佐々涼子著「エンド・オブ・ライフ」の一節に、次のことが書かれていた。
『近代ホスピスの創始者と言わるシシリー・ソンダースの分類によると、痛みには大きく分けて四つの種類がある。身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、そしてスペリチュアル・ペインである。身体的な痛みについては説明するはないだろう。物心ついた特からおなじみの、転んだり、熱を出したりした時に感じる身体の直接的な痛みだ。息苦しさやだるさなどもこれに当たる。
精神的な痛みとは、不安や恐怖、怒りや鬱などの心の痛みを指す。社会的な痛みとは、仕事を辞めざるを得なかったり、家庭内に問題が起きることによって、社会的に孤立したり、経済的に困窮したりすることによる痛みである。人はつながりの中で生きている動物なので、それらを奪われると苦痛を伴うという。それも納得できる。
この中で気になるのは、スぺリチュアル・ペインである。スぺリチュアル・ペインとは直訳すると「魂の痛み」「霊的な痛み」である。日本語にぴったりな表現がないため、英語をそのまま使っている場合が多い。
「自分の人生は何だっただろう」と考えたり、自分の存在が無に帰することを想像して絶望してしまうことなどを意味し、感情よりもっと奥深くある、魂の苦しみととらえている。
精神的な痛みは生きていく上での人生の一部についての心の痛みだが、スぺリチュアル・ペインは自分の人生全体の意味がわからないという苦しみである。(後略)』
私はこの文章を読んで、次のように思った。「どう生きるか」「己とは」は人類、哲学、宗教等の永遠の課題であり、場合によっては、整理がつかず、命に直結する課題ともなる。しかし、人間はみんな、何かの役割を持って生まれたのである。その役割を、他をおもんばかりながら自分なりに果たせばよいのだ。その役割を果たしているかどうかを知っているのは自分だけで、他人がどう思うか、どう評価されるかは関係ないのではないか。他人には嘘をつけても、自分には嘘をつけないからである。
自分は、自分の人生がどうであったかは、死ぬ直前に考えればよいことではないか、と考えている。新型コロナ禍で人生観や価値観が変わった人もいると思うが、生きている限り、共生のなかで、自分の役割を知り、目標に向かって突き進むだけでよいのではないかと思う。
人類はいま、「新型コロナウイルス」と戦っている。この本に書かれているように、生きることに向かって行動する強い意志と負けない心で、共生を忘れず、新型コロナウイルスと共存しながら粛々と生きていこう。
「十勝の活性化を考える会」会長
人生の意義
人生の意義とは、人生に目的や意味はあるのか、あるとすればそれはいかなるものなのかという問いである。人生の意味、生きる意味、レゾンデートルともいい、一般的な日本語では生きがいと表現される。
この問いかけは、次のような様々な形式で表現されている。
- 人生の意義とは? それは一体何なのか? 私たちは何者なのか?
- なぜ私たちはここにいるのか? 何のために私たちはここにいるのか?
- 生命の起源は何なのか?
- 人生の本質は何なのか? 現実にはどういった性質をもっているのか?
- 人生の目的は何なのか? 各個人の人生の目的は何なのか?
- 人生の意義は何なのか?
- 人生において意味と価値があるものは何なのか?
- 人生の価値は何なのか?
- 生きる理由は何なのか? 私たちは何のために生きているのか?
これらの問いかけに対し、科学理論、哲学、神学、心理学といった側面から、さまざまな答えと議論がなされている。
(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
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