十勝の活性化を考える会

     
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ストイックな毎日

2020-06-29 05:00:00 | 投稿

 

ストイック」とは英語で「stoic」のことで、一般的には「欲において自身を律するさま」を意味する言葉である。

 

自分の感情や邪念を捨てて、目標に突き進む求道的な姿を指しており、「禁欲主義の我慢論」ではなく、むしろ「禁欲主義の幸福論」という考え方が根底にある。

 

知人のメールの中に「ストイックな毎日を送っていた」と書かれていたが、現在は、そのような毎日を過ごしていないという事かもしれない。

 

修行僧のような禁欲的な日常は、自分としては耐えられないだろう。一方で、各自が自由・気ままに振舞っていたら、必ず他人に迷惑をかけることになる。社会秩序の維持のためには、ルールや違反行為の取り締まりも必要となる。ただ、黒人を殺したアメリカの警察官のような行き過ぎは困る。

 

アメリカでは黒人の暴徒化が全国に波及している。メディアでは、この暴徒化を黒人差別を中心に報道しているが、コロナ禍に伴う失業者の増大による貧富の拡大が、人種差別に拍車をかけているとの見方がある。

 

また、朝のテレビで「ソーシャルディスタンス」に関して、バスの中でケンカになったことを報じていた。ご存知のようにソーシャルディスタンスとは、新型コロナの感染拡大を引き起こす密閉・密集・密接の3蜜を避けるための措置。

 

人の多いところやバスの中ではソーシャルディスタンスが必要で、そういう配慮が日本の新型コロナ禍の感染者や死亡者数が少ないのではないだろうか。

 

ソクラテスが言っているように「悪法も法なり」で、悪法でもルールには従わなければならないし、善くないルールは直さなければならない。

 

新型コロナウイルスの感染拡大は、まだ終息の目途は立たないが、日本だけがよければ良いという事にはならないだろう。理由は、バスの中のケンカの原因と同じである。

 

世界中に感染が広まっていけば、人類にとっては来年の東京オリンピッの開催よりも、コロナ禍の一刻も早い終息ではないだろうか。 

 

「十勝の活性化を考える会」会長

 

 

注) 禁欲主義

 

禁欲主義(きんよくしゅぎ)とは、感性的欲望を悪の源泉、またそれ自体が悪であると考え、それを出来る限り抑圧し徳に進み魂の平安を得ようとする道徳宗教上の立場。

イスラム教ではラマダーンとして、日の出から日没までの間、食物や水を含むすべての官能的な喜びを控えるという断食の形で禁欲を実践している。これはイスラム教の五行として信者の義務である。

 

[ユダヤ教・キリスト教世界の禁欲主義]

後期ユダヤ教黙示文学では、現在の悪が支配する地上にやがて訪れる「来るべき世」の審判に備えて禁欲を求めた。

また、エッセネ派のように聖性を熱心に追求するユダヤ教徒は禁欲的生活を実践した。紀元1世紀のユダヤ人著述家フィロンは、人里離れた場所で観想を目的とした禁欲的な共同生活を送るテラペウタイというユダヤ人コミュニティについて記録している。

[ヘレニズム世界の禁欲主義]

肉体(物質的世界)と魂(精神世界)を対立させる二元論的な人間論が信じられたギリシャ哲学の諸派では、禁欲(アスケーシス)を理想的な人格形成に至るための「の訓練」として捉えた。

 

プラトンは、誰もが分別を持ち、うつろいゆく世間とは然るべき距離を置く賢者になることを理想とした。プラトン哲学での哲学的生活には禁欲の実践が大きく取り入れられていた。

 

自ら求めず、自然(本性)に則り、運命に従うことを綱領としたストア学派にとって禁欲は必要不可欠な訓練だった。煩悩の源となる欲望を理性によって断ち、見せかけの善や悪に無関心でいられることはストア派の求めた理想的心境である。

 

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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