北野天満宮の門をくぐると青もみじと宝刀展の宣伝の旗がなびいていて、せっかく京都まで来たから入ってみました。
涼やかな御土居の青もみじの美しさに大感動しました。
境内の西側に豊臣秀吉の頃、洛中と洛外の境界線として築いた御土居が残り史跡になっています。
この御土居一帯にもみじが250本、樹齢が350年から400年に及ぶものもあるそうです。
かつて紙すきの場でもあった紙屋川沿いの細い道沿いが青もみじで覆われて、歩きながらゆっくり楽しみました。
初夏の青もみじがこんなに美しい物と初めて知りました。
紙屋川にかかる朱塗りの太鼓橋の名前は「鶯橋」てホーホケキョの美し声も一緒に楽しめました。
青という漢字の後にひらがなでもみじと書いてあるのが良いです。秋の紅葉はお茶も出るそうです。
北野天満宮は菅原道真を祀った神社です。
道真公の下記の歌のようにこの神社は梅と紅葉で有名だそうです。
東風(こち)吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
このたびは ぬさもとりあへず 手向山 もみぢのにしき 神のまにまに
神社内に牛の像があちこちに見えました。道真公が生まれた年と亡くなった年が丑年と言うことのようです。
この後仁和寺に遅咲きの御室桜を見に行きましたが、終わっていました。
49日の法要の日に京都に来て、桜を追って京都の春を楽しめました。
今週朝日新聞に桜についての記事がとても面白く、下記に要約を載せました。
「江戸時代は100種ぐらいの色々な桜が咲いていたようです。
その桜の中で「太白」と言う桜は一度は日本では消滅して、
イギリス人で日本のたくさんの種類の桜に感動して1902年にたくさんの種類の桜をを購入して
持って帰ったイギリス人イングラムの家に残っていたそうです。
19年後その接ぎ木を何度もイギリスから送ったけど失敗で、
赤道を通らないシベリア鉄道で送ってやっと日本に枯れずに届き増やしたと言う話が載っていました。
その桜を増やし維持していたのが、京都の嵯峨野の里で桜守りで知られる佐野藤右衛門さんの家です。
多種多様な桜を今に伝えてきた家です。
戦争中は近くの結核療養所に50~ 60種の桜を秘密に移し守ったそうです。
流行りの染井吉野は大量消費の木と呼ぶそうで、大量に植えて短期で大量に切るそうです。
だから近年は染井吉野以外の桜を植樹するケースもあるそうです。」
京都二日目の4月18日、何処に行こうかしらと迷いました。
昨日桜を見に原田苑に行った時に、そこから遠くない平野神社にも遅咲きの桜が有ると聞いていました。
持っていた旅の本に千本釈迦堂、平野神社、北野天満宮のコースがあり、遅咲きの桜を追いかけて歩く事にしました。
千本今出川でバスを降りると目の前に子供の頃毎年見ていた左大文字の山がありました。うれしいね。
千本釈迦堂の大報恩寺は800年近く経った今も当時のまま残る京都市内(京洛)最古の木造建造物として国宝に指定されています。
境内にある「おかめ塚」は縁結び、夫婦円満、子授り にご利益があると言われています。
おかめさんは本堂建築で棟梁を務めた大工「長井飛騨守高次」の妻で、全国のおかめ信仰につながっているそうです。
おかめ塚の横に阿亀桜がありました。花は綺麗に散って何も残っていませんが、とても大きな立派な枝垂れ桜と思いました。
我々が行った時には初めて見る普賢象桜がとても可愛いく満開に咲いていました。
この桜は花の中心からみどりの葉が2本伸び、普賢象菩薩の乗る象の牙のように見えることから名づけられたそうです。
その後平野神社に行きました。
「平野造」とも称される独特の形式の造りで、国の重要文化財に指定されています。
ただ建物がチョット傷んでいる風です。もうすぐ補修があるのかな?
平野神社には原木の桜など珍種も多く、その種類は約50種類。
円山公園の枝垂桜の祖の桜も含め、境内全域では約400本の桜がありそうです。
桜の名前が一つづつ付いていて、帰って調べる時に役にたちました。
18日の今日は、遅咲きのいろいろな種類桜が咲いてい充分楽しめました。平野神社に来て良かったね。
神社の方が、平野の名前の桜はこの神社が原種ですと言われました。
突羽根桜はやっと咲き始めて、まだ蕾の花もありました。
京都は色々な種類の桜が咲いいるのですね。桜は染井吉野だけではないと言う事を知りました。
関東も江戸時代には100種の桜が色々咲いていたようですから、またそういう風になってゆくと良いなと思います。
我家の横の池の片側に河津の桜が10本ぐらい植わったのもそういう事でしょうか。
桜を追いかけて京都を歩いて本当に良かったと思いました。
子供の頃下鴨にある祖母の家に京都駅から行くのがとても遠く思っていました。
しかし続けて京都に来てみて、思っているより京都は小さい町だと感じます。
京町家らしさが少なくなって、普通の建物が多くなっています。
京都をこんな町んしたいというビジョンを持って、家を立てるときには今よりもう少し規制を入れて、
良い京都の風情を残せないものかと思いましたが。
しかしこうやって住んでいる人によって変わって行く事も町の活性化かな。
原谷苑から帰って、ホテルで一服して烏丸御池で待ち合わせて夕食を食べに出ました。
まず錦市場に行きましたが 夜は早く店じまいのようでした。
新京極、そして高瀬川の夜の京都を歩きました。
高瀬川沿いにひらがなの「かみやはし」と書いてあり、横を見ると紙屋橋でした。
次の日に行った北天満宮の中に流れる川も紙屋川でした。京都は紙に関する名前が多いのかと思いました。
高瀬川から一筋奥にある先斗町に入ると石畳の細い道で両側に格子戸風の飲食店が軒を連ねていました。
その中のすいしんと言う店に入りました。
日本酒
素敵な器に日本酒が入ってきました。お昼あれだけ食べて飲んだのに。
でもやはり京都の料理と思い一番少ない夕食のセットを頼みました。
ゆっくり食事が出てくるのでいつの間にか遅い時間になりました。
どうやって帰ろうかと思ったいたら、お店の人に3条通りを歩けば15分で着きますよと言われ歩きました。
お腹がいっぱいなので15分があっという間に経ちホテルに着いていました。
部屋に着くと11時で、朝5時起きでドット疲れが出ました。
60才中半になり急に体の元気が減って来たと思います。
17日に母の49日の法要が京都妙満寺でありました。
会食が終わると3時半でしたが、空は青く晴れていたので原谷苑の遅咲きの桜を見に行く事にしました。
15日の原谷苑のブログを見ると枝垂れ桜はまだ満開で料金は1500円と書いてありました。
4時半までが受付なので、黒服の姿のままで荷物を持ってタクシーで行きました。
着くと16日から入園料が1000円に値下げされていてびっくりしました。
値下げとは? 花の見頃が過ぎたのかな?
ショックでしたけどまだ見れると思い荷物を預けて入園しました。
我々4人は黒の服とハイヒールで、チョット恥ずかしくもあり、ちょっとおかしい気分で野山を歩きました。
原谷苑は4000坪の個人所有の枝垂れ桜の名所で、今の時期だけ有料で開放しているそうです。
本当にたくさんの枝垂れ桜が空一面をおおっているように咲いていました。
もう少し早ければもっと素晴らしかったと思います。
渡辺淳一の小説「化粧」のロケ地になった所で、3人姉妹が桜の下で艶やかな着物姿だったと妹が言いました。我々の姿は!!
鎌倉の大巧寺の私が好きな花の利休梅がここでは剪定されず自由に大きくなって白色の素敵な花で満開でした。
利休梅
他に遅咲きの桜やその他の花がイッパイ咲いていました。
写真はありませんが、コデマリの更に小さくしたような可愛いらしい花があり、名前がしじみでした。
思い切って行って良かったです。桜に囲まれた空間でした。
桜は花があっという間に落ちるから明日はもっと値下げしていたかな?
実家のある豊橋には新幹線で横浜の次の停車駅が豊橋のひかりをいつも利用しています。
やっと夫も65歳を超えてジパングクラブに入り、二人共に3割引きで行けて良いねと思っていたところでした。
ところが、今回母の49日の法要は京都のお寺で11時の予定でした。
ジパングクラブはひかりとこだまだけの利用で、25分早く京都に着くのぞみには乗れません。
朝早いから間に合うか心配でしたが、家までタクシーを呼んでひかりにやっと間に合って行けました。
妙満寺さんでの法要の後、お昼の会食の前に子供と少し本堂の素敵な庭を見に寄りました。
本堂に入ると姪っ子が御朱印を書いてもらっていて、私も御朱印をもらう事を思い出しました。
しかしお昼の会食まで時間が無くて、御朱印帳が入っている荷物の置いてある塔頭まで戻れず、次回に御朱印をもらう事にしました。残念。
昨年97歳で亡くなった京都出身の父は、学生時代に京都周辺の神社でたくさん御朱印を集めたと言っていました。
お昼は宝ヶ池ゆば泉で、御住職や親類が集まりお喋りしながら2時間半ぐらい色々な豆腐料理等を食べました。
半年の間に続けて90才中半の両親が逝きました。
こうやって子供夫婦や更に孫達、更にひ孫も揃って食事会が何度か行われて、良い交流があったなと思います。
子供の引っ越しのお手伝いに電車に乗って行きました。
子供の家のそばの公園の桜があまりに綺麗だったので立ち寄りました。
花吹雪の下の土がピンク色の花びらで覆われていました。
高校生かな? 写真部かな? 3人の女の子達がお喋りしながら、一眼レフのカメラで桜や自分たちを写していました。良いね。
ほぼ荷造りが出来た後、引っ越し屋さんがくる前に傍の中華屋さんへ行きました。
2年前にここへ引っ越してきた時も行った店です。
その時に美味しかった氷花餃子とこの店の売りのチョマーメンを注文しました。
このチョマーメンはミシュランガイドにも乗った事があるとの宣伝の冊子が注文書についていました。
10種類の薬膳調味料を使い秘伝の技術で煮込んだそうです。野菜いっぱいで見た目より辛くなくてもちもち麺のラーメンでした。
どちらも美味しくてお腹がいっぱいになりました。
引越し屋さんが荷物を積んで出発した後、子供の車で次の目的地に向かいました。
道中の高速道路の両側の桜が綺麗でした。
次の家に着いて引っ越しの荷物入れをしている間、私は用が無いので近くを少し歩いてみました。
川沿いには桜が半分散っていました。1本真っ赤な桜がありました。
その後、家族連れがある神社の階段を登っていたので、私も登ってみました。
夕闇迫る街が下に見えて素敵でした。
夫や近くにいる子供家族と一緒に引っ越しの荷物を片付けて、夕食は皆でカレー屋さんに行きました。
ナンにも色々種類があることをこの店で初めて知りました。
私はチーズの入ったナンが付く、レディースセットを頼みました。
これにマンゴーラッシーと、鶏肉のハーブ焼きかな?とアイスクリームが付きまました。
チーズのナンは初めてで、とても美味しかったです。
忙しくて疲れているはずなのに、お昼も夜もボリュームのある食事だったので、しっかり体重が増えていて残念です。
花がイッパイ咲く良い季節です。あちこちに満開の桜が目に入ってきてうれしいです。
今日は鎌倉で待ち合わせて桜とお店を見て歩きました。
桜の季節はいつも駅そばの大巧寺(だいぎょうじ)で椿や利休梅を見て、比企谷(ひきがやつ)にある妙本寺へ行きます。
何時もは蕾のムベが今日は咲いていました。初めて花を見ました。
利休梅 むべ 妙本寺
門を通って階段を上がると桜と本堂が見えて来ました。
その奥に桜と海棠が競って咲いていました。
一番奥の祖師堂に上がって座ってのんびり海棠と桜と新緑を見るのが大好きな一時です。
昨年は太い木にカンナを掛けて字を削っているのを見ました。
今年は字を書いて表面の墨の濡れている所を拭いているようです。立っているおぼうさんが字を書いたようです。
その後鶴岡八幡宮の段葛を見ました。
古くなっていた段葛を綺麗にして新しい桜が植られていました。
満開が過ぎて葉が沢山出ています。まだまだ若い桜の木です。
鶴岡八幡宮の源平池に桜吹雪が散ってのどかな景色でした。売店の綺麗に咲いた牡丹です。
それから予約していたランズカマクラ“Rans kamakura”で ランチ。
鎌倉野菜を使ったイタリアンの店で、最初に出た野菜サラダは大きめのお皿にたっぷりの量でした。
私の釜揚げしらすと今日の鎌倉野菜のフェデリーニ白ワイン風味のスパゲティは本当に美味しかったです。
パンもたっぷりのバター味の塩パンでとても美味しかったです。
その後長谷までお店を見ながら、お喋りしながら歩きました。
途中麩帆で麩まんじゅうの土産を買いました。
そしてやっと目的の「vuori(ブオリ)」と喫茶店へ着きました。
1階がカフェで2階が「暮らしの道具展+ギャラリー」となっていました。
麸まんじゅう
幾つかケーキがあったけど苺のクラフティケーキとガトーショコラになりました。
苺のクラフティケーキは本当に美味しかったです。
食べていて、昔子供の誕生日のたびに本を見て作っていたのはクラフティケーキだったのだと思いました。
クラフティは卵と牛乳のやさしい風味の洋菓子だそうです。
紅茶がとても素敵な器ででました。
最後の写真は歩いていて出会った神社で鎌倉七福神の一つで寿老人を祀ってある妙降寺と言う寺です。
桜が満開で素敵に見えました。
今日5日は小雨が降ったり止んだりのあいにくの天気です。
我家の西側の池沿いの桜が満開になりました。
時々窓から桜を見てますが、今日窓を開けるとボリュームのある桜に目を奪われました。
デジカメ写真ではふっくらしたボリュームのある桜が写せません。残念。
昨日卓球仲間から泉区役所のそばの和泉川沿いの桜が綺麗だったよと聞き、小雨の中車で行ってみました。
初めて和泉川沿いの桜並木を歩きました。
桜の根本に植えられた菜の花との取り合わがきれいです。
所々にシャクナゲが咲いていたり、水仙やムスカリの花も植えられていて、桜と一緒に楽しみました。
この川沿いの桜もまさに満開で、花がもっこりしてボリュームがあって良かったです。
小雨のなか夢中になって最高の桜が観られた一時でした。
地図によると、この和泉川沿いはまだまだ歩くコースが続いているのでまた散歩に来ようと思います。
近くでフキの合間に花ニラがイッパイ咲いていてとても綺麗で撮りました。
我家の庭に咲きだした十二単(アジュガ)。
チューリップの球根を庭の一角に集めて植え直したら一遍に咲きました。
小さくなったチューリップですが毎年咲いてくれます。色々な花があったはずなのに赤ばかりになりました。
違う種類の水仙が2種類咲きました。それと山野草の翁草は今年で3年目です。毎年咲いてくれてありがとう。
西林寺ではいつものように花祭りの飾りで、甘茶を掛けて今年もよろしくとお願いしました。その後甘茶を飲みます。
その後に大きな桜がある公園に行きました。下のブランコがとても小さく見えます。
その公園にどんぐりの実がはじけて中の新しい芽が出そうなのがあちこちに落ちていました。
その中の一つが土に埋まって芽が出ていて、それを娘は持ち帰り庭に埋めたそうです。
次の日は柏尾川沿いの桜を見に行きました。
桜音頭といっしょに川の両側を春らしい着物を着て踊るパレードがありました。音楽に合わせて踊っていいなと思いました。
お昼に近くのお店を見ると花見に来た人達でイッパイでした。
ベーグルを時々焼いています。ベーグルはバターも牛乳も入らなくても、柔らかく美味しくできるので不思議です。
ベーグルのゆでる工程はオーブンのスチーム加熱という機能がやってくれます。
その為リング型に整形するだけで簡単にベーグルが焼けます。
お誕生の可愛らしいグッズです。
皇居乾通りの一般参加と言うのをテレビで見て30日に行きました。
東京駅で「丸の内の南出口から行くと近いです」のアナウンスが流れていました。
JRが一般参加の事を放送で流すぐらいだから混んでいるなと思いました。
まだお昼には早いのでKITTEの中でコーヒーとパンで、少し休憩してから出発。
KITTEから皇居に向って歩いて、「桔梗門」前で左折するあたりから人の列が始まっていました。
そして待機列の最後尾について並びました。
ここから「坂下門」までは30分ぐらい掛かりました。
「手荷物検査」と「ボディチェック」もあり、さすが皇居に人を入れるのは大変な事と思いました。
家に帰ってデジカの写真を見ると容量が一番小さいサイズになっていて、どれも写真が悪くててショックです。
坂下門 富士見櫓
道順はこちらが詳しいのでご確認ください。(www.kunaicho.go.jp/event/pdf/inui-route.pdf)
坂下門から入って「乾通り」へ通るルートになっています。
下の写真は乾通りの左側の景色です。桜も綺麗に咲いていました。
宮内庁庁舎
乾通りの右側は蓮池濠で、その向こう側は皇居東御苑です。富士見多聞という建物が見えました。
その次に西桔橋があり,そこから東御苑に往く人もいました。
「たくさんの人の為、戻って違う道に行く事は出来ません」と何度もマイクで警察官が話していました。
私たちは記念だから乾通りを端の乾門まで歩く事にしました。
富士見多聞 西桔橋
皇居東御苑は常に入れる場所だそうです。
たくさんの人の流れは北の丸公園方面と、東御苑方面に別れていました。
我々は北桔橋門から東御苑に入る事にしました。
中に入り歩いていると一際目立つ桜があり、人だかりができて、私も混じってたくさんデジカメで撮りました。
でもどれも画素数があまりに低いので、びっくりするほどひどい写真で残念。木の名前は天城吉野です。
これほど綺麗な桜をなかなか見ません。オオシマザクラも満開で皆が撮っていました。
まだまだたくさん東御苑の満開の桜を撮りましたが、写りが悪すぎて載せるのをあきらめました。
東御苑は常に入って見れるそうです。またいつか桜の季節に撮りに行きたいです。