今年は酔芙蓉が大きく伸びて,高い所で沢山咲いているのを見つけました。
10年前は、朝昼晩とお酒を飲んで赤くなると言う事が面白くて毎日見ていたのに。
朝大きな白い花を切ってお勝手にどう変化するか撮ってみました。
大きな白いが、12時ごろにはピンクに、夕方には知人で少し濃いピンクに。
朝IHを付けるとお勝手の電気のブレーカーが落ちました。
他に電気をお勝手で使っていないので、再度入れるとまたブレーカーが落ちました。
見に行くとブレーカーで無くて漏電ブレーカーが落ちていました。
結局IHが壊れていて漏電ブレーカーが落ちた事が分かりました。
壊れたIHを直す為め業者に電話し修理をお願いしましたが。
70歳超えたばかりで、あと何年電気器具を使うかと考える年齢になっています。
壊れたIHは13年使ったので、あと10年は元気でここで暮らせると思い新しいIHにしました。
我々世代は、皆古いのが壊れると直さず新しく買うと言います。
今だと新しくなった電気製品をパンフレッドの説明書をみて使えると。10年後は理解できるかな?です。
新しいIHになって使おうとするとビックリするほど違っていました。
前はボタンを押すだけですぐ使えたのに、
今度のIHはメニューと言う表示がでるのです。
慌ててIHパンフレッドを開き読み使い方を見ました。
魚を焼くグリルは魚を載せる台が無いのです。
この台の洗い上げがめんどくさかったのに、うれしいです。
天ぷら油も温度設定が出来るので、今までより揚げ物が楽に出来るようになりました。
あと何分煮るの設定も、ボタンの押し方やタイムの入れ方が違いました。
しばらく新しい操作をするたびにパンフレッドをみてやる事になります。
今週見つけた花です。
ピンク色の花はサフランです。球根から花だけが伸びて咲いています。
長い雌しべは香辛料ですが、もう収穫されたのかありません。
次は白色の素敵な萩、白色の萩は初めて見ました。
右端は近くの里山ガーデンで見つけたミューレンベルギアと言うイネ科の花です。
花期になると、葉の間から花茎を長く伸ばし、円錐状の花序に小さな花を多数付けます。
花序は淡い霧のように見え、光が当たるとキラキラと美しく輝きます。
里山ガーデンのパンフレッドに花の名前が無かったので、花の手入れをしている人に聞きました。
スマホに忘れないようにメモっていたら、間違って書いているのを横で見ていて訂正です。
外国系の名前は覚えれず、さらに聞き間違いです。
昨日は17000歩の歩きで疲れていたので、ゆっくり広い庭散策と温泉に浸かって過ごそうかな。
でもせっかく来たのだら軽井沢のサイクリングする事でホテルをチェックアウトしました。
15年前でしょうか、娘と軽井沢をサイクリングして絵本美術館や浅間山を見て楽しかったので。
貸自転車屋さんで、膝が痛いので足を上げないで乗れる20インチの電動自動車を探すとありません。
婦人用の自転車は乗っていたので探しましたがありません。あるのは若い人用の2段になった自転車ばかりです。
ホテルは出てるし、私の乗れる自転車は無いし、今日1日どうやって過ごそう?。
目の前にしなの鉄道がありました。
1998年に長野オリンピックで北陸新幹線開業し、
信越本線は無くなり、第3セクターに変えて運転している路線です。
本数は一時間に1本か2本です。
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長崎の短い新幹線が出来ました。新幹線が出来る事によって、
身近な電車の本数が減ったり、廃線になったり、第三セクターで運転したりと、
必ずしも地元で住んでいる人たちが常に使っている電車が便利になるわけでは無い事を旅で知りました。
軽井沢から1駅乗って中軽井沢駅で降りてタクシーで軽井沢タリアセンへ。
タリアセンは塩沢湖を取り囲むように歴史ある建築や美術館が点在して湖畔の美しい風景を楽しむこともできます。
軽井沢は標高が高いので木の葉が色づいています。
驚いた事に,ここは横浜三渓園と同じように、若いカップルが何組も結婚式の衣装を着て写真撮りです。
ペイネ美術館があるからでしょうか?
どのカップルも三渓園の着物姿と違って、洋装で男の方は白のスーツを恰好良く着ています。
下の写真の赤色の建物がペイネ美術館で、ペイネの影響を受けてか周りに可愛い飾り物があちこちに。
「ペイネの恋人たち・シリーズ」で名前が知られたフランス人男性画家レモン・ペイネさんの美術館です。
メルヘン調の愛らしいイラスト、愛とユーモア、社会的な鋭い風刺をさりげないお色気を作品に取り込でいます。
朝がホテルのバイキングで大量に食べたので、園内の「湖水」で景色を見ながらシンプルなコロッケセットを食べました。
その後川の向こう側のバラ園の探索,ブルーベリーのかき氷を食べたり。
あっと言う間に時間が経ち、帰りに乗る軽井沢直行のバスが3時29分で家です。
残り時間で近くの旧朝吹荘に寄りました。
懐かしい名前朝吹登水子さんの別荘です。フランス文学の翻訳家です。
若い時に読みました、フランソワーズサガンの「悲しみよこんにちは」の翻訳を。
50年前は一番流行りの本でしたから、我々世代(70代)は皆読んでいたのでは。
部屋の窓のカーテンは当時のままで、すごくお洒落な柄がいろいろ見えました。
「めがね橋」の上に上り、アプトの道廃線ウォークの始まりです。
横川~軽井沢間のJR最大の急勾配の碓氷峠をアプト式鉄道で越えていたのがこの遊歩道の名前になったようです。
めがね橋の上を歩けるなんて嬉しいです。廃線の為線路は取り外されて歩くに良いです。
ゆっくり橋の上を周りの緑を見ながら歩きました。橋の上からは橋全体は見えず、やはり下から眺めるのが一番のようです。
横川に向かう5号トンネルの長さは244mで、灯りはあるのですが少し薄暗くてドキドキです。
短いトンネルは向こう側のトンネルの出口まで見えました。
5号、4号、3号トンネルを超えると、碓氷湖が見えました。
1958年に建設された坂本ダムによって、碓氷湖は1958年に中尾川と碓氷川の合流点を堰き止めて造った人工湖です。
四方を国有林の大木に覆われた湖畔は約1.2kmの散策道があり、約20分で一周できます。
碓氷湖まで降りると、素敵な赤い橋が2個とダムが見えました。
碓氷湖のダムの反対側に回るとダムの急流がみえ、周りの景色を見ながら休憩です。
また元のアプトの道に戻るとすぐ峠の湯に着きました。
お湯にはいるつもりでしたが時間が無いのでやめました。残念。
遊歩道に行く為に地下道を通って線路の向こう側に渡りました。
通ったトンネルから見える。向こう側の地下トンネルは使われていないのか草ぼうぼうです。不思議。
遊歩道の道に出ると横にトロッコ列車の線路がありました。
峠の湯から横川まで昔は複線だったようです。
左側の線路が埋もれて残っている道が遊歩道で、もう片側の線路がトロッコ列車として使われています。
トロッコ列車は土日と休日のみの営業で、木曜日の今日は乗れません。疲れていたので残念。
ビックリする事に、峠の湯過ぎると両側に猿、さらに電線の上を見ると猿が歩いています。
猿が落ちて来たり、我々の傍に来ないように持っていた傘を広げました。
横川駅でも熊が釜飯やさんの隣の2階に入り込んだと言ってました。熊ですよ。
25分ぐらい歩くと旧丸山変電所、さらに30分歩いて軽井沢そばの碓氷峠鉄道文化むらに着きました。
この道が遠くて疲れて歩数を見ると17000歩になっていて、横から電車は見るだけでホテルへ行きました。
歳ですかね?何時もだったらもう少し歩けるのですが、膝と足裏が痛くてホテルまでタクシー。
やはり5時に起きて6時の電車に乗って沢山歩く事が70歳前半の体には大変になっきたのかな?困ったものです。
温泉にゆっくり過ごすつもりが、行くと見なくてはと走りまわっています。これからはゆっくり温泉、近場でのんびり散策ですね。
しかしホテルのバイキングを沢山食べてお風呂に入ったら元気が戻りました。
7月に横浜から新幹線2時間で上毛高原に着き、簡単に谷川岳の大自然を楽しめました。
新幹線は速度が早い分、遠くに行けてますね。
今回は横浜から2時間ジャストで着く軽井沢に行きました。
14日の横浜は暑くて、15日はそのまま半袖の薄着で朝7時頃に軽井沢に向けて出発。
朝9時頃着くと駅のまわりは霧です。
軽井沢は霧の都というほど頻繁に霧が発生するそうです。
碓氷峠から上昇気流に乗った暖かい空気が. 標高950~1200mの軽井沢の冷気で霧が発生しやすいそうです。
予想外の霧の景色にビックリです。今日の旅の予定はどうなるかな。
霧は無くなると思い、予定通り「アプトの道」という遊歩道を歩く事にしました。
長野新幹線開通で、明治時代から104年人々の生活を支えた信越本線の横川〜軽井沢区間が1997年9月30日に廃線になりました。
この路線跡の一部が廃線跡ウォーキングが楽しめるようになっています。
横川と軽井沢を繋ぐ碓氷峠は江戸時代には旧中山道の難所でした。
しかし現在は碓氷バイパス、高速道路、新幹線といった交通網が整い、往来も容易くなりました。
この廃線路を活用して整備された遊歩道の名前がアプトの道です。
アプトとは1963年まで使用されていた碓氷旧線の走行方式です。
我々は電車廃線の為、軽井沢駅から横川駅までバスで行きました。
着いたのは10時過ぎで、まだ早いけど、横川の荻野屋さんの店で釜飯定食を食べました。
釜飯は具が沢山入っていて、味も良くとても美味しかったです。
付け合わせのワサビ漬けが美味しくて、近くのワサビ漬けのお店で買って帰りました。
何時も食べるのよりチョット甘みのワサビ漬けは、私にはとても美味しく思いました。家で味わうとどうかな?
「アプトの道」遊歩道のめがね橋まで横川からタクシーで行き、帰りの下り坂を歩いて横川に戻る事にしました。
タクシーから降りて橋を見た時、橋の高さと大きさと立派さに驚きました。
碓氷第三橋梁は4連の雄大な美しいレンガのアーチ橋は「めがね橋」という名称で知られています。
高さ31m 長さ91m と我が国最大のもので、使用されたレンガは200万個を超えます。
イギリス人パウネルと古川晴一の設計で明治25年4月に建設が始まり12月に完成です。
トンネルのアーチの左の道を歩いて橋の上まで行きました。
上の道が電車が走っていた道で、この両側がトンネルになっています。上右の写真のトンネルは熊野平の方へ行く6号トンネルです。
反対の横川に行く方は5号トンネルで下の写真です。
横川側のトンネルの手前の石の向こう側の横道を行くと、下の橋の全景が見えて迫力ありました。
右側の橋の写真は、2017年秋に行ったオーストリアのセメリングの町のセメリング鉄道のカルテ・リンネ橋を下側から見た景色です。
本当はこの鉄道に乗って橋を上から見る予定でしたが、線路工事の為運転中止でバスで下から見れました。
電車に乗って上から橋をみると、こんなに迫力のある景色が見れないとその時のガイドさんが言ってました。
お昼ご飯は横川では釜飯、スキーで有名なセメリングの町ではオーストリア料理のグヤーシャ (牛肉のシチュー)等を食べました。
旅に行く度にこのブログに書いているので、検索からこのブログの2017年10月を見るとお昼ご飯が書いてあり思い出しました。
中秋の名月が綺麗に見えました。美味しい月見団子です。
子供家族は外で夕食の写真が来ました。一緒にススキと面白い団子のお飾りです。
夫の育った高浜市の稗田川沿いの彼岸花の写真が岡崎の弟から来ました。
9月の初めはピンク、中旬に黄色、最後に赤色の彼岸花が咲くそうです。きれいですね。
朝食事の準備でIHをつけると家中の電気が消えました。
子供にメールを送ると、漏電ブレーカーが作動して使え無い事が分かりました。
今日は水曜日の朝6時、説明書を見るとメーカーへの電話も朝の9時から6時までです。
古い頭の私は電話すればすぐ直しに来ると思っていたので、最近は事情が違いますね。
よってジョナサンへサイクリングして朝食。スープと飲み物はおかわり付き。たまに外の食事も変化があって良いね。
9時を待って電話してもなかなかつながりません。やっと繋がり、直しを頼むと早くて土曜日でした。
近くにいる子供から卓上型IHヒーターを借りました。
朝の実だくさん味噌汁かスープも簡単に作れて面白いです。
1個のコンロなので、その後サラダにつける卵を焼いたりです。
冬ガスボンベで使って鍋を暖めるより、このヒーターの方が掃除も、片付けも楽だなと思いました。
すぐ直らない事が分かった時点で、
10年使ったIHを直すのが良いか? 新品にするが良いか?と考えました。
70歳の我々は後15年は今の生活が続くかなと考えます。
結局新品にした方が良いのではとなりました。
新品だとすぐ新しいのが来て元の生活に戻ると思ったら、残念10日~2週間後という話です。
しばらくIHの無い生活が続くので、便利で掃除が簡単な黒色の卓上型IHヒーターを買いました。
新しい機器がもう1つ来ました。電動自転車のバッテリーです。
これは不具合があるので買ったメーカーから送られて来ました。新品の充電器うれしい。