goo blog サービス終了のお知らせ 

☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

知らぬ間につつじ・ふじが満開びっくり(*_*) ・紅白のボタン桜

2025年04月22日 | Weblog
今日卓球に行く途中にある公園のつつじの赤があまりに綺麗に咲いて満開です。
つつじの横にイチョウが数本植えられてだいぶ大きくなり、とても綺麗な新緑です。
登り坂が多いので、近くてもつい電動自転車に乗って卓球へ行ってます。

卓球の帰りにここに自転車を止めて、スマホをもって春を見て歩きました。



花冷えで桜が長く見れたせいか、急につつじや藤が満開なのに出会って慌てます。
計画的に作られた住宅地で自然を残した8か所かな?公園があります。
次の日に歩くと、の花が3か所で満開です。


上り坂が多くて歩くのに疲れるので、花の咲く緑道も花がこんなに満開に咲いているのに気が付きませんでした。

この3日前にたまに行くOKの店そばのボタン桜を久々にに行くと、
紅白の色のボタン桜を4本見つけました。
淡い白と薄ピンクのボタン桜はほんのり良い色合いです。
            

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庭のキヌサヤ・・東山ふれあい樹林

2025年04月17日 | Weblog
2鉢6本のきぬさやの苗を庭の中央の水のそばに植えていました。
急に暖かくなりあっという間に上に上に伸びて支えをつけました。
さらに成長して、花がどんどん咲きます。次に実もあっという間に成長です。
5日前に10個、一昨日に10個孫が収穫して持って帰りました。
そして今日は14個も大きいのが実ってます。2日前に孫と探したときは小さいのばかりだったのに。収穫の喜び\(^o^)/🙌。

  

東山ふれあい樹林に。ここには私の大好きな田舎の 川の景色があります。


12日に行くと大きな桜は散って。白色の桜並木は綺麗に咲いていたので良かった😀 。ボタン桜も満開です。

歩いているとアイリスシャガがもう咲いていてびっくりです。
桜の花が花冷えで長く咲いている間に他の花がもう咲いていて驚きです。
親子連れが大きな亀と遊んでいて、横を見るとミニ水族館と書いてあり入りました。ここの川の魚が見えました。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今田遊水地横の桜並木・まさかりが淵市民の森

2025年04月11日 | Weblog
8年前に遠い堺川遊水地まで電動自転車でこの自転車道路を走りました。
その時今田遊水地そばの道路に桜並木があり、自転車で通って両側が桜でとてもさわやかでした。
今回は遠いので今田遊水地に車を止めて、そこから自転車道路を探したらすぐそばに桜並木がありました。
自転車道路だけど沢山の人が桜を眺めながらゆっくり歩いています。
桜が大きく枝を向かい側まで伸ばして細いサイクリングロードの両側が桜に覆われています。




桜並木が終わった所に小さな公園にでました。さらに自転車道路に沿って歩く人達がいてその向こうに橋が見えました。
渡戸橋は境川左岸の泉区下飯田町と右岸の藤沢市高倉とを結ぶ木の橋で、歩道が横に付いています。素敵な橋。
この橋を渡ると堺川の対岸は土手で、のんびり先ほど通った桜を反対から見ながら歩き今田遊水地まで戻り車で帰りました。





次の日も天気だったので一人でサイクリングしてまさかりが淵市民の森と言う所に久しぶりに行って見ました。
まさかりが淵の伝説として語り継がれてきた滝と、その周辺の3カ所の広場があり散策路として遊べます。
滝は大きくないけど自然の中ですごく癒されますね。
歩いているとヤマザクラがそばにあり良い所です。たまに一人で出かけてみましたが道が良く分からずで景色を見て帰りました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スタンプラリーで乗り間違え・多摩川の桜

2025年04月04日 | Weblog
朝良いお天気。子供から孫の相鉄線のスタンプラリーに一緒に行くのお誘いのメールがあり行来ました。
相鉄線の西谷で乗り換えて新横浜で降りるつもりでした。

乗った電車のお隣の方が「これはJRで新横浜には行かないから、
次の羽沢横浜国大で降りて乗り換えてください」と教えてくれました。
相鉄の地図案内で西谷に来る電車は全部新横浜に行くと思って乗りましたが。 
このJR羽沢横浜国大から武蔵小杉の方に行きでした。
我々は羽沢横浜国大駅で乗り換えて、無事新横浜に着きました。ありがとうございます。

新横浜駅には何時もは地下鉄JRで行きます。
孫のスタンプラリーで初めて相鉄線に乗って新横浜へ、乗り慣れてない相鉄で大失敗です。


無事新横浜に降りて3箇所スタンプを押して、駅前で鳩達が足で立ってなくて、体ごと座っていて面白く撮りました。
次に京急線に乗り多摩川駅で降りスタンプです。

多摩川駅前はもう新緑の木々の見える景色です。田園調布せせらぎ公園でした。
図書館や体育施等がそろっていて春休みで沢山の家族連れがいました。
ここで子供家族と別れて、まづはせせらぎの公園を一回りして線路を渡り多摩川に出てみました。



子供に桜が咲いてる多摩川が見れると言われて、一人で気の向くままに知らない土地を歩いてみました。
多摩川台公園には桜が一杯咲いていて子供たちが遊んでいました。
上に出ると両側に桜が続いています。
下の多摩川を見ようとしたら桜の間に電車が走っています。電車大好きの孫の為に電車を撮りましたが、中々上手く撮れません。


今年は花冷えで長く満開の状態で咲いています。色々な種類の桜が一緒に満開状態で綺麗でした。珍しく9000歩を超えてました。帰ったらおお疲れです。

沢山のヒカゲツツジ?咲いていました。お洒落な感じのつつじですね。
電車撮りと一緒に多摩川の大きさも改めて見ました。
帰りは多摩川駅から乗り換え無しで40分で着きました。

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

開花から、あっという間に満開になりビックリです

2025年04月01日 | Weblog
ニュース開花宣言から満開になるまで10日間は掛かるのに、
今年は開花宣言の後の夏のようなあつさが続いて3~5日の速さで満開になっているそうです。
開花したと思ったらすぐ満開になりました。

今日はお天気なので電動自転車で近場の桜を見て回りました。
矢部公園では遊具が桜に覆われて良いですね。池のそばにはピンクの桜が咲いていて目を引きました。

この公園には色々な種類の桜があり、まだ小さいけど枝垂桜かな?素敵で目が留まりました。

次に泉中央公園に行くと桜が満開で、春休みの親子連れがお昼のランチです。

ピンクの桜もあり、ソメイヨシノと一緒に撮ると素敵に写ります。
直ぐ横に菜の花やチューリップやヒヤシンスが植えられていて、この公園に来た時は見るのがうれしいです。
     

桜咲く時に良く行く中の宮左馬神社の大きな白い桜が綺麗に咲いていました。
この桜は少し早く咲くのでこんなに満開の時に見れたのは初めてです。
神社の入り口上がった所にはピンクの桜も一緒に咲いて綺麗でした。

 
イトーヨーカドーそばの小さな公園に濃いピンクと薄ピンクの桜が同じ木に咲いて目を引きました。 


帰りに夫とかごの屋で遅いお昼のランチです。春らしいメニューですね。
                   花粉症ですが、飲み薬が効きだしたのか、1日外にいたけど軽く済みました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

荻窪そばの荻外荘(てきがいそう)公園散策

2025年03月27日 | Weblog
久々の孫の居る東京へ。お昼を食べると孫たちはサッカーや部活へ。子供の成長は早いですね。
よって子供夫婦と大人4人で昨年末から公開された荻窪の閑静な住宅街にある荻外荘行きました。
下の芝生公園側から見ると大きな木が沢山あり歴史を感じます。
       
 
家の玄関前の大きな木はモクレンなくて、少し遅く咲くこぶし満開でした。
横に馬酔木が咲いてビックリ。この暖かさであっという間に色々な種類の花が一遍に咲きだしました。
家の中のガラス戸越しから見える景色は広く緑に覆われています。
荻窪一帯は空襲に遭わず、荻外荘も戦災を免れました。
2012年に荻外荘は近衛文麿の次男近衛通隆が死去で、杉並区が荻外荘を買い取り整備しました。


荻外荘は政治家の近衞文麿1937年第1次内閣期から第3次内閣そして1945年12月自決に至る期間住んでいた家です。
1940年7月19日に荻窪会談を初め、第二次世界大戦政治の転換点となる重要な会議を数多く行われた場所です。


玄関から入って、廊下は真直ぐ長くてとてもおしゃれで素敵でした。
その奥の応接室で、螺鈿の豪華な机と椅子に目がゆきました。
この部屋の床のタイルには龍の浮彫がデザインされていて、天井も竜の絵が描かれていて豪華です。
 
重要な会談が行われたのがこの客間です。東条英機も交えて話し合われ、
陸軍大臣だった東条は中国からの撤兵を頑なに拒否し、近衛内閣は総辞職して東条が内閣総理大臣となって日米開戦へと。
私は歴史的事実を全く知らずで、戦争前後の事を知りました。
荻外荘は、1927年に建築家の伊東忠太で、入澤達吉の別邸でとして建てられ、1937年に入澤より譲り受けた近衞文麿が移り住みました。

杉並区「グリーンスローモビリティ」は、時速20km未満で公道を走ることができる電動車を活用した小さな移動サービスです。
1周約2.5kmの路線で、荻外荘公園のバス停です。満員んで中々乗れないようです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弘明寺散策

2025年03月23日 | Weblog
横浜に来てもう38年もたちます。弘明寺近いのに初めて行くお寺です。
地下鉄の踊り場駅で待ち合わせて地下鉄弘明寺駅で降りて散策しました。
駅前の横浜大学付属中学校淡いピンク色の大寒桜が満開でびっくりしました。
8本以上あり、沢山の大寒桜に皆とまって眺めて写真を撮っていました。
名前の通り3月の初旬に咲くのが、今年は梅や河津桜の同じで遅れて咲いてくれて満開に出会えました。
この学校の前の道路は鎌倉道で石碑がたっています。
この鎌倉道の横浜市電が1968年9月に廃止となり、弘明寺電停と同じ位置に横浜市営地下鉄弘明寺駅が開業したそうです。
そして道路の向こうに弘明寺かんのん通り商店街が見えました。
地図で見ると商店街の中に大岡川が流れていて両側に桜があります。来週あたりが桜見ですね。

商店街の店を見ながら歩いて行くと、正面に弘明寺が見えました。
このお寺は737年に行基が観音像を刻んで一宇を建立したと伝えられ、戦国時代は北条早雲から寺領を、
江戸時代には歴代将軍から朱印地を賜り坂東三十三観音の十四番札所として信仰を集めたそうです。 
明治に廃仏毀釈により公有地化で譲渡し、京浜急行の弘明寺駅が開業したりでかつての2割の広さになりました。
ここにはピンクの濃い色のおかめ桜が1本咲いていました。


神社の向こう側に京急の弘明寺駅があり、線路を渡って西側の丘陵に弘明寺公園があります。園内には散策路や遊具広場が整備されています。
一番上に展望台があり、上がると広い景色が見え、夜景が綺麗だそうです。


結構アップダウンがあり良い散歩になりました。
また線路を渡り弘明寺商店街に戻り、直ぐの店でお昼を食べました。
この近くの人らしい方が「ここのハンバーグは美味しいのよと」言われて。
その後昔の金物屋さんが閉店セールをしていて、草抜きを2割引きで買いました。昔からの店が無くなるのは寂しいですね。
  
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そばの河津桜も庭の梅も、昨年より15日遅く咲いたようです。

2025年03月15日 | Weblog
2月28日に家の庭の梅の蕾が膨らんで何時咲くかなと待っていると、
次の日3月1日に暖かくなってわが家の梅が、そして近くの河津桜も一緒に咲きました。
次の日には、両方とも沢山花が開きました。しかし次の日は雨から少しの雪で寒い冬に戻り花達もびっくりです。
横浜開港150周年記念の一環で2009年に20本ほどの河津桜を2か所に分けて植えられました。
そばの西が丘地区にも河津桜が一緒に植えられて、今みんな満開です。

河津桜は植えられて16年経ち大きくなり、可愛いピンクの花の色が良いなと思います。
      

10日ぐらい後に西が丘地区の緑道を見ると河津の桜が寒さが続いてまだ綺麗に咲いていいます。
その横にビックリな事にサンシュの黄色の花が満開で咲いて、横に雪柳の大きな垣根にも白い可愛い花が咲き始めています。

庭には小さな昔植えて、毎年咲く雪柳があちこちに小さな花を咲かせています。うれしいね。

 

昨日19日にそばのお菓子屋さんに行くと、隣のとても大きなモクレンが満開でビックリでした。花びら餅を買って食べました。
  
お祝いに渡せるように袋に詰めたフラワーアレンジメントです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪が降り、いつもの素敵な雪の富士山に 山中湖・河口湖・新倉富士浅間神社

2025年03月14日 | Weblog
子供が孫に雪遊びをさせたくてよく御殿場からこどもの国へ行ってます。
今回6人乗りの子供の自動車に乗せてもらって、富士山の傍まで行けました。
前日に雪降って、行くのかなと心配してましたが、次の日は快晴で出発です。
前日の雪の為、山中湖近くまで行くと路肩には雪が一杯ありました。いつもは雪が無いそうです。
快晴で雪が降ったのでやっといつもの雪の富士山になり綺麗に見えました。良かったです。
キララの原っぱは雪で一杯でしたが、意外と子供が少なくて自由に雪だるまを広い原っぱで作っていました。フクジュソウが雪の中に咲いています。

  

誰かが作った雪だるまさん2体が\(^o^)/してました。
子供家族は雪だるまを作ってましたが、大きくなり重たすぎて上に乗せられず、並んでいます。
孫は雪でボールを作るプラスチックを持って来て、顔の目や歯に。
これは100均で買ったかと思ったら1800円もしたと言います。
この雪の重たさと固さだと100均ではすぐ壊れてしまいますね。

  

お昼に真っ白な建物の「ほうとう不動 東恋路店」 入りました。富士山にかかる雲をモチーフに作られているそうです。
一人づつ鉄板の上にほうとうの鉄鍋が乗りました。
熱くて量もあり美味しかったです。お腹がいっぱいです。


次に河口湖に行き、富士山を見ながら池の周りを1周しました。この時が雲が一番少なくて富士山の山頂まで綺麗に見えました。
川口湖沿いにパン屋さんがあり美味しいパンを買いました。
その後に道路沿いに走って信号機を見てビックリしました。どの信号機にも可愛い富士山が付いています。いいねえ。

 
次に新倉富士浅間神社へ行きました。富士山が目の前に見える神社でテレビにもよく出ていて外国の観光客が多い神社です。
最初の階段から予備に持ってきた杖を出して登りました。
階段は登っても登っても続いていて、途中子供が横に上り坂で車でも通れる道がある事を教えてくれましたが階段で登っていました。
半分ぐらい行くと疲れて来て、私が足の悪いのが分かるのか、外国の家族連れのお母さんが横の道の方が楽だからこちらから行きましょうと声をかけてきました。
そこからは階段を止めて、上り坂の急な坂道を歩きました。
やっと着くと沢山の人が神社と富士山を見て景色を写真に。
 
子供はこんなに階段があると思わず計画したようです。
やっと上の神社前に着きました。良い景色が見れて私は大満足です😃

着いた途端の1歩目で気が緩んで転んでしまい失敗です😚
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20度近く 材木座海岸の海を見に・ワカメ・光明寺

2025年03月02日 | Weblog
春の海が見たいと言う事で出発。
鎌倉の海までは歩いて行く範囲でしたが、昨年あたりから出かけるときは近場までバスがあるかどうかを探すようになりました。
横浜に着て38年に、我々も70歳を超えて体力が落ちてるなと思います。
今回は材木座海岸でバスを降りて海に出ました。気温は18度で温かく春の海です。
お昼はパソコンで調べた「キコリ食堂」、テラス席で海を見ながら食べる予定でした。



2時からの貸し切りの為、テラス席は12時半までに来たお客さんしか入れず残念。
部屋の中は広くてテラス席に出れないせいか満員でした。
料理はおしゃれな切り株の台に乗せて出てきました。
柔らかい豚肉の塊と魚の塊と野菜がゴロゴロと入って美味しい味噌汁でした。


食後、前の砂のトンネルを通って海に出ました。何か入ったビニール袋を持った何人かの人とすれ違いました。
丁度そばに来た人から【わかめ要る?】と聞かれて、一房もらいました。
朝打ち上げられているわかめを拾ってたそうです。
別れてから私も打ち上げられているワカメはあるかなと思って探しました。
ちぎれた小さいのはあちこちにありましたが、頂いた大きいのはありませんでした。
家に帰って、言われた通り良く洗ってお湯で茹でました。茹でるとワカメがいつも使う黒いワカメになりました\(^o^)/。

海を見た後そばの光明寺に行きました。
総門から入ると目の前に立派な山門がありました。
京都で山門を見てきたばかりですが、立派な山門です。
現在の山門は、1847年に再建されたもので、前はもっと大きかったようです。
中に入ると本殿は改装中で、横に立派な鐘楼がありました。
 

帰りは九品寺(くほんじ)を見学して前のバス停から鎌倉駅で帰りました。
新田義貞が鎌倉攻めの時の本陣をかまえた場所で、北条方の戦死者の霊を慰めるため1337年に建立したといわれてます。

 
鎌倉に着いて、鎌倉駅前にあるいつも何か花が色々咲いてる大巧寺に寄りました。
目を引いたのが半蔓性の黄梅が大きな石の上につたが伸びて咲いていました。
椿は色々咲いていましたが、門の前に京唐子と言う名前の素敵な花びらに模様の入った椿に引かれました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都5⃣ お好み焼き・東福寺の紅葉の名所の臥雲橋と通天橋と庭

2025年02月24日 | Weblog
荷物を預けていたので、お昼に京都風のラーメンが美味しい店まで歩いて行くと宴会で満席でした。
子供が近くで店を探したらお好み焼き屋さんがあり、細い路地を通って中に入ると、
私が50年ぐらい昔に食べに行った時代のお好み焼き屋さんが、そのまま目の前にありました。
店は満員でしたが、丁度隣が空いて食べる席を変えてくれました。
ほぼ焼いた状態で持って来てくれて、ソースが2種類をぬって、そこに鰹節と青のりをかけて食べました。皆で焼いて食べて面白かったです。
 


お昼を食べた後、東福寺を目指して、そばの東海道の陸橋を渡りました。
学校の間を通って、沢山の東福寺の塔頭が並ぶ緑多い良い道を歩きました。
歩いていると素敵な魅力的な姿の橋が目の前にあり、ここを通って東福寺に行きます。
  

橋に一歩入ると、あまりの景色のすごさにビックリしました。橋の名前は臥雲橋です。
東福寺内を流れる渓流洗玉澗入り口付近で一番下にある橋で、東福寺境内と一般道を分け隔てる境界沿いに位置する橋です。
この橋から下に洗玉澗の渓谷が見えて、向こうには東福寺の通天橋 が見えました。
東福寺にはこの渓谷を渡るために、もう1つの偃月橋を入れて 3個の橋があります。
紅葉の時期は素晴らしく何十万の観光客が。今は新緑もなく寂しい時期にきましたが、のんびりと素晴らしい景色と建物を見れました。


東福寺は禅寺で今なお25か寺の塔頭を有する大寺院です。
庭園は近代の造園家重森三玲によって1939年に作庭され、方丈を囲んで四方に配され、八相の庭と命名されています。

南庭、西庭は市松模様にさつきの花が、北庭にはウマスギゴケに市松模様の敷石との対比が綺麗でした。



東福寺からタクシーで京都駅に着き、荷物を子供と孫が取りに行ってくれて楽しました。
我々はジパングクラブでゆっくりひかり号に乗って横浜に帰るので、ここで子供家族とは別れました。何回か一緒に旅出来てありがとうと思います。
横浜に夕方着いて、毎年節分の日に海苔巻きを作るけど、今日は駅で海苔巻きや寿司を食べて帰りました。
 
東福寺の山門側が開いていて素敵なモニュメントが並んでいて、みんなが写真を撮っていました。これはなんでしょうか?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都4⃣ 建仁寺・2月2日は節分三十三間堂で豆1個頂きました

2025年02月24日 | Weblog
京町屋の2泊した宿を出て、歩いて3分の所にある建仁寺の門を荷物を持って入りました。
この寺は栄西鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を得て、元号を寺号とし建仁2年(1202年)、
京都の臨済宗の拠点として建立されました。 開基は源頼家、開山は栄西です
まだ早い時間で開いてなく中は見れませんでしたが、庭と建物を見学しました。
京都の豪商打它公軌(糸屋十右衛門)が建仁寺の為に、俵屋宗達に製作を依頼した風神雷神図 の国宝の複製画見れたようです。残念。


ここからタクシーですぐ次の目的地の京都駅そばの三十三間堂に着きました。
私は65年ぶり、戦国時代の戦いの時の血で染まった板を天井に貼ってある血天井の話を何故か10歳前の私は覚えています。
パソコンで調べると、三十三間堂前にある養源院血天井がありました

京都駅のそばだから法事の後に65年前に皆でこの寺院に見学したのかな?
父の兄弟等がいて面白く話していた記憶があります。

この時の事を聞ける人はもう誰もこの世に居ません。10歳の私はもう70代です。
この血天井は関ヶ原の戦いの前哨戦ともなる伏見桃山城での決死の攻防を物語る記念に血天井として飾られているそうです。
ここには俵屋宗達の杉戸絵や襖絵もあり、次回京都に来るときはこの神社に寄りたいと思います。左の写真は血天井の看板はパソコンからの写真です。


三十三間堂の名前の由来は、東方向を向いて南北に長い本堂の柱の数、間数が33あるところから呼ばれるようになったそうです。
三十三間堂は天台宗の寺院で本尊は千手観音。建物の正式名称は蓮華王院本堂です。
中の景色は撮れないので、買ったパンフレッドの写真を写して載せました。


千手観音像が1,001体と守護像が28体と風神雷神像があり、合わせ1,032体です。
千手観音には40本の手があり、それぞれ25の救いの働きがあって40×25=1000は「千」の数の救いがあるそうです。

大きな千手千眼観自在菩薩は三十三間堂のご本尊、檜寄木造りの観音さまで高さは約330㎝もあります。1254年運慶の長男の湛慶の作。
この大きな菩薩様の前での読経が終わってたくさんのお坊様たちがぞろぞろ帰られると思ったら手に持った箱から豆が皆の方にまきました。
ビックリして慌てて落ちたのを探して1個見つけました。
あっという間の事で皆の分をと下を探しましたが何にも無しでした。
子供家族もどこにいるか分からず、後で聞いたら全く知らなかったと残念がりました。この日は2月2日で節分でした。
ラッキーな私は足腰が運動不足で弱った来ているので、あと10年は旅に行ける健康をと、その場でお祈りして頂きました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都4⃣ 知恩院の三門は大きくて素晴らしい

2025年02月16日 | Weblog
高台寺を出て丸山公園を通り知恩院に入り山門を見ました。あまりの大きさに驚きました。 
前のキッチンカーで甘いサツマイモを食べて休憩です。 

一般的には山門と書きますが、知恩院では三門と書き日本三大山門の一つです。(他は南禅寺・身延山)
山門は寺院の入口であり、人々を迎え入れる役割を果たします。
三門は本堂への通路の入り口で、より格式の高い寺院に設置され

三門の階段は下から見て急階段です。手すりも無いので足の悪い私には上るのが危なそうです。
帰ってから調べたら、三門の階段は男坂と言い、簡単に攻めあがれないように一段が高い急階段の石段でした。
下から見て登れそうにないので階段の下を通り過ぎて歩いたら、横に楽な坂道を見つけて登りました。
これは後から作られた女坂でした。なだらかな坂道を上がった所の横が三門で行ってみました。 
とても大きな門で、門が持っている風格に圧倒されました。前を見ると景色は素晴らしく、後ろはまだ男坂の階段が続いています。

  後ろ側

階段を上がり切った所の前に立派な御影堂がありましたりました。その周りにも立派な建物が並んでいます。
京都の建物にはな回廊が多くて、素晴らしい景色になっています。

方丈庭園の門から庭に入りました。江戸時代初め小堀遠州と縁のある僧玉淵が作庭した庭園と言われてます。
 

拝観料にもう一つの庭の友禅苑を見る券もついていました。探すと女坂のそばにあり入りました。
友禅の技法を開発した宮崎友禅の生誕300周年を記念して作庭された昭和時代を代表する庭園だそうです。

まった町屋を探している時に井伊美術館(武具、甲冑 の専門美術館)名前を、見つけました。  
 
江戸時代の町家を、井伊達夫氏により武家屋敷風に改修した美術館だそうです。
この町屋の中の奥にひっそり静かにある美術館です。チョット入って甲冑を見たくなりました。

夕食は泊まった京町屋の宿で一緒に食事です。6人用の大きな鍋とコンロが用意してありました。
孫たちが野菜を切ったりのお手伝い。
夕食は温かいお鍋と、買ってきたいろいろな京都おばんざい、稲荷ず等のごはんで楽し夕食になりました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春 マンサクの花 梅とメジロ

2025年02月16日 | Weblog
1週間前に散歩仲間から緑道でマンサクの花が咲いているよとラインが来ました。
マンサクが見たくてその日の夕方寒いけど10分ほど歩いてマンサクの黄色の花に出会いました。
ラインには、さらに10分ほど歩くとシナマンサクの花もさいていたよと書かれています。
10分歩いて見つけましたシナマンサクの花を。初めて見ました。少しくすんだえんじ色で、形はマンサクと同じです。
    
バレンタインチョコの為に小学生の孫と娘とで近くに住む爺にも作って持ってきました。
耳と尻尾とおなかはチョコお菓子を買って、チョコレートでコーテイングです。
あんまりかわいいのにびっくりです。 

横浜球場の周りの横浜公園の中の一角の日本庭園にピンク色の花があり、引き寄せられて行きました。1本早咲きの可愛い梅が満開です。
近寄って撮っているとメジロが2匹来ました。メジロはじっとしていなくて中々撮れませんが、やっと撮れました。
こんなに近くでメジロが撮れるなんて、さらにウメの花の中でラッキーでした。


  

横浜県民ホールは老朽化が原因で2025年3月末で休館で建て替えるらしいです。
ここの6階の英一番館のからは、眼下に山下公園が広がる絶景で ランチを窓側の席で予約して行きました。
ランチはこの店の看板商品ビーフシチューセットで頂きました。お肉は柔らかくトロトロでした。


この辺りは中華街がそばにあり春節祭のオブジェがあちこちにありました。
山下公園の一角で大道芸もやっていて久しぶりにゆっくり見ました。
このお兄ちゃんは7個でお手玉をやっていました。
片方に火がついた棒を7本ぐらい持ってお手玉みたいになげあっています。


晴れて良かったです。関内駅そばの珈琲店でミルフィーユと珈琲を飲んでたくさんお喋りして帰りました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都3⃣ 高台寺

2025年02月08日 | Weblog
高台寺北政所・ねねが秀吉の冥福を祈るために徳川家康の財政支援を得て1606年に建立したお寺です。
高台寺の西側で円山公園から清水寺へ抜ける全長約250mの美しい石畳の道がねねの道と名付けられています。
  
        

ねねの道途中に上に登る細い階段の道を台所坂と言い、ここはねねが実際に秀吉の墓所へ参拝する際に使った道と言われています。

 台所坂を上った門に台所門と書いてありました。
     

拝観料を払って境内を進むと、左手に遺芳庵(いほうあん)があります。
遺芳庵を抜けてさらに境内を進むと素敵な回廊が見えました。反対に回るとさらに建物の向こう側に回廊が続いてます。
建物は重要文化財の観月台です。伏見城の遺構を移設して、ねねがその晩年、秀吉に想いを馳せて月を眺めたと伝えられています。



下の写真の左側の高台寺方丈が改装中で、中門を通って中に入ると高台寺庭園が広がっています。
      

庭園全体が小堀遠州の代表作の『池泉回遊式庭園』で、臥龍池偃月池の2つの池が配置されています。
庭園の東西に配された池の中央の建物が重要文化財で1605年の開山堂です。 開山堂の天井には秀吉の御座舟の天井と、ねねの御所車の天井を用いられ、その天井に狩野山楽の龍図が広がっています。
開山堂から向かって左側に延びている回廊が臥龍廊で,全長は約60メートルあり屋根が龍の背に似ていることからこの名が付きました。
回廊の先は境内の一番高い場所に建つ霊屋(みたまや)で北政所の墓所です。
この門の中の霊屋は赤、金の建物でびっくりしました。ねねは秀吉好みにしたのかなと思いました。
 

その後に方丈に上がって庭を見て、改装中で中が見れず残念でがありましたす。
ねねが高台寺を建てるときの鎮守社で1606年に創建した高台寺天満宮がありました。
そしてまたねねの道に出て、寒いので温かいお汁粉を食べて休憩です。
足が痛くなり、持ってきた杖で歩くのに助かりました。
     
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする