トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

ずぼらんのオススメ(鉛筆削り)

2021-03-18 10:53:18 | 広告

足が悪いと、ベットの周りとか、食卓でも自分の席の周りとか、とにかく手の届く範囲にいろいろなものが並べられます。

「1歩」が苦痛なので、手の届く範囲に、となりますから収納方法が元気な時とまるで変わってしまいます。

非常に残念ですが、インテリアも何もあったものではありません。

見せる収納!なんて高尚な技が私にあればいいのでしょうが、端的にいえば、収納すべき書類棚に扉がない、というような状況ですね。全部丸見え。

車椅子や椅子を使う人間にとっては、開戸や収納の扉も非常に不便なものなので、とにかく開けっ放しか引き戸が一番です。

引き戸は音漏れが気になる方が多いとか聞きますが、こういう体になってからは引き戸さまさまです。そして開き戸は本当に辛い。扉を引いて開くときの一歩下がるとかが苦痛なんです。よろよろっとしちゃうんですね。力もないから重い扉は引ききれなかったりして。なってみないとわからないものですね。

 

話がどこへいくんだという感じですけれども、そんなこんなの生活をしていましたところ、思いの外便利なグッズが私の周りにはたくさんあることに気づいたのです。

ずぼらな私だからね、とか、病人は周りにものをおかないとねとか、病人目線で選んでごめんね、とか引け目にばかり感じていたのですけれども。

よくよく考えたら、そのずぼらを実現するために吟味に吟味を重ねた品々が集結しているんだと!普通の健康な方でも便利なものは便利!と、これまた友人が気づかせてくれました。ありがとう。

私の身の回りの品々に感謝しました。

私の生活を支えてくれてありがとう。

 

ということで、これから「ずぼらなトドママ」がオススメグッズをご紹介しつつ、それをテーマに我が家の日常を書きたいなと思いまして。「ずぼらんのオススメ」を連載(おー!一丁前な感じだ!)してみたいと思っています。

今回は鉛筆削りを。

は?鉛筆なんて大して削らないでしょ、とお思いのそこの方!

逆なんですよ。鉛筆をですね、こんなにあっさり綺麗に削れるとなると、使いたくなるんですよ、鉛筆を。

子どもの文具ではないんです。鉛筆。

鉛筆ってなんかいいですよ。無機質じゃない感じがして。シャープペンだと確かに消せるんですけど、書き心地がガリガリしているんです。ふわっとしたあの感じは鉛筆ならではです。だからなのか、私はBとか2Bとかの少し柔らかい鉛筆が好きです。

 

そもそも、最初は仕事先で鉛筆を使っている大先輩から影響を受けました。経理関係の方なんですが、鉛筆を使われるんです。鉛筆に思い入れがあるのかな?とか思っていたのですが、仕事で使うと意外と便利なんですね。私もすっかり魅了されてしまいました。

まず、いろんな紙に書けるんですね。領収書だと紙の質が異なるのでボールペンだと滑ったりなんかして。あれれ、なんてことがあったものですが、そういうこともまずないですね。

それから、私は生来とにかくおっちょこちょいの慌てんぼうなので、間違いはもう。間違いをいちいち悔やんでいたらそれこそ人生が終わってしまいます。人様に迷惑をかけることも多々あって、これはなんとかしなくてはといつも反省はするのですけれども、それでもミスばっかり。病気のせいではなくて、元々なので、とにかくなんとかしなくてはと、さらに残念になった頭でうんうん考えています。

人生や生活の間違いはなかなか直せませんが、鉛筆の間違いは直せる、しかもあまり跡が残らないので大好きです。

 

その鉛筆の最大の欠点がすぐに丸くなってしまうこと。

かと言って鉛筆削りでガリガリと削っている間に、思考や作業が中断するのはやっぱり嫌です。

でも、この鉛筆削りがその苦痛から解放してくれました。

 

電動ですが、電池なのでどこにも運び放題です。定位置におかなくていいというのがこんなに便利なのだ!とこれを使って初めて知りました。説明したいのですが、良い説明が思いつきません。しかし、とにかくとっても便利なんです。

自動で止まる機能が付いているので、ぼーっとしながら削っても問題ありません。よって思考も作業も停止せず。

子どもの毎日の学校のお支度にも、これはもってこいです。準備する場所に鉛筆削りを持って行って削ることもできます。

宿題をやっている最中にずっと近くに置いておけるので、1本を削りながら使えます。丸くなる鉛筆対策で何本も鉛筆を用意して、カランカランと机から落っことして、あーあー、なんていうあるあるコントが我が家では無くなりました。もちろん、手を巻き込まれるなどの安全面も問題ありません。

私がベットで宿題の丸付けをするので、という時も、宿題一式と鉛筆消しゴム1セットに鉛筆削りを持って娘はやってきます。

まちがいさがしをするときも、近くに鉛筆削りは必ずあります。

まちがいを探して丸付けして、それが間違っていたときとか、もうどうやって消すのよ!という悩みは鉛筆のおかげで無くなりました。柔らかい鉛筆だと、消しゴムで消しても絵まで消えたりしないので、取り組みやすいですね。

塗り絵のための色鉛筆もこれで削っています。本数が多いので、助かります。

なんなら落っことしたことが数回ありますが、まさかの問題なし!いや、これは保証できないですけど。無事だったのはたまたまな部分もあるとは思うので。でもほんとに、ありがたい1品です。

 

一方、肝心の鉛筆にも多少こだわりがあります。御多分に洩れず、三菱鉛筆がやっぱり好きです。uni、特にハイユニの鉛筆だと背筋も伸びる気がします。キャラクターものの鉛筆も嫌いではなくて、鉛筆たてにいろんな柄のものがあるのはそれはそれで楽しいです。でも、書き心地が違うので、結構お馴染みのキャラクター鉛筆になりつつあります。いろんな会社さんの鉛筆をいろいろ使ってみたところ、思いの外鉛筆にも個性があるので、びっくりしました。そんなことを知れたのも、こういう不自由な手になったからかもしれません。歩いていると気づかないゆるい坂に自転車だと気づく、みたいな感じで、不自由な手になったからこそ、こういう手にも優しい商品ということで、私は三菱鉛筆が好きなのだと思います。固い感触が好きとか、これは好き好きあると思うのですが鉛筆もぜひ評判の良いハイユニを使ってみてもらえたらその魅力に取り憑かれちゃうかも?なんて思います。

我が家の相棒鉛筆削り、かわいらしいものもあるんですねー。私のおすすめでした。


憧れていた世界

2021-03-17 09:48:01 | 病気

私は自分の外見に非常にこだわっていて、それは一体なぜなのだろうと自分でも呆れるほどなのですが、いくつか理由があると考えています。主には2つです。

ひとつは、外見と思い通りに動かない体が頭の中でリンクしてしまっていて、動かないという不満が外見に対する不満に直結する時があると思っています。

それが証拠に、最近は少し動くようになってきたので、見た目はさほど変わらないにもかかわらず、あまり気にならなくなってきました。

変な話ですが、最近は「あれ?私ってこんなに太ってたっけ?」と鏡を見てびっくりする始末で、要するに脳内では私の体はもう少しスマートなのです。根っからの楽天家が降臨しています。動かないとつい、しげしげと自分の体を見てしまうので、ぶよぶよしてるなとか、もたもたしてるなとか、体の異常に気付きやすいのかもしれません。ちゃんとダイエットしなさいよと、鏡に向かって言っているところですが、また3歩歩けば忘れて、私の体はスマートなのです 笑

 

もうひとつは、やっぱり過去の経験があるかなと思っています。

確かに私は生来おっちょこちょいで、ぼーっとしていますし、見た目からして間抜けを絵に描いたような人間です。

でも、それでも元気な時はその元気でそうした欠点をカバーしていたようで、要するに元気な時には受けなかったという扱いを受けることになりました。

 

いくつもある中で、一番印象的なエピソードがこれです。

ある日、用事があってホテルに行きました。娘関連の用事で、大変に久しぶりのホテルでした。私はホテルという空間は憧れていて、厳かな感じや綺麗で誇り高き気品が備わっている雰囲気は時々味わいたいなあと思っていました。

本物に触れさせる、なんてよく教育的に話されますが、美術館やコンサートホール、博物館、あまり子どもを連れていけていません。ホテルも本物のひとつだなと思うのですが、おもてなしから始まって、生花や装飾、他にも例えばレストランに入れば食器も一流のものに触れさせる機会に恵まれるわけです。教育的にも良い機会だなと、ホテルに足を踏み入れてからジーンと胸が熱くなりました。私も少しは母親らしいことをすることができたかなと思ったのです。

用事を済ませた頃、娘がお腹が空いたと言いました。何も考えていませんでしたので、どうしようと思いつつ、このままホテルで食べてしまおう!となりました。奮発だ!パパには写真を送って自慢しちゃおう!などと二人でわくわくして、いくつかあるレストランから選ぶことにしました。

ところが、時刻はお昼時。子連れには一番良さそうだったレストランは満席とのことで、しかも複数の方が待っているとのこと。あらら、お腹が減っている娘を待たせるのもしんどいなあと思いました。他に空いているレストランはありませんか、と聞いたらひとつ提案されました。もしかしたら満席かもしれませんが、と付け加えがありました。

別のフロアにえっちらおっちら、情けない足取りで向かいました。

レストランの入り口にお店の方がいらっしゃいました。

二人です、と伝えるや否や

「もう満席でございます」

と間髪入れずに言われました。

「そうですか、しばらく待ちそうですか?」

とちょっと面食らって聞いてしまいました。

「そうですね、今しばらく空くことはないと思います。」

帳面を一度も見ることなく、食い気味の対応に、ようやく私も気づき、すみませんと言いながらレストランを後にしました。

娘には、ごめんね、満席なんだって、ごめんね、と説明しました。

確かに私の身なりはドレスコードギリギリの見窄らしいものでありました。でも、本当にドレスコードだけなら、このような言われ方はしないなと思いました。

私はホテルに相応しくない雰囲気を醸し出していて、他のお客様の迷惑になるということだったのでしょう。そのことに気づかない私がデリカシーのない、常識のない人間。そういうことだったのだと思います。

でも、私みたいな人間は、ホテルのレストランで食事をすることはできないのでしょうか。

その事実を自分で認識したこともありませんでしたし、ここまで言われてもなお、受け入れられませんでした。

私は普通の人間です。そう思って生活していました。

わきまえなさい、と言われても、何をわきまえたらいいのかわかりませんでした。

その結論が外見、逆にそれ以外の理由はさらに認めたくなかった部分もあります。外見以外に理由があったとして、それを認めたら何かいろんなものが瓦解してしまいそうでした。

 

その後もいぶかしがる娘に、お母さんがゆっくり歩いているうちにいっぱいのお客さんが入ってしまったのよ、と言い訳をするのが精一杯でした。

まさか、お母さんが見窄らしいから入れてもらえなかった、とはどうしても言えませんでした。

 

そのままホテルから自宅近くに帰り、ハンバーガー屋さんに入りました。

娘はポテトが好きなのですが、外食もままならない時分でしたので、久しぶりのファストフード店でした。

お店に入る前からわーいわーいと喜ぶ娘。楽しそうにメニューを眺めて注文しました。もちろん大好きなポテトも注文しました。私に数本ポテトをくれました。おいしいよと嬉しそうにくれたのですが、本当にホクホクとしていておいしかったです。奮発してこれまた娘の大好きな唐揚げも注文していました。残すな、と思いましたので私は飲み物くらいしか選ばなかったきがします。それでもこんな風に愛想良くものを売ってもらえて、娘のことも笑顔にしてくれて、なんと素敵な空間なんだろうとしみじみ思いました。リスのようにポクポクとポテトを食べる娘の顔が今でも忘れられません。こんなに健忘の激しかった私でも、はっきりと覚えています。

幸せとは、一流とはこういうことだと、教えられたような気がしました。

そして、私が憧れていた世界というのは何だったのかと、とてもさみしい気持ちになりました。

ぽっかりと心に穴が空いたように、乾いた風が流れていました。

私が目指すものは何なんだろう。

大馬鹿ものは私です。

 

今もまだ捉えきれていませんが、何か物事の本質を見間違えていたのだと思います。

 

相変わらず、ホテルはやっぱり素敵な空間だと思います。でも怖い部分があるのだと勝手に身構える自分がいます。

一方で、同じように憧れていたデパートという空間で、私のことを邪険にしないでくれたお店がありました。

病院も同じで、私をかわいそうな人として診察してくれるところと、私をめんどくさい人として扱うところといろいろあります。

こういうお馬鹿な人に教育しないと、という扱いももちろん受けてきましたが、なぜか存在してしまうプライドというか自尊心が傷ついてしまいます。こんなちっぽけなプライドなぞ、捨ててしまえれば楽なのにと思うのですが、どうしても上手く行かないのです。

 

何事もひとつのバイアスやひとつの出来事、断片的な価値観で判断してはいけないと思います。

これがあったから、ホテルは全部ダメとかそういうことではないです。

でも、まだ怖いです。傷つきたくないのです。

同じ理由で、新しいところにいくのがひとりだと今でもすごく怖いです。

私がみすぼらしいのはわかっているから、お願いだからダメなやつという扱いをしないでほしい、と思って、結局避けることが多いです。

 

私の外見は、相手方の優しさを見極めるバロメーターだなと思ってもいます。

しかし、どんなに頭の中で良い方に変換して考えようと思っても、さみしい思いをした事実が頭から離れず、もう少しでいいから良い体型になりたいと思ってしまいます。

相手の良心にだけ頼っていてはいけないなと。良い体型に持っていけない私の弱い心があるのは事実ですから。

毎日そんな弱い自分と向き合っています。


私はやっぱりトディ

2021-03-16 21:33:49 | 日記

先日、久しぶりに家族3人でデパートに行きました。

お母さんが張り切ってショッピングをし、子どもは振り回されてくたびれて、旦那さんは荷物もち、という構図。

ありがちに思えるこの光景、これは昭和の夢でしょうか。

 

我が家は全然違います。

娘は小さい頃からショッピング大好きで、あっちらこっちら点々と動くので心配でついていく母親。これは割れ物ですからね、見るだけですよ、から始まり、通路では飛び跳ねないの、そちらの通路は超危険区域だから入らないの、いや言ってる側から入ってるし!こっちこっち、いや、そうね、綺麗だけれども、それを壊すとかありうるからもう少し遠くから見てくれるかな、とか、あたふたあたふた。抱き抱えて行っちゃえばいいじゃない、というご指摘は、逆に思い通りにならないということでじたばた暴れたり泣いたりされる可能性が濃厚なため、有効でない手段でした。延々とひとりでノリツッコミをし続けているかのような、間抜けな私の忠告を、これっぽっちもものともしないで目をキラキラさせている呑気な娘がいました。

そのそばで、マイペースに商品をみて楽しんでいる夫。私が子どもの処遇で苦労している、ということは目に入っていないのか無視しているのかわからないのですが、夫の中では完全に無いことになっていて、自由に見てまわった挙句、私に自然にゆっくりと話しかけてくるのです。反応がないと「聞いてるのかい?」と問われるものの、「聞いていません」と回答するのも情けない状況で、それ以前にわかりませんか?とそれこそツッコミを入れたくなる有様でした。

なんなら全部の荷物から買ったものまで全部私が持って、お店を出てから、あれ?僕手ぶらだぞ?しまった、持とうか、とようやく夢から醒めるという感じでありました。もちろんそのそばで娘は大満足、からの疲れで、お店を出たので刺激される好奇心もなく、抱っこをせがんでいたりして、パパは娘という荷物をもち、残りの荷物は私が持つという、結局私はいつショッピングを楽しむことができるんだろう、という状況が延々と続いていました。

 

先日、久しぶりのデパートに、娘も夫もとても楽しそうに思い思いに商品を見ています。もちろん、そのコーナーは目的とは全然違うところで、完全に目の保養にすぎません。でも楽しいのだから止まらない、仕方のないことですね。これは私も理解できます。

娘も、何が割れ物でとかどのように商品を見たらいいのか、という分別がつく年頃になりましたので、もう自由人たちは放っておこう!とばかりに放置しまして、私は私で目的のショッピングを真剣に楽しんでいました。

しばらくして、ふたりの声がわいわいと楽しそうに聞こえてきました。

自由人同士、息が合うようです。

 

そして満足したのか、私に近づいてきました。

そうしたところ、ふたりが楽しそうに私に言います。

「ママ!後ろ姿だと、もう普通の人になってる!完全に見失ったの!」と。

 

おー?

私の体型が少しマシになっているらしいのです。

どこから見ても私を見失うことがないほどの特徴的な体つきだったそうですが、今日は見失ったと。それでわいわい騒いでいたそうで、見つけた時は普通の人だ!とふたりで驚いたようなのです。

なんとも、ふたりとも同じような目をキラキラさせながら私に話します。

うん、でもちょっと複雑だわ。

この間までいっぱい慰めてくれて、マスコットみたいでかわいいよとか言ってたけど。

やっぱり普通の体型の方がいいのよね。

病気の妻で、病気の母親でごめんね。

 

と、勝手に哀愁を漂わせていましたが、そこまで深くいろいろ考えるほどのことでもないみたいで。

単純に、私が普通の体型になりたいと望んでいるから、それに近づいているんだよ、って言えば喜ぶと二人は思っただけのようでした。

それが証拠に、その後の会話はこう続きました。

「相変わらず、前から見たら存在感すごいから!」

「うん、異質だよね」

「前から見たらやっぱりトディ!(トドのことです)」

と、また完全に心をえぐられそうな発言を繰り返され、喜ばせたいのか笑わせたいのか、悲しませたいのか怒らせたいのか、もう何なのかわからないままケラケラと笑ってしまいました。

 

 

病気の人間というのは、体が動かない分、頭が妙にまわってしまうことがあって、よからぬこともいっぱい考えてしまいます。

考えすぎで悩むというのは勿体ないのでやめたいですが、かと言ってやめられないほどいろんな経験をしたのも事実です。

こんな卑屈で残念な私も、許してあげようと思いつつ、今日も相変わらず重たいお腹を抱えながら散歩しました。

ふうふう、もうちょっと軽くなるといいなあと思いながら、やっぱり美味しいものを食べちゃう私でした。


きーたぞーきたぞ

2021-03-14 14:21:32 | 日記

なんでか全くよくわかりませんが、あられちゃんのオープニングテーマがエンドレスで頭を駆け巡っています。

 

くうー、離脱がきましたよ。

サインバルタという薬の離脱症状、絶賛頭痛中です。

でも、もう副作用の方も怖いとわかってきたので、絶賛頭痛中を乗り越える努力に徹することにしました。

 

副作用がなくなってきた、というのは、自分の思考が明るくなってきたので、そしてこんがらないことが増えてきたので、よしよし!きたきた!と感じています。

そして、今後何しようか、わくわくしています。

妙にものさみしい時間というのが減ってきました。

 

不思議なんですけれども、意味もなくさみしいなと感じることがあるのです。

なんでさみしいのと自問自答してはみるものの、全くよくわからないのです。

ただ、それこそ「ああ無情」みたいに、突然、一方的に、忽然とさみしさにぼーっと立ち尽くしてしまうような、そんな気分です。

 

これが減ってきました。よしよし。

 

そして、この間にまたちょっと甲状腺ホルモンの値が悪くなっていたので薬が増えました。

そうしたところ、体調もよくなっていて、筋力もより一層ついてきた気がします。

薬に助けられつつ、薬に翻弄されることもありつつ。一歩一歩ですね。

 


ところで、更年期障害ってみんな経験するものだから、辛いっていうけど耐えるしかないよね、っていのはちょっと間違っていると思いますね。

ホルモンが動くって、ほんとにのっぴきならない現象ですよ!

なんら病気です。

これをみんな経験するですって?生物学的に女性という生き物が強いのは、こういう身体的な大変さを乗り越えていかないといけないからかもしれません。もちろん個人差ありますし、私の場合は病気が理由なので、かなりひっちゃかめっちゃかです。比べてはいけないのかもしれませんが、ホルモンが動くって尋常じゃない苦痛です。

ちなみに、私の場合は甲状腺ホルモンの値は正常値に入ってもずっとガタガタ動いていたらしいんですね。そのガタガタこそが病気の正体で、体調不良を引き起こし、倒れ込んだりするレベルになっちゃうこともありました。

つまりガタガタの大きい人は同じ更年期障害でもしんどさが尋常ではなくなる、ホルモンの値の変化の具合で、体調は大きく異なる、と、勝手に感じたのです。仮説的な。これだと個人差があることは当然かなと思います。

ちなみに正常値だからと言って1回の検査結果だけでは判断がつかないこともあるようです。あくまでガタガタの具合が対象なので。

今苦しんでいる方、声を大にしていいと思います!


女性ホルモン系なら婦人科ですが、そのほかは内分泌、精神科なども良いらしいです。成果はでないかもしれませんが、一度かかってみるのもいいかもしれないです。

少なくとも、結構辛いと思われている場合には、あんまり痩せ我慢して、みんな経験してきたことだからと抑圧しすぎないでほしいなあと勝手に思う次第です。


精神科薬も十把一絡げに怖いものではありませんが、こんな風に合う合わないがあるので、自分の気のせいだ、と思いすぎないでほしいなと思った次第です。 

どうぞ、ご自身をお大事になさってあげてください。


鼻うがいのすすめ

2021-03-13 10:53:08 | 広告

これから花粉症の季節ですから、より一層いろんな方のお役にたつに違いない商品がこちらです。

この鼻うがいキットは本当に役立っていて、我が家の必需品です。

もう「まわしもの!」と言われてもなんでもいいですから、

本当に騙されたと思って、ぜひとも使っていただけたらいいなと思っています。

 

 

出会いは耳鼻科にかかったときに、先生からご紹介いただいたものです。

鼻うがいは言わずもがなですが。花粉症や風邪などの対策にもとても効果的です。

加えまして、上咽頭炎という疾患に効果的です。

実は免疫疾患と疼痛の関係で「上咽頭」というところに炎症が起きていることがあります。ここを焼く治療というのがひと昔前は風邪の治療としても一般的に広く行われていたそうです。今はやってくださるクリニックも非常に少ないですが、私はこれはもったいないことだなと思います。

広く普及しなくなった理由のひとつに保険診療では無いことと、なんにせよものすごく痛いので、患者さんが嫌がるそうです。ちなみに、私もあれほど痛くて、逆に一般的な痛みを感じないレベルにまで強くなっていたのに、割と痛く感じましたので相当痛いのだと思います。

 

ところで、関節が痛くなるなどのリウマチの具合が悪くなると、私は鼻血を出します。理由は上咽頭に炎症を起こしているからです。往々にしてこの鼻うがいで気づくのです。免疫系になんらかの乱れがあるのだということを教えてくれるという意味で、私の具合を客観的に見る大変に重要なツールでもあります。

こんな側面からも、鼻うがいは有効です。

 

ともかくですね、そんな堅苦しいことは置いておいたとしましても、普通に鼻や喉の奥に付着した菌たちを洗い流すことができますので、まごうことなく!風邪予防になります。感染症対策としては非常に有効です。

 

1日3回は行うべし、と指導を受けていましたが、外出先でできるほどの勇気は私にもありませんので、朝晩の2回でも十分だと思います。

やらないよりよほど効果的だと思います。

子どももできます。子ども用も売られています。

 

我が娘は4歳の時には問題なくできましたし、耳に水が回って中耳炎などの心配も正しいやり方を覚えれば杞憂にすぎませんから、ぜひお子さんもやってみてはとオススメしたいです。

(小学生にもなれば、大人用を使っても全く問題ないです。)

 

ちなみに。

うがい風景は、最初は結構びっくりです。

「おぼれるようにする、うがい」が、正解のうがいの方法です。

ですので、鏡の前でおぼれる、という文章では理解し難い現象が洗面所やお風呂場で繰り広げられます。ここは羞恥心を一切合切捨てまして、思いっきり溺れましょう!そうなれば効果てきめんです。

「あー」と声に出したり、「はー」と息を出しながら行いますと、鼻から注入した水が口から出てきやすくなります。北の国からの「じゅーん」というモノマネをする、あの「じゅー」という息づかいがコツを掴むにはもってこいだと思います。

 

鼻うがいの水は、生理食塩水を使うことになります。真水ではめっちゃ痛くて、なんの拷問か!って感じになりますからね!

試してみることすらオススメしません!

最初は付属の塩を使って作ることをオススメしますが、費用もかさみますから、我が家では2リットルの空のペットボトルに塩水を作っています。

水2リットルに対して食塩18グラム。

ぬるま湯にするのが理想です。

 

私たちは最初こそ煮沸消毒したお湯をですね、などと大変几帳面にやっていましたが、今やもうどこ吹く風。

「やらないよりマシ」という、今や我が家の家訓になったような理念のもとで、普通のお水に塩を混ぜて作っています。

2リットル!?多くないですか?衛生面!というツッコミは真摯にお受けしたいところですが、2リットルくらい朝晩の鼻うがいで使い切ってしまいますので、そこまで衛生面で問題に感じたことはありません。空のペットボトルも1週間に1度ほどは変えていますが、もう少し長く使っても問題ないかなとは感じています。

冬だと常温でも十分冷たいので、少しぬるくすることは推奨されますが、冷たくてもそこまで不愉快ではありません。

何より大事なのは、塩分濃度です。

塩分濃度は濃い分にはまだ大丈夫ですが、薄いと痛いのでこれだけは要注意です。

塩は世間で売っているもののうち、あまりミネラルとかが豊富な高価な塩よりも、ザ・ナトリウムのような塩の方が向いているかなと個人的には思います。

 

この塩水作りは、我が家の塩水職人、パパの担当です。

塩のビンからペットボトルに、スプーン(娘の離乳食で使った小さなスプーンです)で7杯ほど、と勘のようなものに頼りながらもはや職人の域でサッと作り上げます。濃度に関してもこだわりがあるらしく、なんなら手出しをしてほしくない域になってきたそうなので、であるならばと私もすっかりお任せしている次第です。助かるー。

とはいえ、リフィルもきちんと販売されておりますので、載せさせてもらいます。

ちなみに我が家では時々買い替えていますが、そこに付属されてくるリフィルで作った時に「おお、こういう味なのか。勉強になるな。」と塩水職人は今もなお、学びを続けております。外泊する際、旅行の時などはこれはとても便利なので、我が家はストックしてありました。

 

ちょっとめんどくさいですけれども、花粉症対策、感染予防、免疫向上に役立つことうけあい!

是非ともおためしくださいませ。