☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

京都5⃣ お好み焼き・東福寺の紅葉の名所の臥雲橋と通天橋と庭

2025年02月24日 | Weblog
荷物を預けていたので、お昼に京都風のラーメンが美味しい店まで歩いて行くと宴会で満席でした。
子供が近くで店を探したらお好み焼き屋さんがあり、細い路地を通って中に入ると、
私が50年ぐらい昔に食べに行った時代のお好み焼き屋さんが、そのまま目の前にありました。
店は満員でしたが、丁度隣が空いて食べる席を変えてくれました。
ほぼ焼いた状態で持って来てくれて、ソースが2種類をぬって、そこに鰹節と青のりをかけて食べました。皆で焼いて食べて面白かったです。
 


お昼を食べた後、東福寺を目指して、そばの東海道の陸橋を渡りました。
学校の間を通って、沢山の東福寺の塔頭が並ぶ緑多い良い道を歩きました。
歩いていると素敵な魅力的な姿の橋が目の前にあり、ここを通って東福寺に行きます。
  

橋に一歩入ると、あまりの景色のすごさにビックリしました。橋の名前は臥雲橋です。
東福寺内を流れる渓流洗玉澗入り口付近で一番下にある橋で、東福寺境内と一般道を分け隔てる境界沿いに位置する橋です。
この橋から下に洗玉澗の渓谷が見えて、向こうには東福寺の通天橋 が見えました。
東福寺にはこの渓谷を渡るために、もう1つの偃月橋を入れて 3個の橋があります。
紅葉の時期は素晴らしく何十万の観光客が。今は新緑もなく寂しい時期にきましたが、のんびりと素晴らしい景色と建物を見れました。


東福寺は禅寺で今なお25か寺の塔頭を有する大寺院です。
庭園は近代の造園家重森三玲によって1939年に作庭され、方丈を囲んで四方に配され、八相の庭と命名されています。

南庭、西庭は市松模様にさつきの花が、北庭にはウマスギゴケに市松模様の敷石との対比が綺麗でした。



東福寺からタクシーで京都駅に着き、荷物を子供と孫が取りに行ってくれて楽しました。
我々はジパングクラブでゆっくりひかり号に乗って横浜に帰るので、ここで子供家族とは別れました。何回か一緒に旅出来てありがとうと思います。
横浜に夕方着いて、毎年節分の日に海苔巻きを作るけど、今日は駅で海苔巻きや寿司を食べて帰りました。
 
東福寺の山門側が開いていて素敵なモニュメントが並んでいて、みんなが写真を撮っていました。これはなんでしょうか?
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京都4⃣ 建仁寺・2月2日は節分三十三間堂で豆1個頂きました

2025年02月24日 | Weblog
京町屋の2泊した宿を出て、歩いて3分の所にある建仁寺の門を荷物を持って入りました。
この寺は栄西鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を得て、元号を寺号とし建仁2年(1202年)、
京都の臨済宗の拠点として建立されました。 開基は源頼家、開山は栄西です
まだ早い時間で開いてなく中は見れませんでしたが、庭と建物を見学しました。
京都の豪商打它公軌(糸屋十右衛門)が建仁寺の為に、俵屋宗達に製作を依頼した風神雷神図 の国宝の複製画見れたようです。残念。


ここからタクシーですぐ次の目的地の京都駅そばの三十三間堂に着きました。
私は65年ぶり、戦国時代の戦いの時の血で染まった板を天井に貼ってある血天井の話を何故か10歳前の私は覚えています。
パソコンで調べると、三十三間堂前にある養源院血天井がありました

京都駅のそばだから法事の後に65年前に皆でこの寺院に見学したのかな?
父の兄弟等がいて面白く話していた記憶があります。

この時の事を聞ける人はもう誰もこの世に居ません。10歳の私はもう70代です。
この血天井は関ヶ原の戦いの前哨戦ともなる伏見桃山城での決死の攻防を物語る記念に血天井として飾られているそうです。
ここには俵屋宗達の杉戸絵や襖絵もあり、次回京都に来るときはこの神社に寄りたいと思います。左の写真は血天井の看板はパソコンからの写真です。


三十三間堂の名前の由来は、東方向を向いて南北に長い本堂の柱の数、間数が33あるところから呼ばれるようになったそうです。
三十三間堂は天台宗の寺院で本尊は千手観音。建物の正式名称は蓮華王院本堂です。
中の景色は撮れないので、買ったパンフレッドの写真を写して載せました。


千手観音像が1,001体と守護像が28体と風神雷神像があり、合わせ1,032体です。
千手観音には40本の手があり、それぞれ25の救いの働きがあって40×25=1000は「千」の数の救いがあるそうです。

大きな千手千眼観自在菩薩は三十三間堂のご本尊、檜寄木造りの観音さまで高さは約330㎝もあります。1254年運慶の長男の湛慶の作。
この大きな菩薩様の前での読経が終わってたくさんのお坊様たちがぞろぞろ帰られると思ったら手に持った箱から豆が皆の方にまきました。
ビックリして慌てて落ちたのを探して1個見つけました。
あっという間の事で皆の分をと下を探しましたが何にも無しでした。
子供家族もどこにいるか分からず、後で聞いたら全く知らなかったと残念がりました。この日は2月2日で節分でした。
ラッキーな私は足腰が運動不足で弱った来ているので、あと10年は旅に行ける健康をと、その場でお祈りして頂きました。
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京都4⃣ 知恩院の三門は大きくて素晴らしい

2025年02月16日 | Weblog
高台寺を出て丸山公園を通り知恩院に入り山門を見ました。あまりの大きさに驚きました。 
前のキッチンカーで甘いサツマイモを食べて休憩です。 

一般的には山門と書きますが、知恩院では三門と書き日本三大山門の一つです。(他は南禅寺・身延山)
山門は寺院の入口であり、人々を迎え入れる役割を果たします。
三門は本堂への通路の入り口で、より格式の高い寺院に設置され

三門の階段は下から見て急階段です。手すりも無いので足の悪い私には上るのが危なそうです。
帰ってから調べたら、三門の階段は男坂と言い、簡単に攻めあがれないように一段が高い急階段の石段でした。
下から見て登れそうにないので階段の下を通り過ぎて歩いたら、横に楽な坂道を見つけて登りました。
これは後から作られた女坂でした。なだらかな坂道を上がった所の横が三門で行ってみました。 
とても大きな門で、門が持っている風格に圧倒されました。前を見ると景色は素晴らしく、後ろはまだ男坂の階段が続いています。

  後ろ側

階段を上がり切った所の前に立派な御影堂がありましたりました。その周りにも立派な建物が並んでいます。
京都の建物にはな回廊が多くて、素晴らしい景色になっています。

方丈庭園の門から庭に入りました。江戸時代初め小堀遠州と縁のある僧玉淵が作庭した庭園と言われてます。
 

拝観料にもう一つの庭の友禅苑を見る券もついていました。探すと女坂のそばにあり入りました。
友禅の技法を開発した宮崎友禅の生誕300周年を記念して作庭された昭和時代を代表する庭園だそうです。

まった町屋を探している時に井伊美術館(武具、甲冑 の専門美術館)名前を、見つけました。  
 
江戸時代の町家を、井伊達夫氏により武家屋敷風に改修した美術館だそうです。
この町屋の中の奥にひっそり静かにある美術館です。チョット入って甲冑を見たくなりました。

夕食は泊まった京町屋の宿で一緒に食事です。6人用の大きな鍋とコンロが用意してありました。
孫たちが野菜を切ったりのお手伝い。
夕食は温かいお鍋と、買ってきたいろいろな京都おばんざい、稲荷ず等のごはんで楽し夕食になりました。
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春 マンサクの花 梅とメジロ

2025年02月16日 | Weblog
1週間前に散歩仲間から緑道でマンサクの花が咲いているよとラインが来ました。
マンサクが見たくてその日の夕方寒いけど10分ほど歩いてマンサクの黄色の花に出会いました。
ラインには、さらに10分ほど歩くとシナマンサクの花もさいていたよと書かれています。
10分歩いて見つけましたシナマンサクの花を。初めて見ました。少しくすんだえんじ色で、形はマンサクと同じです。
    
バレンタインチョコの為に小学生の孫と娘とで近くに住む爺にも作って持ってきました。
耳と尻尾とおなかはチョコお菓子を買って、チョコレートでコーテイングです。
あんまりかわいいのにびっくりです。 

横浜球場の周りの横浜公園の中の一角の日本庭園にピンク色の花があり、引き寄せられて行きました。1本早咲きの可愛い梅が満開です。
近寄って撮っているとメジロが2匹来ました。メジロはじっとしていなくて中々撮れませんが、やっと撮れました。
こんなに近くでメジロが撮れるなんて、さらにウメの花の中でラッキーでした。


  

横浜県民ホールは老朽化が原因で2025年3月末で休館で建て替えるらしいです。
ここの6階の英一番館のからは、眼下に山下公園が広がる絶景で ランチを窓側の席で予約して行きました。
ランチはこの店の看板商品ビーフシチューセットで頂きました。お肉は柔らかくトロトロでした。


この辺りは中華街がそばにあり春節祭のオブジェがあちこちにありました。
山下公園の一角で大道芸もやっていて久しぶりにゆっくり見ました。
このお兄ちゃんは7個でお手玉をやっていました。
片方に火がついた棒を7本ぐらい持ってお手玉みたいになげあっています。


晴れて良かったです。関内駅そばの珈琲店でミルフィーユと珈琲を飲んでたくさんお喋りして帰りました。
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京都3⃣ 高台寺

2025年02月08日 | Weblog
高台寺北政所・ねねが秀吉の冥福を祈るために徳川家康の財政支援を得て1606年に建立したお寺です。
高台寺の西側で円山公園から清水寺へ抜ける全長約250mの美しい石畳の道がねねの道と名付けられています。
  
        

ねねの道途中に上に登る細い階段の道を台所坂と言い、ここはねねが実際に秀吉の墓所へ参拝する際に使った道と言われています。

 台所坂を上った門に台所門と書いてありました。
     

拝観料を払って境内を進むと、左手に遺芳庵(いほうあん)があります。
遺芳庵を抜けてさらに境内を進むと素敵な回廊が見えました。反対に回るとさらに建物の向こう側に回廊が続いてます。
建物は重要文化財の観月台です。伏見城の遺構を移設して、ねねがその晩年、秀吉に想いを馳せて月を眺めたと伝えられています。



下の写真の左側の高台寺方丈が改装中で、中門を通って中に入ると高台寺庭園が広がっています。
      

庭園全体が小堀遠州の代表作の『池泉回遊式庭園』で、臥龍池偃月池の2つの池が配置されています。
庭園の東西に配された池の中央の建物が重要文化財で1605年の開山堂です。 開山堂の天井には秀吉の御座舟の天井と、ねねの御所車の天井を用いられ、その天井に狩野山楽の龍図が広がっています。
開山堂から向かって左側に延びている回廊が臥龍廊で,全長は約60メートルあり屋根が龍の背に似ていることからこの名が付きました。
回廊の先は境内の一番高い場所に建つ霊屋(みたまや)で北政所の墓所です。
この門の中の霊屋は赤、金の建物でびっくりしました。ねねは秀吉好みにしたのかなと思いました。
 

その後に方丈に上がって庭を見て、改装中で中が見れず残念でがありましたす。
ねねが高台寺を建てるときの鎮守社で1606年に創建した高台寺天満宮がありました。
そしてまたねねの道に出て、寒いので温かいお汁粉を食べて休憩です。
足が痛くなり、持ってきた杖で歩くのに助かりました。
     
 
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京都2⃣ 前田珈琲のモーニングセット・今井金毘羅宮・

2025年02月06日 | Weblog
京町屋には食事が付いていないので、そばの前田珈琲高台寺店で朝食です。
私はクロワッサンサンドセットです。コーヒーカップの模様が面白く写真に撮りました。セットには前側模様と、コップの写真は後ろ側模様です。ホットする気がするコップです。
そしてこの店は「高台寺御用達」の称号を頂いているそうです。

今日は子供家族は平等院へ。爺婆は3年ぐらい前に行ってるので別行動になりました。
昨日は15000歩で歩き疲れて、今日はあまり知らない高台寺辺りを散歩する事にしました。
朝喫茶店に来る途中に今井金毘羅がありました。崇徳天皇が讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断っていたそうです。

悪い縁との縁切りのご利益で有名だそうです。高さ1.5m幅3mの絵馬の形をした巨石の縁切り縁結び碑があり、
碑の左側にある形代あと呼ばれる身代わりのお札に願いごとを書き。形代を持って、
願いごとを念じながら碑の表から裏へくぐります。そして形代を碑の好きなところにに貼ります。
男女の縁.病気・酒・煙草・賭事をやめたいひとにもおすすめです、と。
アナが小さくて下の方にあり、コートを着てるとくぐるのに大変そうでした。
 

高台寺に向かってい歩く道は維新の道と言う名前でした。
この道の山の上に坂本龍馬をはじめ1043名の幕末維新の志士が眠る霊山墓地 があるそうでが上り坂でやめました。
道沿いの景色はまだまだ昔の瓦屋根の2階建ての京都が残っています・
 

途中観音様が見えたので入ってみました。拝観料を払うと大きなお線香を1本くれました。
霊山観音さまで太平洋戦争で没した約200万人の日本兵を慰霊するため1955年建立されたそうです。


この観音様の奥に階段の上に花塚があり、手前に林芙美子さんの言葉の入った説明書きがありました。
「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」という文章があり、続いています。
この始まりの文章を覚えていて懐かしく写真を撮りました。「放浪記」で有名で我々世代が読んだ作家さんですね。
この霊山観音の横が高台寺で、このそばから高台寺に入りました。
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京都1⃣ 京都の京町屋の宿で泊まる

2025年02月03日 | Weblog
京都の京町屋の宿を1軒借りて2泊3日、子供家族と一緒に泊まりました。
子供家族は学校が終わってから来るので、我々は朝出発しました。

朝新幹線から青空の中富士山が素晴らしく素敵な姿を現しました。
岐阜羽島駅を超えた途端雪景色です。さらに進むと畑に雪がより多く積もっています。

しかし次の駅米原駅超えると畑に雪は無く雨がふっていました。京都も曇りで雪は無し、残念。
京都駅に12時に着いて1日地下鉄バス交通券を買って両親の墓参りに行きました。
地下鉄で国際会館まで行きバスに乗って妙満寺さんに着きました。

京都が遠いので両親が亡くなってからやっと法事で何度もこの寺へ来てなじみが出来ました。
電話で弟にやり方を聞いて、お寺さんへの挨拶、お墓を掃除、そしてお花を供え、水塔婆を書いていただきました。
お寺から国際会館窓戻って地図を見ていたら、どこに行くのですかと声をかけられて。

駅そばのじゅんさいと言うランチの店へ近くまで連れて行ってくださいました。
2時近くだったので人気のハンバーグランチは売れ切れで残念。他のランチも美味しかったです。
今回、京都で何度も親切に何度も声をかけられて案内をしてもらい助かりました。


京都駅に着いた時すぐ、そばの京町屋の宿のチェックインカンターに寄りました。
宿の説明を受けてチェックインの手続きをして荷物を宿まで送ってもらった荷物が宿に届いていました。
じゅんさいでランチの後、地下鉄で烏丸御池まで行き東西線に乗って東山まで行くと5時です。
そこから京町屋まで簡単に行けると思ったのですが、意外と距離があり疲れました。
着くと宿に明かりが付いて、2階建てで3つの部屋で寝れるように布団が置いてありました。

1階のトイレはドア無し、風呂はガラス戸で外から丸見えです。
外国では多い様式だそうですが、京町屋の1軒家なのに変です。2階にもトイレがあり良かったです。
少し休憩して南座の横を通って、7時半にそばの京町屋おばんざいこはくの店で子供家族と待ち合わせです。
ほぼ同じ時刻に子供家族と着き、一緒に楽しい夕食になりました。
大根らの薄味の煮物が幾種類か出て美味しかったです。大根の煮物を作ることが減ったなと思いました。
二人が偶然同じ1月30日に誕生日で、その店でお祝いの花火をつけてくれました。
  
今日は1日私は14500歩も歩き足が痛くて。途中から持ってきた折り畳みの杖を出して歩きました。
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