなく容認してしまったという狂っ
た時代でもありました。パパラッチや悪しきマスコミの攻勢はこの時代にエスカレートし
たものです。
しかしネットの普及はそれを遥かに超えた情報の高速化と大規模化をもたらし、個人の
情報が即世界へ発信されて消える事はないという状態になりました。今やだれもがスパイ
ごっこに興じ、他人の恥部を世間に晒すことで一時の刺激を得る時代です。
そうした動きに歯止めがかかっているのは、やりすぎれば警察当局が動く環境ができて
必要以上によそ様の事情を知る必要がない以前の状態に戻りつつあるからです。教育の場
でもネットに乗せて良い情報と悪い情報くらいのことは教えていますし、最近ツィッター
では17歳以下の発信を規制するという動きがありました。
こうした動きは年々充実しているので、いずれは他人の情報を悪用するという手段も小
規模なものになると期待できます。
しかし、それでも私が気がかりなのはサイコパスには良心の呵責や罪悪感がない点です。
脳障害によってそうなったと言っても実害を受ける人達にはたまったものではありません。
いわゆる突撃と呼ばれる行為によってターゲットとなる人物の情報を得てネットで拡散し
た結果、当局の規制の手にかかったとしても全く意に介さないわけです。自由の身となれ
ば又同じことを繰り返しますし、規制にかからず逃げおおせて継続する知恵がある場合も
考えられます。
重要なのはサイコパスとその知能の程度には直接の関りがないということです。本当に
知能が高いサイコパスならば、そうして取得した情報を高値で売買すると言うことを考え
るでしょう。要するに探偵業のようなものです。規制の手がかかる前に法律ぎりぎりの事
をして荒稼ぎしようというサイコパスもいるはずです。目の前の利益に飛びつく傾向のあ
るサイコパスにとって薄利多売ができるネット上での取引は魅力的な市場でしょう。
こうした事情から前述のネット等での著作物の複製・無断配布の行為はサイコパスが深
く関与しているのではないかと考えたのです。
さらにこれに絡んだ既得権益をめぐって競争相手(おそらくサイコパス同士で)を潰し
て自己の利益を伸ばそうとする動きもあると言います。ここまで来ると既に暴力団のやっ
ている事と何ら変わりはありません。いや、もっと正確に言うと、サイコパスの持つ形質
である自己の利益を上げるのに邪魔だから消すと言う短絡的な行動と合致するのはないか
と思えるのです。
自分で田畑を耕して収穫を得るクリエーターに対して、これらの捕食者は自分では何も
生み出さず搾取するのみなのです。そして罪悪感を感じることがないので謝罪とか許し許
されるなどという関係は考えにもないのです。
前述の資本を持ったサイコパスはまだいい方で、最低限の報酬もクリエーターに還元し
ない為に大損害を被った人も多いといいます。
● どうすべきなのか
こうした今起きているクリエーター界隈の問題は、サイコパスの関与による所が大きい
と思います。出来得ることと言えば、まずは自衛でしょう。
サイコパスの特徴をよく学習して、人間関係の場で合致する人物を見つけたら逃げるか
気を許さないと言う事が前提です。ネット内でそれらしき書き込みを見つけたら、スルー
するか軽くあしらい通報して管理者に対処を求め、自分では決して関わらないことです。
そして間違ってもサイコパスの甘言に乗って手を貸すこと等ないようにしなければなり
ません。サイコパスは他人に対する同情を持ちませんから、それで損害を与えても使えな
いと思えばさっさと切り離して次の人を探すことでしょう。
サイコパスの主な特徴は関連サイトや書籍を調べればすぐにわかりますが、その要点は
罪悪感がないという点に絞られます。謝罪しない人とか同じ加害をずっと続ける人等はこ
の形質が現れたものです。しかし知能と経験を積むとサイコパスは自分のこの形質に気が
付いて別の感覚を経由して補正すると言います。また、常人でもポーカー・フェイスで通
すことによって競争に勝とうとすることもあるので、ガードを固めたサイコパスを見抜い
て普通の人と区別するのは専門家でも難しいと言います。
次の特徴は感情が薄い事だといいますが、これもやはり普通の人との決定的な差とは言
えないのです。
その後に関しては、残念ながらその展望を書くことはできません。魔女狩りの再現など
考えただけでも恐ろしい。平和に生活している無害なサイコパスもいるのです。
彼らに関する世間の正しい認識と研究の進展を望むのみです。
現在、関連書籍を何冊か入手しましたがそれらに関しては機会があったらご紹介します。
事が非常に重大だと考えたので、現在個人誌を作っているのですが、その時間を割いてこ
ちらに充てています。
● 作家間での危険性
私は以前からクリエーター間の争いは避けるべきだと考えていました。性善説などとい
うつもりなど毛頭なく、兵法的な考え方で仲間内で争っていたら外部からの干渉を招くだ
けだから無用な争いは見た目以上に危険だと考えていたのです。
そこで傍目から見れば必要以上に自己を主張することに消極的でした。クリエーターな
ら自己主張は作品内で充分です。作家の存在意義はその表現にあるのです。私生活で他の
作家諸君と不毛な争いなどすべきではなく、何か一定のルールに則って競い合うべきでは
ないかと思っていたのです。
しかし、サイコパスという存在を知った時にその考えは根底から揺らいでしまいました。
日本人の1000人中に数人存在するとなると、その確率はクリエーターにも当てはまるはず
です。良心の呵責のない人間が少数でも混ざっていれば、作家間の争いを避けると言う考
え方は通用しなくなります。
人間同士の共感や感情に疎いサイコパスにクリエーターとしての活動が可能なのかとい
う疑問もありますが、優れた文学作品を残す死刑囚や自己の表現として傷害を繰り返す者
の話を読むと、それは技術の問題に還元できるように思えます。つまりそれはそれで個性
なのです。それどころか罪悪感がなく長期的な計画ができないと言うことは、作家として
不要なストレスのない解放された世界を展開する可能性があります。
そうしたサイコパスが作家間に入り込むことに成功すると、サイコパスは犯罪的な手法
をものともせず、欲しいと思った他の作家の情報を盗み自分の物と主張し、なおかつ罪悪
感を覚えないという厄介な行動をとるでしょう。これでは正常な作家間の競争など望むべ
くもなく、盗んだ者勝ち、やった者勝ちとなってしまいます。
この構造の根底にあるのは、作家間の仲間意識の欠如、お互いを尊重する気持ちの欠如
であってルールの崩壊とは異なると思います。つまり当事者間の合意や了解を抜きに、一
方的な搾取や依存があるのです。そしてなおかつ堂々としているので傍目からはルールは
破っていないかに見えるという危険な状態となります。正常なクリエーターのコミュニテ
ィーにサイコパスが混入することによって引き起こされた混乱です。
つまり普通の作家間では高度なギブ・アンド・テイクが成立して秩序を保っているのに、
そこにサイコパスが入り込んで所かまわず搾取を始めた状態なのです。
さらにサイコパスは他人に依存的な関係を強要しコントロールしようとすると言います。
搾取できるだけ搾取して取れるものがなくなると捨てて他を探すのだそうです。そして、
その行為に対してなんら罪悪感を覚えないのですから、もう捕らえて隔離するかコミュニ
ティーから締め出す以外ないように思います。
しかしながら日本の法律では個人をそういう形で拘束する事はできません。何か直接的
な犯罪を犯さなければ捕らえる事は出来ず、有害だと分かっていても手を出せないという
のが実情です。
そして、もし資本と実力を持ったサイコパスがクリエーターの上に支配的な関係を構築
してしまったら、多くのクリエーターが搾取の対象となってしまいます。これは某業界の
労働条件の悪さを見ると既に現実になっていたのだなと実感出来ると思います。
● 作家を取り巻く人々の間での危険性
昨今、各所で見られる著作権の侵害とかアイディアの盗用とかいった事件は、凡ミスの
様な部分もありますが、大っぴらにネット内等で複製・配布等の行為をしている人間に関
しては、罪悪感を持たない人間・サイコパスの仕業ではないかと疑いを持った方が良いの
ではないかと私は思い始めました。
ネットが普及して暫くの間は誰もが情報を共有できるという喜びを享受したものです。
ネット共産主義は情報を持てる者から収奪して待たざる者に均等に配分するのだと。が、
その裏で情報を不正に取得する方法の発達も長足の進歩を遂げたことは見逃せません。
これらは捕食者としてのサイコパスの活動を裏付けるものではないかと私は考えています。
勿論、それ以前にも情報を不正に取得しようと言う動きはありました。いわゆるスパイ・
諜報活動は太古の昔からあり、個人レベルの探偵業もそう新しいものではないと思います。
また、80年代ではバブル経済の恩得もあってタガの外れた人たちが、感じの悪い者を
吊るし上げる形で情報の搾取の対象とし、周囲もなんとなく容認してしまったという狂っ
た時代でもありました。パパラッチや悪しきマスコミの攻勢はこの時代にエスカレートし
たものです。
しかしネットの普及はそれを遥かに超えた情報の高速化と大規模化をもたらし、個人の
情報が即世界へ発信されて消える事はないという状態になりました。今やだれもがスパイ
ごっこに興じ、他人の恥部を世間に晒すことで一時の刺激を得る時代です。
そうした動きに歯止めがかかっているのは、やりすぎれば警察当局が動く環境ができて
必要以上によそ様の事情を知る必要がない以前の状態に戻りつつあるからです。教育の場
でもネットに乗せて良い情報と悪い情報くらいのことは教えていますし、最近ツィッター
では17歳以下の発信を規制するという動きがありました。
こうした動きは年々充実しているので、いずれは他人の情報を悪用するという手段も小
規模なものになると期待できます。
しかし、それでも私が気がかりなのはサイコパスには良心の呵責や罪悪感がない点です。
脳障害によってそうなったと言っても実害を受ける人達にはたまったものではありません。
いわゆる突撃と呼ばれる行為によってターゲットとなる人物の情報を得てネットで拡散し
た結果、当局の規制の手にかかったとしても全く意に介さないわけです。自由の身となれ
ば又同じことを繰り返しますし、規制にかからず逃げおおせて継続する知恵がある場合も
考えられます。
重要なのはサイコパスとその知能の程度には直接の関りがないということです。本当に
知能が高いサイコパスならば、そうして取得した情報を高値で売買すると言うことを考え
るでしょう。要するに探偵業のようなものです。規制の手がかかる前に法律ぎりぎりの事
をして荒稼ぎしようというサイコパスもいるはずです。目の前の利益に飛びつく傾向のあ
るサイコパスにとって薄利多売ができるネット上での取引は魅力的な市場でしょう。
こうした事情から前述のネット等での著作物の複製・無断配布の行為はサイコパスが深
く関与しているのではないかと考えたのです。
さらにこれに絡んだ既得権益をめぐって競争相手(おそらくサイコパス同士で)を潰し
て自己の利益を伸ばそうとする動きもあると言います。ここまで来ると既に暴力団のやっ
ている事と何ら変わりはありません。いや、もっと正確に言うと、サイコパスの持つ形質
である自己の利益を上げるのに邪魔だから消すと言う短絡的な行動と合致するのはないか
と思えるのです。
自分で田畑を耕して収穫を得るクリエーターに対して、これらの捕食者は自分では何も
生み出さず搾取するのみなのです。そして罪悪感を感じることがないので謝罪とか許し許
されるなどという関係は考えにもないのです。
前述の資本を持ったサイコパスはまだいい方で、最低限の報酬もクリエーターに還元し
ない為に大損害を被った人も多いといいます。
● どうすべきなのか
こうした今起きているクリエーター界隈の問題は、サイコパスの関与による所が大きい
と思います。出来得ることと言えば、まずは自衛でしょう。
サイコパスの特徴をよく学習して、人間関係の場で合致する人物を見つけたら逃げるか
気を許さないと言う事が前提です。ネット内でそれらしき書き込みを見つけたら、スルー
するか軽くあしらい通報して管理者に対処を求め、自分では決して関わらないことです。
そして間違ってもサイコパスの甘言に乗って手を貸すこと等ないようにしなければなり
ません。サイコパスは他人に対する同情を持ちませんから、それで損害を与えても使えな
いと思えばさっさと切り離して次の人を探すことでしょう。
サイコパスの主な特徴は関連サイトや書籍を調べればすぐにわかりますが、その要点は
罪悪感がないという点に絞られます。謝罪しない人とか同じ加害をずっと続ける人等はこ
の形質が現れたものです。しかし知能と経験を積むとサイコパスは自分のこの形質に気が
付いて別の感覚を経由して補正すると言います。また、常人でもポーカー・フェイスで通
すことによって競争に勝とうとすることもあるので、ガードを固めたサイコパスを見抜い
て普通の人と区別するのは専門家でも難しいと言います。
次の特徴は感情が薄い事だといいますが、これもやはり普通の人との決定的な差とは言
えないのです。
その後に関しては、残念ながらその展望を書くことはできません。魔女狩りの再現など
考えただけでも恐ろしい。平和に生活している無害なサイコパスもいるのです。
彼らに関する世間の正しい認識と研究の進展を望むのみです。
現在、関連書籍を何冊か入手しましたがそれらに関しては機会があったらご紹介します。