十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

馬が合うとは・・・

2019-11-18 05:00:00 | 投稿

町内会の友人に、大阪の寿司職人だった人がいます。彼は関西人の気質によく精通しており、大変参考になります。

例えば、関西人は「アホかいな」とか「どアホ」と気軽に使います。

一方、東京人の会話では、そのような言葉は使いません。

東京では「アホ」は禁物で、関西では「バカ」は禁物です。この違いを簡単に言えば、東京人は「いい振りこき」で、関西人は「いい振りこきでない」と思います。

だから関西人は、どちらかと言えば本音対応で、東京人はどちらかと言えば、建前対応と言えるかもしれません。文化の違いでしょう。また、京都人は公家の人も多かったと思われますが、道産子には上品さはあまり肌に合わないかもしれません。

 

私は大阪で働いていたことがあります。大阪人は1年間ぐらい相手の様子を見ています。そして、信用が置ける人物と判断したら、とことん面倒を見てくれます。関西人には、そんなお節介なところがありますが優しい人たちで、道産子には合っていると思います。これを「馬が合う」ということかも分かりません。

ところで文化のことですが、人類は文明が起こり、それから文化が栄えたそうです。文化には、上方文化や北海道文化、アイヌ文化などいろいろあり、変遷を辿りながら現在に至っています。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注)上方文化

上方文化とは、江戸時代以降の上方大坂を中心とする地域)で育まれた文化のこと。 

元禄時代(1688年から1704年)の上方では、経済がめざましい発展を遂げた。きわめて裕福な町人層が新しい都市文化の担い手となり、上方文化が形成されていった。

江戸時代前期の時点で江戸はまだ開発途上であり、上方文化は先進的な優れた都市文化として盛んに江戸へ移入され、江戸の町人層にもてはやされた。

上方文化の移入と江戸自体の成熟に伴い、江戸時代中期には江戸特有の文化が徐々に開花。江戸時代後期には江戸特有の化政文化が栄え、上方と並ぶ文化の発信地として栄えた。

陰翳に富み、優美なるを身上とし、衣・食・住・聖・性・真・善・美など、人生のあらゆる諸相の価値観に影響を与えた。その骨頂は「すい」とされ、江戸の「いき」と対比される(どちらも漢字表記は「」)。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

十勝の活性化を考える会」会員募集