町内会の友人に、大阪の寿司職人だった人がいます。彼は関西人の気質によく精通しており、大変参考になります。
例えば、関西人は「アホかいな」とか「どアホ」と気軽に使います。
一方、東京人の会話では、そのような言葉は使いません。
東京では「アホ」は禁物で、関西では「バカ」は禁物です。この違いを簡単に言えば、東京人は「いい振りこき」で、関西人は「いい振りこきでない」と思います。
だから関西人は、どちらかと言えば本音対応で、東京人はどちらかと言えば、建前対応と言えるかもしれません。文化の違いでしょう。また、京都人は公家の人も多かったと思われますが、道産子には上品さはあまり肌に合わないかもしれません。
私は大阪で働いていたことがあります。大阪人は1年間ぐらい相手の様子を見ています。そして、信用が置ける人物と判断したら、とことん面倒を見てくれます。関西人には、そんなお節介なところがありますが優しい人たちで、道産子には合っていると思います。これを「馬が合う」ということかも分かりません。
ところで文化のことですが、人類は文明が起こり、それから文化が栄えたそうです。文化には、上方文化や北海道文化、アイヌ文化などいろいろあり、変遷を辿りながら現在に至っています。
「十勝の活性化を考える会」会員
注)上方文化
上方文化とは、江戸時代以降の上方(京・大坂を中心とする地域)で育まれた文化のこと。
元禄時代(1688年から1704年)の上方では、経済がめざましい発展を遂げた。きわめて裕福な町人層が新しい都市文化の担い手となり、上方文化が形成されていった。
江戸時代前期の時点で江戸はまだ開発途上であり、上方文化は先進的な優れた都市文化として盛んに江戸へ移入され、江戸の町人層にもてはやされた。
上方文化の移入と江戸自体の成熟に伴い、江戸時代中期には江戸特有の文化が徐々に開花。江戸時代後期には江戸特有の化政文化が栄え、上方と並ぶ文化の発信地として栄えた。
陰翳に富み、優美なるを身上とし、衣・食・住・聖・性・真・善・美など、人生のあらゆる諸相の価値観に影響を与えた。その骨頂は「すい」とされ、江戸の「いき」と対比される(どちらも漢字表記は「粋」)。
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